池井昌樹『冠雪富士』(32)(思潮社、2014年06月30日発行)
「人事」という詩は、この詩集に何回か登場することばのスタイルと似ている。同じことばを少し変えて繰り返し、「歌」のようにことばに酔うのだが、さらに繰り返すこと酔いのなかから、ふっと、新しいことばがこぼれて出てくる。それはある意味では酔い疲れた男の「へど」のようにも見えるが、そこには何か未消化なものが鮮やかな形で開いている。それを「美しい」と言う人は少ないかもしれないけれど。辟易した気持ちで見る人もいるだろうけれど。
池井には「へど」を吐いた気持ちなどない。覚えなどない、と言うだろうなあ。
吐いてしまえばすっきりする。そうして、そんなことを忘れて、「ゆうばえ」をほれぼれとみつめてしまう。
こんなさかんなゆうばえ
の「こんな」を見るために、「こんな」に気づくために、池井はどこかを歩いてきた。「こんな」は「いま/ここ」にのみ存在する。そして「いま/ここ」にだけ存在するから、いつでもそれは「見えた」。ただし、そのときは「こんな」という意識はなかった。知らず知らずに見ていて、「いま/ここ」で「こんな」に気がつく。
そうして「ほれぼれ」と放心する。その「放心」のなかへ、「いつか/どこか」で見た夕映えのすべてが集まってくる。
それは「人事」とは無縁の美しいものだ。「人事」ではなく「自然(宇宙)」に属する何かだ。
池井は、ここでは「歌」を歌っている。
また、最後の「ひとごとのよう」が、不思議とおもしろい。「自分のこと」なのに「自分のことではない」。けれど、それをやっぱり「自分」だと思う気持ちがどこかにある。「自分」と「自分以外」が溶け合っている。
「自分」が「ひとごと」になって、そこに「永遠」があらわれる。
「ひとごと」が「自分のこと」になるとき、「永遠」が急にやってくる。この「急に」は別なことばで言うと「知らず知らずに(知らないうちに)」でもある。短い時間と長い時間が出会って、「時間」が消える。
こういう瞬間、「論理(説明)」はいらない。ただ、それに共鳴する「歌」が必要だ。池井は、その「歌」を歌っている。酔ってぼんやりしたときに思い出して歌う流行歌のようなものだけれど、そしてそういうものに「意味」はないのだけれど、ついつい歌ってしまう「こと」のなかに、何か「真実」がある。
「人事」という詩は、この詩集に何回か登場することばのスタイルと似ている。同じことばを少し変えて繰り返し、「歌」のようにことばに酔うのだが、さらに繰り返すこと酔いのなかから、ふっと、新しいことばがこぼれて出てくる。それはある意味では酔い疲れた男の「へど」のようにも見えるが、そこには何か未消化なものが鮮やかな形で開いている。それを「美しい」と言う人は少ないかもしれないけれど。辟易した気持ちで見る人もいるだろうけれど。
よるとしなみにはかてないと
いつかよくきかされたけど
なんのことやらわからずに
ただゆきすぎておいこして
えきのかいだんとぼとぼと
ひとりうつむきのぼるころ
こみあげてくるこのおもい
よるとしなみにはかてないな
どこをまわってへめぐって
うちよせたのかこのおもい
あすのわがみもしらぬげに
ただゆきすぎておいこして
よるとしなみにさらわれて
こんなさかんなゆうばえを
ひとごとのようほれぼれと
池井には「へど」を吐いた気持ちなどない。覚えなどない、と言うだろうなあ。
吐いてしまえばすっきりする。そうして、そんなことを忘れて、「ゆうばえ」をほれぼれとみつめてしまう。
こんなさかんなゆうばえ
の「こんな」を見るために、「こんな」に気づくために、池井はどこかを歩いてきた。「こんな」は「いま/ここ」にのみ存在する。そして「いま/ここ」にだけ存在するから、いつでもそれは「見えた」。ただし、そのときは「こんな」という意識はなかった。知らず知らずに見ていて、「いま/ここ」で「こんな」に気がつく。
そうして「ほれぼれ」と放心する。その「放心」のなかへ、「いつか/どこか」で見た夕映えのすべてが集まってくる。
それは「人事」とは無縁の美しいものだ。「人事」ではなく「自然(宇宙)」に属する何かだ。
池井は、ここでは「歌」を歌っている。
また、最後の「ひとごとのよう」が、不思議とおもしろい。「自分のこと」なのに「自分のことではない」。けれど、それをやっぱり「自分」だと思う気持ちがどこかにある。「自分」と「自分以外」が溶け合っている。
「自分」が「ひとごと」になって、そこに「永遠」があらわれる。
「ひとごと」が「自分のこと」になるとき、「永遠」が急にやってくる。この「急に」は別なことばで言うと「知らず知らずに(知らないうちに)」でもある。短い時間と長い時間が出会って、「時間」が消える。
こういう瞬間、「論理(説明)」はいらない。ただ、それに共鳴する「歌」が必要だ。池井は、その「歌」を歌っている。酔ってぼんやりしたときに思い出して歌う流行歌のようなものだけれど、そしてそういうものに「意味」はないのだけれど、ついつい歌ってしまう「こと」のなかに、何か「真実」がある。
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