詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

苅田日出美『あれやこれや猫車』

2012-10-17 11:54:39 | 詩集
苅田日出美『あれやこれや猫車』(花神社、2012年10月18日発行)

 苅田日出美『あれやこれや猫車』は、ことばの動きがとてもすっきりしている。何の抵抗もなく読むことができる。

若い医師に診てもらう日なので
念入りに化粧する

全身のMRIを受けたあと
診察室に入ったら
胴体の輪切りだけではなくて
裸の体もならべてある
ジーンパンもつけたままでいいですよといわれたのに
下半身もヘアまでも写っている
                        (「階段を昇り降りする裸体」)

 どこにもわからないことばはない。体を調べるのに化粧は関係ないのだが、化粧をしてしまう--その気持ちも、とてもよくわかる。気持ちさえも「事実」のようにわかる。「わかる」は、まあ、「誤解」かもしれないけれどね。
 「下半身もヘアまでも写っている」の「も」の繰り返しなんか、あ、いいなあ、と思う。「下半身も写っている」で十分なのだが、「ヘアまでも」と念押ししているところに、苅田の気持ちが噴出している。「ヘア」ということばも、うーん、慎み深くて(?)、思わず笑ってしまう。
 苅田の驚きというか、いかりというか、そうなんだという諦めというか、そういうものすべてに「共感」してしまう。
 「わかる」というのは「共感」ということだね。
 で、このままでは詩なのか。少しも詩らしい表現、いわゆる「わざと」がない。ありのままを書いているだけだ……。
 私は、詩、だと思うが、苅田は少し違ったふうに感じているかもしれない。この詩にはあと2連つづきがある。

心電図を撮るために
コードにつながれ
五分ほど階段を昇り降りする

負荷運動をくりかえしている
そこにはもはや私ではなく
デュシャンのモデルがいるのだった

 「わざと」が出てくる。「デュシャンのモデル」--MRIによって衣服をはぎ取られた裸体はデュシャンのモデルのようである。私はいまデュシャンのモデルになっている--というのが苅田の気持ちだが、ここにデュシャンのモデルという、いっしゅの「気取り」が出てくる。
 それ何?
 あ、現代の風景として抽象的な裸体の女をデュシャンは登場させています。絵のなかの女性のことです。
 うーん、デュシャンの絵を見たことがないひとが、苅田のこの詩を読んだら、わかるかな? わからないね。苅田の「わざと」は、同じ教養(?)を要求してくる性質のものである。
 苅田のことばがすっきりしているのは、苅田のことばが「同じ教養」をもっているひとに向けて書かれているからだ。「同じ趣味」(好み)と言ってもいいかもしれない。絵が好きでもデュシャンの絵が好きなひとばかりとは限らないからね。
 あくまで現代を象徴する病院という風景、MRIを初めとする器機と裸体という組み合わせ--そこではデュシャンでなければならない理由があるのだが、その理由を「共通感覚」としてもっている人を対象に苅田のことばは動いている。
 読者を限定しているからこそ、すっきりしとした形でことばを提出できるのだといえるかもしれない。
 そうすると、苅田のことばには一見「わざと」が感じられないようだけれど、ほんとうは存在することになる。

 「わざと」をもう少し別な形で読んでみる。詩のなかから浮き彫りにしてみよう。「長谷川●二郎が愛した猫の」(●はサンズイに「隣」のつくり)。長谷川の描いた猫について書いている。猫の絵を見ているのに、絵であることをはなれて、そこに猫そのものをみている。そのときの、見方がちょっとおもしろい。猫の名前はタローである。

タローには履歴書がある
寝てばかりいるので職業は
睡眠研究株式会社社長
万国なまけもの協会名誉顧問 となっている
サティを聴き
《賢き猫は摂生をもって飲食す》
というフランス語に造詣が深いという
その体重は「ずっしりと重し」
身長は「不明 時により変化す」と記されている

 苅田は長谷川の記したタローの「履歴」を読む。そして、それが苅田のタローの理解の仕方である。タローの履歴というものは、ほんとうはそこには記されていない。それは長谷川がでっちあげた架空の履歴である。いわば、それは、「芸術」である。現実を離れ、架空をいきるとき、そこに芸術が生まれる。というべきか、あるいは架空を現実にまきこむとき、現実が浮遊して芸術に変わるというべきか。どっちでもいいが、そこにも「わざと」がある。「わざと」があるけれど、その「わざと」は、そういうことを理解してくれるひとにだけ向けて書かれた「わざと」である。
 長谷川は、簡潔な絵を画家だが、その簡潔のなかには、こういう「遊び」としての「わざと」がある。それは、その絵自体にもある。タローの髭は片方しかない。写生している内に同じポーズをとらなくなり、老衰で死んでしまったから描けなくなったというのが表向きの理由である。
 で、この「わざと」なのだが……。なかなかくせものである。
 猫の髭が片方しかないと書いている詩の前半部分(引用しなかった部分)を振り返って引用すると、

