監督 ドゥニ・ビルヌーブ 出演 ジェイク・ギレンホール、メラニー・ロラン、サラ・ガドン
自分とそっくりな男がいた--という設定のストーリー。ひとりは大学で歴史を教えている。テーマは「繰り返し」。もうひとりは三流役者。役者のテーマは他人のコピー(繰り返し)ということか。
こういうはじまった瞬間に結論があるような映画は、私は好きではない。
意味ありげに蜘蛛が出てくる。蜘蛛の糸。路面電車の電線(蜘蛛の糸に見える)、蜘蛛の仮面を被った女が天井を歩いてくる、町を歩く巨大な蜘蛛、蜘蛛の自動車事故のあとのガラスの蜘蛛の巣状の亀裂、部屋の中の巨大な蜘蛛……。こういうものに、私は「意味」を求めない。繰り返しがあるだけ。歴史を教えているジェイク・ギレンホールの「ことば」に従えば、あらゆることは繰り返すけれど、人はそこから何も学ばない、というだけ。
でもね。
こういうのは、つまらない男の視点。
この映画で見るべき点は、女の視点。ジェイク・ギレンホールという仕掛けを利用して、女の生き方を的確に描いている。
何か理不尽なことが起きたとき、どう対処するか。女の方法は三つある。
母親のイザベラ・ロッシーニは無視。息子と同じ男がいる。そんなことはあってはならない。だから無視する。無視することで、そういう現実を存在させない。
恋人のメラニー・ロランは違いを明確に識別し、その違いによって俳優の男を拒絶する。メラニー・ロランが見つけ出した違いというのは、指に残る指輪の跡という非常に微妙なものだが、そういうささいなことがらにも女は気づく。男は、そういうささいなことがらに女は気づかないと思っている。ここから悲劇がはじまる。
もうひとつの方法は、それが理不尽であっても受け入れるという方法。役者の妻を演じたサラ・ガドンの役どころ。彼女が妊娠しているのは、他人を受け入れ、それによって新しい何かを生み出すのが女であるということを象徴している。
ジェイク・ギレンホールとサラ・ガドンのセックスシーンはとてもおもしろい。サラ・ガドンは指輪をしている。ジェイク・ギレンホールはもともと指輪をしていないから、指輪に対する意識がない。二人が指を絡ませたとき、サラ・ガドンの指輪がアップされるが、このとき彼女はジェイク・ギレンホールが夫ではないと気がついている。二人が入れ代わったことに気がついている。しかし、彼を受け入れる。「現実」を受け入れる。それだけではなく、さらにその「現実」をたしかなものにするために、積極的に、男にセックスを迫っていく。
このとき、ジェイク・ギレンホールは、いわば蜘蛛の巣にかかった餌だね。
女は必要ではない餌は無視する。嫌いな餌は拒絶する。しかし、必要ならば餌を受け入れる。--と三分類してしまうと、問題が変になるかもしれないけれど。
これに比べると、男というのは馬鹿だから、男の欲望をコピーしているだけである。男は男をコピーする。自分の方法を考え出さない。ひとりでも多くの女とセックスをしてみたい、という夢を男の夢としてコピーするだけである。そして、そういうコピーの過程で同じ間違いを繰り返す(女の信頼をうしなうという過ち、女との愛を台無しにするという過ち)のだが、まあ、気がつかない。自分だけは大丈夫と思う。
こういう単純な映画(形而上学を装った映画は、みんな単純である。矛盾がないからすっきりしてしまう)を、それではどうやって「ごまかして」映画にするか。
この映画は色彩に工夫している。全体がセピア色がかっている。冒頭のあやしげなストリップショーのようなシーンが薄暗いために、最初はこの色彩の工夫に気がつかず、何か変だなあと気がついたらセピア色だった、ということなのだが。
最後の方、ジェイク・ギレンホールの歴史の教授と役者が入れ代わった後、色彩が鮮明になる。現実的になる。その仕掛けが、男の欲望の色として反映されている。どんなに愛されていても自分の女とのセックスはセピア色に見える。初めての女とのセックスは極彩色に見える。
で、ね。その色彩(視力)の変化の仕掛けみたいにブルーベリーが出てくるのだが、これがおかしい。ジェイク・ギレンホールが母親に会ったとき、ブルーベリージュースが出てくる。俳優は有機栽培のブルーベリーにこだわっている。ブルーベリーは実際に視力をととのえるのに効果があるからね。なんだか健康食品の宣伝みたいだけれど……。
しかし、どうしてなんだろう。「形而上学(哲学)」的テーマの映画というのはどうしても「底」が浅くなる。えっ、現実ってこんな変な(突発的な)形で欲望を剥き出しにするのか、というようなことが起きない。
ストーリーに合致する影像を探し出してつなげるからなんだろうなあ。
ジェイク・ギレンホールの二人が最初にあって、手を見せあうシーンなんか、とてもいやだなあ。ばからしいなあ、と思う。
メラニー・ロランにもっといろいろ演じさせてほしかったなあ。あんなにうまいのに、これではもったいない。
(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ1)
