詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ボアズ・イェーキン監督「SAFE/セイフ」(★★)

2012-10-25 10:34:12 | 映画
監督 ボアズ・イェーキン 出演 ジェイソン・ステイサム、キャサリン・チェン、ジェームズ・ホン

 ジェイソン・ステイサムはハードボイルドアクションの旬の役者である。禿げている(と思う)のに、禿を隠さず、丸刈りの頭、同じ長さ(?)の無精髭でがんばっている。丸刈りも、無精髭も四角く長い顔でないと似合わないのか、小顔(丸顔)では似合わないのか……などと思いながら、さて、今度はどんな味付け?
 なるほどねえ。禿げ、丸刈り、無精髭だけでは、中年のおじさんは汚いだけ。で、もっともっといじめるんですねえ。八百長ボクシングで、間違って勝ってしまってロシアマフィアから狙われる--という出だしはありきたりなんだけれど、さすがロシアマフィアというか、狙い方がねちっこい。妻を殺すまではあたりまえで、その後どうするかというと、ジェイソン・ステイサムに信じられないような「拷問」をする。肉体的に拷問するのではない。だれかと親しくなったら、そのだれかがだれであろうと相手を殺す。つまり、ジェイソン・ステイサムを完全に「孤独」に追いやる。これで、ジェイソン・ステイサムは廃人になりかける。死んでしまおうかなあ、と悩んだりする。あ、「新手」だねえ。ここが新しい。
 さて、その「どん底」からジェイソン・ステイサムはどう立ち上がる。
 これは映画だから、まあ、荒唐無稽です。でも、その荒唐無稽が、なんとも「現代風」。中国の少女が出てくるが、これが数学(数字?)の天才。数字を瞬時に覚え、一度覚えたら忘れない。この少女を「人間コンピューター」に仕立てて、中国マフィアが金庫の番号を書いた「暗号」を記憶させる。番号そのものだったら、もれたときにすぐわかるからね。--その少女が中国マフィアから逃げ出す。逃走の途中の地下鉄でジェイソン・ステイサムとすれ違う。このときジェイソン・ステイサムは自殺しようとしていたんだけれど、少女が気になり、瞬間的に思い止まる。そして、少女が何かから逃げているということを直感し、少女を助けようとする。ここから、映画が本格的にスタートする。
 長々と「導入部」について書いてしまったけれど、実は、映画がはじまってしまうと(本格的にストーリーが動くと)、あとはあまり書くことがない。最初の「味付け」をどう最後まで守り抜くか、その味を押し通せるかというのが映画の評価の分かれ目なんだけれど。
 「廃人」からの立ち直りが早すぎる。「廃人」がフラッシュバックしない。もう一直線に、昔の「正義のニューヨーク特命刑事」に戻ってしまって、やることなすこと、完璧。ハードボイルドをクールにやってしまう。これじゃあ、単純すぎる。少女を守り抜くこと、つまり少女との「関係」を「生きる」希望にして生きていく、というのがあまりにも簡単に描かれていて、あれっ、あの、「孤独」が苦悩は?
 まあ、文学ではなく娯楽映画なのだから、それはそれでいい、と割り切れればいいんだろうけれどねえ。でも、そうなら、あの導入の奇妙な精神的な「翳り」の演出はなんなのさ。
 少女の方も、数学の天才というのは、それはそれでいいのだろうけれど、これがぜんぜん恐怖心が伝わってこない。どうせ助かるんだから、とシナリオを読んで結末を知っているので、「いま」を演じることができない。役者というのは「過去」をつたえるのは大事だけれど、「未来」をつたえてはだめ。「いま」の演技のなかに「過去」を噴出させながら「いま」を突き破って時間を未来と動かすのが役者--というようなことを、こういう「ご都合主義」映画の子役に言ってもしようがないか。
 こんなふうに、変に少女の悪口を書いてしまうのも、映画の導入部でジェイソン・ステイサムに「翳り」を演出しておいて、その「翳り」がストーリーそのものを突き破る具合に映画が展開しないからだね。
 ジェイソン・ステイサムをアメリカへもってきたこと自体が間違いなんだろうなあ。イギリス味というかヨーロッパ味の役者である。アメリカの「過去はありません」タイプの映画では、どうにもおもしろくない。「アメリカには過去はありません」というのでは困るから、変に陰湿な導入にしたんだろうけれどね。
 ついでに。
 なるほど、これが「アメリカの過去」か、と思ったのが、ニューヨーク市長の描き方。あくどく金をつかんでいる、というよりも、「彼氏」の描き方。ジェイソン・ステイサムがたしか「ボーイフレンド」と呼んでいたが、影の会計士のことを「隠語」でそう呼んでいるのかと思ったが、どうもほんとうのボーイフレンドのよう。アメリカでは、こういうプライバシーがせいぜいの「過去」なんだなあ。
 で、それに関連しておもしろかったのが、ジェイソン・ステイサムが「秘密」を焼き込んだCDを市長に要求する。市長がそれを渡すとパソコンで詠み込んで見せろ、と要求する。「アバのCD」だと困るから。あ、そうなんだ。アバはボーイフレンド・ミュージックなのだ。そういえば「プリシラ」ではアバの「ダンシング・クィーン」にあわせておどっていたなあ。ボーイフレンド群が「マネ・マネ・マネー」と歌って流行を下支えしてたんだね、という音楽界の「過去」がそんなところで噴出してくるところが、なんというか、思わず笑ってしまった。
                        (2012年10月24日、中州大洋4)


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