監督 ジョン・タトゥーロ 出演 ジョン・タトゥーロ、ウッディ・アレン、バネッサ・パラディ
映画を見ながら、40年ほど前の「さよならの微笑」というフランス映画を思い出しつづけた。似てるんだなあ、味わいが。
「さよならの微笑」は二組の夫婦の話。一方は夫が浮気癖があり、他方は妻が浮気っぽい。で、取り残されたまじめな二人がなんとなく気心があって、恋愛し、もとの夫と妻を捨てて町を出て行くというストーリーなのだけれど、このストーリーの紹介だけではジゴロとは関係ないように見えてしまうねえ。
どこが似ているか。
ジョン・タトゥーロと「さよならの微笑」に出てきた男(名前は何?)が似ている。ジョン・タトゥーロは職業を転々としたあと、いまは花屋で働いているのだが、生け花が得意であり、またダンスも上手だ。生き方に幅があり、その幅の広さで女をゆったりと受け止める。セックスで金を稼いでいるというぎすぎすした感じがない。
「さよならの微笑」に出てきた男は、次々に職業を変えている。その理由を男は「自分をひとつの枠のなかにとじこめたくない。いろいろな可能性を広げる」というようなことを言っていた。「ひとつの道」をきわめる、その道で社会に貢献するというのではなく、自分に何ができるかそれを楽しみながら生きている。それが、とても似ている。
うーん、ヨーロッパ味だなあ。
さらに、「さよならの微笑」では、女と男は、最初はたがいの不幸(?)によりそうように親密になる。ただし肉体関係はない。まわりが二人が親密だと知れ渡ってしまったあと、他人がセックスしていると思い込んでいるのなら、セックスしないでいるのは意味がない(?)と思いセックスし、さらに親しくなるのだが、そのストーリーの抱え込んでいる味が、またまた、似ているねえ。
ジョン・タトゥーロはジゴロをやる一方、聖職者の未亡人と出会い、恋に落ちる。その恋が、他人から見ればセックスしているのであって恋ではないのだが、ふたりは逆にセックスはしないでほんとうに恋してしまう。ジョン・タトゥーロは女の肌に触れるが、それは背中である。キスもするが、性交まではしている感じではない。恋をしているから、セックスはしなくてもいいのだ。こころが触れ合っている。
で、恋をすると。
ジゴロができなくなる。レズビアンのカップルに3人でセックスしようと誘われ、その場に赴くのだが、実際に性交しはじめると、前のようには体が動かない。それを見て、シャロン・ストーンが「恋してるのね」という。そして、顔に触れ「美しい」とうっとりする。
セックスしながら、セックスではなく恋にあこがれている。--これは、ジョン・タトゥーロの「意見(主張)」ではなくて、そこに登場する女の主張なのだが。
この「主張」の出し方が、またまた「さよならの微笑」の味に似ている。
男が主役であるようにみせかけて、味は女味。女の好みの味で統一されている。女はどんな男が好きなのか、ということが明確に描かれている。ストーリーにもどっていうと、女は自分の気持ちをわかってくれて、少しずつリードしてくれる男が好き。少しずつだと、どきどきしながらも安心する。ゆったりする。最初のジョン・タトゥーロとシャロン・ストーンのデートなんて、それが鮮明にでている。ゆったりはじまって、最後は何もかも忘れるくらい--というのが女の理想だね。
で、この映画が「さよならの微笑」と違うのは、「女味」を中心に据えながら、それを「男味」で最後は隠しているところ。女ごころがわかるというのは、ちょっと恥ずかしいのかな? 恋する女に捨てられて、ジョン・タトゥーロはいったんは町を去る決意をするのだが、コーヒー店で出会ったフランスの女にちょっとこころを奪われ、またジゴロにもどってもいいかな、と、心が少年っぽい。成熟しない。永遠の未熟の魅力(?)で生きるウディ・アレンが、その未熟をそそのかしているのが、まあ、こっけいである。
で、余談(?)になるのだが。
この最後のオチに登場するフランス語(の女)、さらにヴァネッサ・パラディ(たしかフランス人だよね)は「フランス」味がこの映画に漂っているのも--やっぱり「さよならの微笑」につながるねえ。「さよならの微笑」を現代のアメリカ(ニューヨーク)に置き換えると、こんな感じになるのだろうなあ、とも思った。
それにしても、ジョン・タトゥーロもウディ・アレンも女優のつかい方がうまい。シャロン・ストーンなんて、とんでもない役どころなんだけれど、ジョン・タトゥーロがセックスできなくなるのを見て「恋をしてるのね」と見抜き、顔がぱっと輝くシーンなんかすごいなあ。ジョン・タトゥーロの顔に触れながら「美しい」というときはさらに美しい。女から見れば、男はいつも少年。守ってやらないとだめなんだ--という感じなのかもしれないが、「美しい」と言われてジョン・タトゥーロの顔(目)が美男子に変わっていく一瞬もすばらしい。
「ジゴロ」を題材にしながら、テーマは「女性味の恋愛」。で、思い出したが、ジョン・タトゥーロとのセックスを「アイスクリームの味にたとえるならどんな味?」「ピスタチオ」なんていう会話も、女性の味の好みを語っていておもしろいなあ。
ウディ・アレンはジョン・タトゥーロの女の描き方に共感して出演したんだろうなあ。女の好みが同じなのだと思った。バネッサ・パラディの清純さと成熟の共存は「マンハッタン」のマリエル・ヘミングウェーに似ている。
(KBCシネマ2、2014年07月13日)
