詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

華原倫子『樹霊』

2012-10-23 10:45:23 | 詩集
華原倫子『樹霊』(思潮社、2012年08月20日発行)

 詩は暗記するもの、ときのう書いた。その定義(?)にぴったりなのが、華原倫子『樹霊』である。
 「戻ってきた死者」の書き出し。

死んで戻ってきた人間は
どこかに嫌なゆがみがある
継ぎあてた所の湿った感じとか
痩せた骨の上の乾いた皮膚とか

 「死んで戻ってきた人間」というものを私は知らない。会ったことがない。だから、ここに書かれていることが「正しい」かどうか私は判断できない。ただ読むだけである。
 「どこかに嫌なゆがみがある」というのも、まあ、華原を信じるしかない。
 ところが、その次、3行目。

継ぎあてた所の湿った感じとか

 これは「死んで戻ってきた死者」の描写になるのだろうけれど、そのことを一瞬忘れてしまう。「主語」というか「主題」というか、そういうものを忘れて、あ、この感じ「覚えている」と思う。
 「肉体」のなかで何かが動く。
 それはたとえば洗濯物。シャツ。いまはつぎのあたったシャツなんかだれも着ないだろうけれど(ファッションとしてあるかもしれないが)、私の子どものころはまだ次のあたった服というものはあった。そして、そのつぎの所にはたしかに何かしらかわききらない湿った感じがあった。それはほんとうに湿っているのか、つぎのあたった服なんか恥ずかしくて嫌だなあという思いが「ここ、湿っているから着たくない」という気持ちにさせるのか、実はよくわからないが、そういう実はよくわからない気持ちを含めて、肉体の奥から「感覚」があふれだす。
 あ、そうだ、と思う。
 これを覚えておこうと思う。こういう感覚はなくしてはいけないのだとも思う。覚えておいて何につかえるわけではないのだが、それを覚えることによって「生きている(生きてきた)」という感じがするのである。
 「意味」は関係がない。
 華原は「意味」をこめているかもしれないが、その「意味」は私には伝わってこない。「意味」を超えて、ただ「感覚」(感触)が肉体のなかにあるものと結びつく。肉体のなかから、ある感覚がはっきりとしたことばで引き出されてくる、そのときの感じ--あ、これは知っている。これは私の感じている通りのことだと思う。だから、覚えておきたい、と。
 それは次の

痩せた骨の上の乾いた皮膚とか

 も同じである。「死んで戻ってきた死者」、あるいはただの(?)「死者」でもいいかもしれないけれど--というのは乱暴な言い方だね。言いたいのは、「死者」とは無関係にということ。つまり、「死者」とは無関係に、この感じわかるなあ、ということ。
 何かがあって痩せてしまったとき(病気のあととか)、その痩せたからだの皮膚は骨に張りつき、たしかにかわいている。うるおっていない。豊かさがない。--あ、この豊かさの欠落、何か豊かなものか消えてしまうということが「死ぬ」ということにつながっているのか、と思う。
 だれかが死んだとき、その顔はかわききっている、かわききっていた--そういうことも思い出す。そのことを私の肉体は覚えていて、たしかに知っている。けれど、私はそれをことばにしたことはなかった。そのことばにしたことがなかったことを、華原のことばをとおして、たしかにそうだと思う。その瞬間、それを覚えておかなければ、と思う。
 そのとき、私が「覚える」のは「意味」ではない。ただ、音である。ことばの音である。その音と結びついている「感覚」である。

 詩のつづき。

なによりもいるのかいないのか
風にかき消されやすいのが問題である
体の裏側と話しているような味気ない会話
(ひどくびくびくしているなあ)
「一度死んだらわかる
死ぬのは怖いよ、ほんとうに」

 抽象的なことばがつづくのだが、「体の裏側と話しているような味気ない会話」の「味気ない」というひとことが、抽象的なことがらをぐいと肉体に引き寄せる。「味気ない」のひとことによって、抽象的なことがらが肉体の問題、なまの感覚の問題すり変わる。
 で、このとき。
 私はやはり「意味」を通り越して、その「なまの感覚」そのものにひきつけられる。「味気ない」が「体の裏側と話しているような」と結びついていることも非常に影響している。「味気ない」が「肉体」とは無関係な形で語られているなら、それは印象に残らないかもしれない。けれど「肉体」(体の裏側--皮膚の内側? それとも背中? ふたつ組み合わせた背中の内側?)と結びつけられているので、なにか、肉体が「ざわっ」とする。感覚的に「わかる」のだが、それは、いま私が書いたようにことばにしてしまうと、それが「正しい」かどうか、まったくわからなくなる。
 「わからない」のに「わかる」。この矛盾。だからこそ、あ、覚えておこう、と思う。覚えておくしかない。
 ここに、詩があるのだ。