自分とそっくりな男がいた--という設定のストーリー。ひとりは大学で歴史を教えている。テーマは「繰り返し」。もうひとりは三流役者。役者のテーマは他人のコピー(繰り返し)ということか。
こういうはじまった瞬間に結論があるような映画は、私は好きではない。
意味ありげに蜘蛛が出てくる。蜘蛛の糸。路面電車の電線(蜘蛛の糸に見える)、蜘蛛の仮面を被った女が天井を歩いてくる、町を歩く巨大な蜘蛛、蜘蛛の自動車事故のあとのガラスの蜘蛛の巣状の亀裂、部屋の中の巨大な蜘蛛……。こういうものに、私は「意味」を求めない。繰り返しがあるだけ。歴史を教えているジェイク・ギレンホールの「ことば」に従えば、あらゆることは繰り返すけれど、人はそこから何も学ばない、というだけ。
でもね。
こういうのは、つまらない男の視点。
この映画で見るべき点は、女の視点。ジェイク・ギレンホールという仕掛けを利用して、女の生き方を的確に描いている。
何か理不尽なことが起きたとき、どう対処するか。女の方法は三つある。
母親のイザベラ・ロッシーニは無視。息子と同じ男がいる。そんなことはあってはならない。だから無視する。無視することで、そういう現実を存在させない。
恋人のメラニー・ロランは違いを明確に識別し、その違いによって俳優の男を拒絶する。メラニー・ロランが見つけ出した違いというのは、指に残る指輪の跡という非常に微妙なものだが、そういうささいなことがらにも女は気づく。男は、そういうささいなことがらに女は気づかないと思っている。ここから悲劇がはじまる。
もうひとつの方法は、それが理不尽であっても受け入れるという方法。役者の妻を演じたサラ・ガドンの役どころ。彼女が妊娠しているのは、他人を受け入れ、それによって新しい何かを生み出すのが女であるということを象徴している。
ジェイク・ギレンホールとサラ・ガドンのセックスシーンはとてもおもしろい。サラ・ガドンは指輪をしている。ジェイク・ギレンホールはもともと指輪をしていないから、指輪に対する意識がない。二人が指を絡ませたとき、サラ・ガドンの指輪がアップされるが、このとき彼女はジェイク・ギレンホールが夫ではないと気がついている。二人が入れ代わったことに気がついている。しかし、彼を受け入れる。「現実」を受け入れる。それだけではなく、さらにその「現実」をたしかなものにするために、積極的に、男にセックスを迫っていく。
このとき、ジェイク・ギレンホールは、いわば蜘蛛の巣にかかった餌だね。
女は必要ではない餌は無視する。嫌いな餌は拒絶する。しかし、必要ならば餌を受け入れる。--と三分類してしまうと、問題が変になるかもしれないけれど。
これに比べると、男というのは馬鹿だから、男の欲望をコピーしているだけである。男は男をコピーする。自分の方法を考え出さない。ひとりでも多くの女とセックスをしてみたい、という夢を男の夢としてコピーするだけである。そして、そういうコピーの過程で同じ間違いを繰り返す(女の信頼をうしなうという過ち、女との愛を台無しにするという過ち)のだが、まあ、気がつかない。自分だけは大丈夫と思う。
こういう単純な映画(形而上学を装った映画は、みんな単純である。矛盾がないからすっきりしてしまう)を、それではどうやって「ごまかして」映画にするか。
この映画は色彩に工夫している。全体がセピア色がかっている。冒頭のあやしげなストリップショーのようなシーンが薄暗いために、最初はこの色彩の工夫に気がつかず、何か変だなあと気がついたらセピア色だった、ということなのだが。
最後の方、ジェイク・ギレンホールの歴史の教授と役者が入れ代わった後、色彩が鮮明になる。現実的になる。その仕掛けが、男の欲望の色として反映されている。どんなに愛されていても自分の女とのセックスはセピア色に見える。初めての女とのセックスは極彩色に見える。
で、ね。その色彩(視力)の変化の仕掛けみたいにブルーベリーが出てくるのだが、これがおかしい。ジェイク・ギレンホールが母親に会ったとき、ブルーベリージュースが出てくる。俳優は有機栽培のブルーベリーにこだわっている。ブルーベリーは実際に視力をととのえるのに効果があるからね。なんだか健康食品の宣伝みたいだけれど……。
しかし、どうしてなんだろう。「形而上学(哲学)」的テーマの映画というのはどうしても「底」が浅くなる。えっ、現実ってこんな変な(突発的な)形で欲望を剥き出しにするのか、というようなことが起きない。
ストーリーに合致する影像を探し出してつなげるからなんだろうなあ。
ジェイク・ギレンホールの二人が最初にあって、手を見せあうシーンなんか、とてもいやだなあ。ばからしいなあ、と思う。
メラニー・ロランにもっといろいろ演じさせてほしかったなあ。あんなにうまいのに、これではもったいない。
(ユナイテッドシネマ・キャナルシティ1)
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