映画を見ながら、40年ほど前の「さよならの微笑」というフランス映画を思い出しつづけた。似てるんだなあ、味わいが。
「さよならの微笑」は二組の夫婦の話。一方は夫が浮気癖があり、他方は妻が浮気っぽい。で、取り残されたまじめな二人がなんとなく気心があって、恋愛し、もとの夫と妻を捨てて町を出て行くというストーリーなのだけれど、このストーリーの紹介だけではジゴロとは関係ないように見えてしまうねえ。
どこが似ているか。
ジョン・タトゥーロと「さよならの微笑」に出てきた男(名前は何?)が似ている。ジョン・タトゥーロは職業を転々としたあと、いまは花屋で働いているのだが、生け花が得意であり、またダンスも上手だ。生き方に幅があり、その幅の広さで女をゆったりと受け止める。セックスで金を稼いでいるというぎすぎすした感じがない。
「さよならの微笑」に出てきた男は、次々に職業を変えている。その理由を男は「自分をひとつの枠のなかにとじこめたくない。いろいろな可能性を広げる」というようなことを言っていた。「ひとつの道」をきわめる、その道で社会に貢献するというのではなく、自分に何ができるかそれを楽しみながら生きている。それが、とても似ている。
うーん、ヨーロッパ味だなあ。
さらに、「さよならの微笑」では、女と男は、最初はたがいの不幸(?)によりそうように親密になる。ただし肉体関係はない。まわりが二人が親密だと知れ渡ってしまったあと、他人がセックスしていると思い込んでいるのなら、セックスしないでいるのは意味がない(?)と思いセックスし、さらに親しくなるのだが、そのストーリーの抱え込んでいる味が、またまた、似ているねえ。
ジョン・タトゥーロはジゴロをやる一方、聖職者の未亡人と出会い、恋に落ちる。その恋が、他人から見ればセックスしているのであって恋ではないのだが、ふたりは逆にセックスはしないでほんとうに恋してしまう。ジョン・タトゥーロは女の肌に触れるが、それは背中である。キスもするが、性交まではしている感じではない。恋をしているから、セックスはしなくてもいいのだ。こころが触れ合っている。
で、恋をすると。
ジゴロができなくなる。レズビアンのカップルに3人でセックスしようと誘われ、その場に赴くのだが、実際に性交しはじめると、前のようには体が動かない。それを見て、シャロン・ストーンが「恋してるのね」という。そして、顔に触れ「美しい」とうっとりする。
セックスしながら、セックスではなく恋にあこがれている。--これは、ジョン・タトゥーロの「意見(主張)」ではなくて、そこに登場する女の主張なのだが。
この「主張」の出し方が、またまた「さよならの微笑」の味に似ている。
男が主役であるようにみせかけて、味は女味。女の好みの味で統一されている。女はどんな男が好きなのか、ということが明確に描かれている。ストーリーにもどっていうと、女は自分の気持ちをわかってくれて、少しずつリードしてくれる男が好き。少しずつだと、どきどきしながらも安心する。ゆったりする。最初のジョン・タトゥーロとシャロン・ストーンのデートなんて、それが鮮明にでている。ゆったりはじまって、最後は何もかも忘れるくらい--というのが女の理想だね。
で、この映画が「さよならの微笑」と違うのは、「女味」を中心に据えながら、それを「男味」で最後は隠しているところ。女ごころがわかるというのは、ちょっと恥ずかしいのかな? 恋する女に捨てられて、ジョン・タトゥーロはいったんは町を去る決意をするのだが、コーヒー店で出会ったフランスの女にちょっとこころを奪われ、またジゴロにもどってもいいかな、と、心が少年っぽい。成熟しない。永遠の未熟の魅力(?)で生きるウディ・アレンが、その未熟をそそのかしているのが、まあ、こっけいである。
で、余談(?)になるのだが。
この最後のオチに登場するフランス語(の女)、さらにヴァネッサ・パラディ(たしかフランス人だよね)は「フランス」味がこの映画に漂っているのも--やっぱり「さよならの微笑」につながるねえ。「さよならの微笑」を現代のアメリカ(ニューヨーク)に置き換えると、こんな感じになるのだろうなあ、とも思った。
それにしても、ジョン・タトゥーロもウディ・アレンも女優のつかい方がうまい。シャロン・ストーンなんて、とんでもない役どころなんだけれど、ジョン・タトゥーロがセックスできなくなるのを見て「恋をしてるのね」と見抜き、顔がぱっと輝くシーンなんかすごいなあ。ジョン・タトゥーロの顔に触れながら「美しい」というときはさらに美しい。女から見れば、男はいつも少年。守ってやらないとだめなんだ--という感じなのかもしれないが、「美しい」と言われてジョン・タトゥーロの顔(目)が美男子に変わっていく一瞬もすばらしい。
「ジゴロ」を題材にしながら、テーマは「女性味の恋愛」。で、思い出したが、ジョン・タトゥーロとのセックスを「アイスクリームの味にたとえるならどんな味?」「ピスタチオ」なんていう会話も、女性の味の好みを語っていておもしろいなあ。
ウディ・アレンはジョン・タトゥーロの女の描き方に共感して出演したんだろうなあ。女の好みが同じなのだと思った。バネッサ・パラディの清純さと成熟の共存は「マンハッタン」のマリエル・ヘミングウェーに似ている。
(KBCシネマ2、2014年07月13日)
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