 だれかのことばと出会い、そのことばのなかに、自分の肉体とつながるなにかを感じる。それがなんであるか、「わからない」のに「わかる」といいたい気持ちになる。いや「わかる」のに何がわかったのか言おうとすると「わからなくなる」。その瞬間の、肉体の中で動いているもの--そのもののために、そのことばを「覚える」しかない。「覚えておく」しかない。それは、いつかほんとうに「わかる」に変わるかもしれない。永遠に「わかる」とはいえなくて、「わからないけれど印象に残る」で終わるかもしれない。
 けれど、覚えておきたい。
 そこに、詩を、たしかに私は感じる。
 華原の詩は、そういうことばを非常にたくさん含んでいる。

 「植物」というのは抽斗(たぶん、机の)があけにくくなって、むりやり開けたとき、その抽斗が「木」でできていることに気づき、その木が自然(森林とか鳥とか)に結びつき、抽斗の抵抗(開けさせられたくない、という思い)を感じ、それに華原の肉体が反応するとてもおもしろい詩である。「死んで戻ってきた死者」のように特別な(?)「主語」はなくて、日常の抽斗が「主語」になっているのだが、だからこそ、まるごと「覚えておきたい」「覚えるしかない」というものとしてあらわれてくる。
 引用で読むよりも、ぜひ、詩集の中でそのことばを味わってください。



 華原の詩集には、後半に「短歌あるいは一行詩」という作品群がある。

夜の卓の皿ほの白く池の面にひらく花群のように押し合う

 これは特にすぐれているという作品ではないと思うけれど、とても興味深い。短歌の音律の定型からはずれているのだが、どこかで定型を意識しているので、奇妙なねじれ(字余り)がある。そして、そのねじれのなかで、どうにもならない何か、定型からはみだしてしまうものの、肉体そのものがなまなましく動く。
 これを短歌に強引にととのえてしまわないところに、華原が「現代詩」を書く理由があるのだろう。音律を気にしない方が、多くのことを書ける。
 でも他方で、音律を無視してしまうと、ことばのなかの、強引なねじれのようなものがなくなって、ちょっと寂しい。
 舞台で役者がいちばん美しく見えるのは、役者がむりな姿勢をしているとき、という。むなり姿勢というのは、肉体のなかにひそんでいる可能性である。ほんとうはそういうふうにだれでもが姿勢をとることができるはずなのだが、ふつうはしない。つまり、そこに「わざと」があるのだが、その「わざと」が何か肉体のなかにあって、まだ眠っているものを目覚めさせるのだ。「あ、それ知っている、あ、それをやってみたい」と思わせる。それはことばの問題に置き直せば、「あ、それ知っている、あ、それを覚えておいてつかってみたい」というのに似ている。
 この「むり」は音律が自由な「現代詩」よりも「短歌」の方が強烈にあらわすことができる。読む方が「定型の音律」と無意識の内に比較するからね。
 この魅力があるから、華原は「短歌」も書きつづけているのだろう。華原がどういう経緯で「現代詩」と「短歌」を書くようになったか私は知らないが、短歌から出発したひとなのかな、と思った。音の美しさのなかに、そのリズムの「むり」のなかに、肉体そのものを感じるからである。
 「現代詩」の「抽斗」をテーマにした作品と呼応するように、「短歌」にも抽斗が出てくる作品がある。

夏箪笥、引き出しを白く袖が垂れこぼれる息のようなひとの名

 読点「、」もあり、「短歌」というより「一行詩」と呼びたいのかもしれない。まあ、「短歌」「一行詩」の区別なんて、読む人がかってにすればいいだけなのだから、どうでもいい。
 「袖が垂れ/こぼれる息のような」なのか「袖が垂れこぼれる/息のような」なのか。読点「、」がないために、どっちともとることができる。(「白く」が「しろく」だと、「ひとの名」の文字のつながり方と融合し、さらにわからなくなるかも。--これは、余談。)
 読点「、」にもどるとてんてん。夏箪笥のあとに「、」をつけながら、ここではつけていない。
 意地悪だなあ。でも、その意地悪なところが好きだ。作者が意地悪なら、読者はもっと意地悪をしていい。つまり、どんなふうに「誤読」しようが作者に文句は言わせない。「誤読」されるのが嫌だったら、だれにもわかるように正確に書いたらいいじゃないか、という特権が読者にはあるのだ。
 だから、私は、「ええい、もう、こんなめんどうくさいことを書いて。華原は意地悪な人間だ」と関係のないことばで締めくくるのだ。で、さらにつけくわえると。「めんどうくさいことは、理解するのではなく、覚えるしかない」とも。そうつけくわえてみると、詩がどういうものか、さらにわかる。




樹霊
華原 倫子
思潮社
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