ひたすらに
猫を見つめている
見ることで生まれる内なる感想を描いているから
タローの髭は描けなかった

 わかったようで、わからない。というか、私は「矛盾」を感じる。実際の外観をリアルに描く場合は、猫が違ったポーズをとればたしかに絵は描けない。けれど「見ることが生まれる内なる感想」ならば、その猫がいようがいまいが描かれるのではないのか。描く対象は猫ではなく「内なる感想」なのだから。
 でも、長谷川は描けなかった。外観(客観的に見えるもの)と「内なる感想」は一致していたからである。このことは、長谷川が描いていたのは、いつでも長谷川の「内なるもの」ということになる。
 で、というか、だとすると。
 タローの履歴も、実は、長谷川の「内なる感想」である。その「内なる感想」としてのタローの履歴を受け入れるとき、苅田は長谷川の「内なる感想」を共有することになる。長谷川の「内なる感想」は別なことばで言えば、長谷川の猫に対する「秘密の思い入れ」、「秘密の感情」でもある。「秘密」は「人柄」でもある。
 「人柄」と書いたのは……。たとえば寝てばかりいる猫を「睡眠研究株式会社社長」という具合に定義するときに、そこに「好み」が入ってくるからである。何を好むか。それが知らず知らずにまぎれこむ。サティが登場する部分にいちばん「好み」が濃厚にでている。なぜ、サティ? なぜモーツァルトではない? この区別のありようは、「好み」としたいいようがない。そして、その「好み」こそ、実は「履歴」というものかもしれない。過去にどんな音楽を聞いたか、その音楽に対してどういう印象を持ったか。それが複雑につみかさなって「人柄」をつくりだす。「人柄」の背景には、その人の秘密の履歴がある。
 苅田は、いわば長谷川の「秘密」(人柄)を共有する。
 「猫」の絵を見るのではなく、苅田は長谷川の人柄を見て、それを自分のなかに受け入れる。自分の「内なる感情」(履歴)にする。そうして長谷川自身になる。
 苅田は、そういうこと以外は目指していない。(ように、私には感じられる。)
 余分なものは省き、自分の「履歴(好み)」を大切にし、それに合うものだけを最小限のことばで提出している。そしてそのとき、それをすべてのひとにわかってほしいとは言わない。苅田と同じ「履歴(好みの積み重ね)」を生きてきたひとにだけ向けてことばを発している。
 この排除の構造が苅田の強みである。苅田のことばを、しっかりと受け止めてくれているひとがすでに苅田のまわりには何人も存在する。それを突き破ってまでことばを動かそうとは思っていないのだと思う。


空き家について―詩集 (1982年)
苅田 日出美
手帖舎
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吉田大八監督「桐島、部活やめるってよ」(★★★★★)

