詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

季村敏夫「ひとつかみの風」

2013-10-25 10:12:56 | 詩(雑誌・同人誌)
季村敏夫「ひとつかみの風」(「纜」4、2013年08月31日発行)

 季村敏夫「ひとつかみの風」は不思議なかなしさがある。「におい」のかなしさがある。

ゆうぐれの運河は臭い
すれちがう息は酒臭い

自転車の微笑み
のこされた息が転がる

くずやの金さんがガラスの向こう
もうペケや
指で合図
頭には放射線照射のためのバツ印し

それからゆらいだ五月
ひとつかみの風となり
金本英一は旅立った

あっけなくくずれる
くず鉄ひとふさ

キロなんぽやねん
ありやなしやの
風の挨拶

息子に先立たれたじいさん
ひん曲がったくちびるを突き出し
隣りの塀に立小便

工場にトイレはあるのに
体温体臭
出るはでるは臭い湯気

 たとえ工場にトイレがあったとしても、ひとは時には立ち小便がしたい。隣の塀に小便をかけてみたい。それは「生理現象」ではなくて、むしろ「かなしみ」の現象である。
 「におい」がかなしいのは、そこに「体温」があるからだ。「肉体」があたためた何か、あたためずにはいられない「肉体」の力。それがあるからだとわかる。
 そして、それは防ぎようがない。鼻をふさぐことはできるが、ふさいだままではいられないからね。なんだか、無防備な肉体に入り込んでくる。それも「頭」ではなく、違った部分に入り込んでくる。
 「かなしい」のは、だから「頭」とは違った部分である。
 立ち小便をする「じいさん」のかなしみは、「頭」ではなく、「肉体」で感じる何かである。それは、あるいは息子が死んだというかなしみではなく、息子は死んだのに自分は生きているというかなしみである。
 その「生きている」を、長々とでる(でてしまう)小便、その温かい「におい」で感じてしまうかなしさ。
 それに対してひとは何ができるか。
 何もできない。
 季村はただそれを見つめている。見つめるとき、それをことばにするとき、季村は「じいさん」になり、立ち小便をしているのである。重なってしまう。そして「肉体」で「かなしみ」を感じる。「におい」がそのかなしみのなかに入ってくる。



 辛夕汀「登高」という作品の訳詩が同じ号にある。

山には白く雪が積もっていた。

白帆ほのかに黄海に浮かび
あたたかい陽ざしが秀麗な蘆嶺山脈に照り映える
午後--

私は岩に腰かけて
香ばしい松の実を
一つ
二つ
一つ 二つ
剥いては食べた。

私は急に山鳥のように身が軽くなり
私は急に山鳥のように飛びたくなった。

あの平穏な青い空を--
耐えがたいまでに平穏なあの空の下を--

 最後の2連が、どう説明していいのかわからないが、気持ちがいい。「急に」が「わかる」。二回「急に」と言いたい感じがわかる。そして、「あの空の下を」の「下を」が美しいなあ。空ではなく、「空の下」を飛びたい。舞い上がるのではなく、飛びながら、なつかしい街に近づいてゆくのだ。視線が、いままで自分がいた街に近づいていく感じがとてもいい。
 こんな比較というか結びつけは変かもしれないが……。
 なんとなく、あ、これは「じいさんの立ち小便」を見ている季村の視点に似ているなあ、近いものがあるなあ、共通のものがあるなあ、と感じる。離れているのだけれど、離れたままではない、近づいていく感じが似ている。距離が縮む感じが似ている。

豆手帖から
季村 敏夫
書肆山田
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連詩「千人のオフィーリア」(1-20)

2013-10-25 09:56:55 | 連詩「千人のオフィーリア」
千人のオフィーリア(連詩の試み)
https://www.facebook.com/groups/170080153191549/

                           谷内修三
千人のオフィーリアが流れてくる川がある。
ひとりは水道の蛇口から身を投げて、
高層マンションの長い排水管を潜り抜けてきた人形。

                           金子 忠政
彼女は残りの999人をみつめようと
まばたきしないひとみを声にしている
ひとりの臓腑に声が突き刺さって
最上階の窓から応答のピアノ

                           山下 晴代
ぽろん、ぽろん。
2000年前のアルゴリズム。

                           坂多 瑩子
それは月曜日の朝 
あたしは生ゴミのなかで拾われた 
片腕のない人形をだきしめたまま

                           岡野 絵里子
呑み込まれていった
「時」が始まる夢の淵へ
川は見る者の目を流れ
信号の多い街を浸し続けた

                           谷内修三
水に映る街と過去はシンメトリー
ビルを映す水の奥には過去が流れていく、そして
水面のビルの色は流れないけれど私の
オフィーリアは流れてさまよう

                           金子 忠政
まどろみゆれる水草のような
ビルの直線にからまれ
仰向けに青空をみつめ
あるはずのない血を脈打たせて
水面をただよっていく

                           田島安江
水面にゆれる影が
ビルの隙間をするりとぬけて
もう一つの影を追う
ああ、ここは明るすぎる。

                           坂多 瑩子
水に映る街と水底の街がクロスするとき 
時間はとまる 
さあお行き 
熱いスープが冷めぬまに

                           矢ヶ崎 正
時間はいつもさみしがって
空間にしがみつく
サラダもワインも遅れてきたけれど
それを 怒りも笑いもするなと
光源の奥から言うものがある

                           谷内修三
千人のオフィーリアが流れてくる、
冬の中世のヨーロッパからドライフラワーを抱えて、
アマゾンから極彩色の蝶に口づけされたまま、
大気汚染の中国からは金瓶梅の纏足をマッサージしながら、
ああやかましい。

                           金子 忠政
君らはひしめいて流れてくる
いっせいに流れていく
大陸から大陸へ
いまだ難民に似ていて
恐怖に渇いた口をあけたまま
置き去りにされた地の首筋から足首まで
濡れた星座をしるしづけ
何度も行って帰ってくる
石を食って頭かかえた空にも

                           坂多 瑩子
おまえが飲みこんだオフィーリア
腹のなかで増殖していくオフィーリアの
そのひとりひとりをおまえは知っているというのか
古ぼけた靴をはかされて
インクの染みのついたスカートをひるがえして
たったひとりのオフィーリアさえ
おまえはその手に抱きしめたことがあるのか

                           田島 安江
おお、かわいそうなオフィーリア
お前を抱きしめてくれるものなどいない
お前はどこまでもひとりぼっち
ああ、愛しのオフィーリア
さあ、どこまでも
地の果てまでも流れていくがいい

                           坂多 瑩子
あたしはヴァンパイアーが好き
何万年も生きるその哀しさが好き
小さなわなをしかけて
人間たちを眺めながら
地の果ての
暗くて深い森で
その身の上話を聞くのが好き

                           山下 晴代
"You! hypocrite lecteur!___mon semblable,___mon frere!

                           市堀 玉宗
血塗られしこの世に月を仰ぐかな

                           谷内 修三
血のなかで騒ぐことばよ、
ことばのなかで騒ぐ血よ、
おまえの名は女、
女の名はおまえ、

                           田島 安江
月満ちて刃沈める水かがみ

                           永田 満徳
訳ありて深山に籠る紅葉かな
コメント (2)
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