2012-10-17 10:45:59 | 映画
監督 吉田大八 出演 神木隆之介、橋本愛、大後寿々花

 予告編がとてもおもしろかった。で、期待していたのだが最初に上映された福岡天神東宝2はスクリーンがとて小さく(「午前10時の映画祭」のとき、このスクリーンをホームシアターより大きい、試写室気分が味わえる、と持ち上げていたひとがいたが……)、上映も限られていたので見逃してしまった。KBCシネマ1で上映されているので、それを見た。
 予告編をはるかに上回るおもしろさ。今年いちばんの傑作であることは間違いない。
 ストーリーは単純で、ある高校の勉強もできればスポーツもできる桐島という男が突然バレー部をやめる、という話が学校中にひろがる。だれも真相を知らない。その「不在の桐島」によって、まわりの高校生が中心を失った(あこがれを失った?)みたいになっ、ふわふわと動く。まあ、高校生というのは、いつでも「どうしていいかわからないこと」をかかえて、ふわふわしているものである、
 というような、偉そうな(おとなぶった?)ことを言いそうになるが。
 いやあ。
 高校生の気分にもどりました。私は何でもその気になってしまう。「テス」を見ればナスターシャ・キンスキー、「ブラック・スワン」を見ればナタリー・ポートマンの気持ちになってしまう、わあ、変態だあ、と自分でも思ってしまうのだけれど。でも、サンドラ・ブロックにはなりたくないって、あ、単に美人に夢中になってしまうってだけのことか……。
 というようなことは、さておき。
 高校生のころというのは、自分の気持ちがわからないから、他人の気持ちもわからない。(いまは、それに「まわりから浮いてしまってはいけない」という思いが重なるからたいへんだねえ。--私は、こんなにたいへんではなかったなあという思いもあるのだけれど。)で、他人と、そんなことはどうでもいいと言ってしまえず、何か真剣に見てしまうね。同時に、自分が見つめられているということも感じて、不安になる。ああ、めんどうくさい、という感じもする。
 そのあたりの「個人差(?)」のようなものが、同じシーンを複数の視点で繰り返し描かれる。最初の「金曜日」のことだけれど。
 これがねえ、実に自然。実になめらか。
 主人公(? で、いいのかな。知らない役者ばかりなので、だれがだれかわからない)を映画部の友達が「お待たー」と迎えにくる。二人が教室を出ていくと女子がすぐにまねて「お待たー」とまねをして笑いだす。「聞こえるよ」と注意する女子もいるが、それは承知のこと。それを主人公と友達が廊下を歩いているシーンからももう一度見せる。しまっている曇りガラスの向こう側から、女子の「お待たー」「聞こえるよ」「聞こえたったいいのよ」と言っているのを聞きながら二人が歩いている。ちらっと窓を見やりながら。
 映像がこまかくて、ていねいで、いいなあ。
 みんな、だれも自分のことをわかってくれない、という悩みをかかえている。だれも自分のことを親身になってくれないと感じている。まあ、それは「わがまま」なのだけれど、そしてそれが「わがまま」と思うから、高校生は自分を抑えてしまって、どうしようもなくなるのだけれど。
 こういう「ごちゃごちゃ」に恋愛未満の恋愛がからんできて、それはもう「高校時代」としかいいようのないものなのだけれど。
 で、そういうことはそのまま映画で見てもらえればいいので。
 最後がなかなか感動的なのです。
 「桐島2号(?)」ともいうべきモラトリアム高校生の男が主人公をインタビューする。「将来は映画監督ですか」「いやあ」「監督になったら女優と結婚するんですか」「いやあ」「アカデミー賞を受賞するんですか」「それはないと思う」というような、一種のからかいのあと、「で、なんで映画とるの?」
 そうすると、主人公が答える。「自分の撮っているものはまだまだなんだけれど、ある一瞬、大好きな映画とつながっていると感じる(同じものを撮っていると感じる)瞬間がある」というようなことを言う。
 さらに桐島2号が野球部のキャプテン(3年)に、「なぜ部活をやめないの?」と聞く。そうすると「ドラフトが終わるまでは」「スカウトとか来てるんですか」「そうじゃないけれど、ドラフトまでは……」。あ、夢がある。不可能なのだけれど、夢がある。
 映画部の主人公の言ったのも、そういう夢のつながりだね。--これがねえ、高校生気分。いいなあ。涙が流れる。
 で、こういう、いわば「うざったい」とでもいうべき青春映画にゾンビの大暴れというギャグがからんで。
 そのあとというか、その背後というか。
 桐島2号に失恋した女子が部長をしている吹奏楽部が練習している曲が流れる。その前のひとりひとりが練習しているシーンや、音合わせを聞いているときは、あ、やっと吹いているなあという感じなのだが、その背後の曲がとてもいい。
 そして、それは演奏している部員にもわかるようで、終わった瞬間、
 「いまのよくなかった?」
 「よかったよねえ」
 と自分たちで感激する。
 ほんの一瞬なのだけれど(そして、ゾンビのシーンと、桐島2号との「くさいせりふ」の影に隠れる形なのだけれど)、これがほんとうにほんとうに美しい。
 それこそ高校生の演奏なのだけれど、「音楽」そのものに「つながっている」。そして、あらゆることは「つながる」瞬間に輝く。「つながる」と、そのとき「私」は私であって、私ではない。私を超える何かになる。
 吹奏楽部の演奏が象徴的だけれど、自分の能力を超えて、何かにつながり、その何かの力で自分がひきあげられていく。そういうことといのうは、あるのだ。
 主人公の、最後の怒り、バレー部の男に食ってかかるのも、そういう意味では自分を超える一瞬だよね。
 みんな、ほんとうは自分を超えたがっている。
 思い出しただけで、どきどきする。

 私はもう「高校生」からはかけはなれた世界を生きている人間だけれど、まだ、何かと「つながる」ことができるかな、と思う。そして、どきどきする。自分が探しているものと、しっかりつながり、そうすることで、その何かと一体になるよろこびを求めているんだなあと感じた。
 高校生みたいでしょ?
 私はいま「高校生」と「つながっている」。
 こういうことを、平気で言いたくなる映画です。
 ぜひ、見てください。



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