野村喜和夫『証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち』(2)(白水社、2015年11月30日発行)
レヴィナスは収容所を体験することで非人称の問題にたどり着いた。それは「イリヤ」というフランス語の言い回し(構文)に注目することで、明確に言語化されている。その野村喜和夫の指摘はよくわかる。しかし、収容所の極限体験に通じるシベリア抑留を体験したからといって、またそこで非人称の問題にぶつかったとしても、だからといって石原が「イリヤ」という構文でなにごとかを考えたとは言えないだろう。フランス語を日常的に話しているから、レヴィナスは「イリヤ」という基本的な言い回しに意識を向け、無意識にやりすごしてきたものを掘り起こし、それを哲学にしたのだろう。石原はフランス語をつかって日常を過ごしているわけではない。また書いている詩は日本語なのだから、レヴィナスを援用するにしても、そのフランス語特有のことばを日本語に引き当てるのは無理というものではないだろうか。
石原の詩のなかに非人称の問題を指摘するならば、それを日本語として指摘しなければならないと思う。どのようなことばに非人称が反映されているか。非人称は日本語ではどう表現するのか。「イリヤ」ではなく、石原の書いていることばのなかから探し出してきて実証しなければならない。
野村はその「手間」を省いて、「イリヤ」に頼っている。こういう「依存」をレヴィナスの哲学を石原の詩に導入して読むと言っていいのかどうか、私にはわからない。
きのうは、そういうことを書いたつもり。
きょうは、アガンベンの哲学を引用している部分を読んでみる。野村は、
というアガンベンのことばをよりどころにして、石原について語っていると思う。「証言するものは、証言されないものでしかありえない」や「非-言語を言語が引き受け、非-言語のうちで言語が生まれるのだ」というのは、きのう書いたことに少し関連させると、まるで「禅問答」である。だから、「感覚の意見」として書くのだが、こういうことはアガンベンではなく、禅宗のお坊さんの「講話」のなかにきっと語られているだろうなあ、と私は「予感」する。お坊さんの「講話」から語りなおしてもらえると、きっと、「日本語らしい哲学」になるだろうなあ、と思うのである。ここでも、なぜアガンベンという外国人の、外国語について書かれた文章が日本語(石原の詩)を読むときの支えになるのか、私にはどうにもわからない。
で。
野村が引用しているアガンベンのことばのなかで、私が注目したのは「閾」である。「しきい」と読むのだと思う。
「しきい/閾」とは何か。
野村が注目している石原のことばでは「位置」がいちばん近いように感じた。アガンベンが「閾」と書いているものを石原は「位置」と書いているように感じた。(野村の書いている文章を読みながら。)そのことについて書く。
「位置」は「海嘯」という作品に出てくる。これは野村が引用している。私は「孫引き」で読んでいる。私は石原の詩を読んだことはなく、この作品もはじめて読んだ。
私の感想はあとで書くことにして、野村がこの作品について、どう書いているか、それを先に引用しておく。
とてもかっこいい。
かっこいいのだけれど、私は疑問をもった。「位置」を野村は「至高点」と言い換えているのだが、この詩で、石原は「位置」を「至高点」と書いているか。
野村は「位置」を「位置するもの」という形でとらえている。「位」は「くらい」、「置」は「置く」。日常的に「高い位置につく(高い位置にある)」という表現(いいまわし)があるが、そのつかい方を思い起こさせる。この本のなかに何度かでてきたことばを利用していえば「位置」というのは、たしかにそういう「イメージ」をもっている。だから、石原は詩の最高の地点にまで達したというふうに読めば、「位置」のイメージと、「至高点」のイメージが重なって、うーん、かっこいいという感じになるのだが……。
私は「イメージ」あるいは「名詞」というものを、あまり信じていない。ある「ことば」につきまとっている「イメージ」、たとえば「位置→高い位置→至高点」という感じの連想を信じていない。そういう「イメージ」としての「名詞」よりも、そのまわりに動いている「動詞」に注目してことばを読んでいる。
で、私なりの読み方をすると。
まず一行目に
という動詞が出てくる。「踏みこえた」は「踏む」+「こえる」。「こえた」は「生涯でこえた」という形で三行目でも出てくる。「踏む」という動詞は、
という部分に出てくる。
ここに注目するなら「位置」は、石原にあっては「到達する地点」ではない。「踏みこえる地点」にならないか。
ここにも「位置」と「ふみこえた」という動詞がいっしょに出てくる。「ふみこえた」は直前に「あゆみ捨て(る)」という動詞でも言い直されている。「あゆみ捨て」は「ふみこえた」と言い直されているというべきか。「あゆみ」は「足で歩む」である。「めりこんだ右の/おや指から」という前半にでてきたことばも「足」が強く意識されている。「位置」は、石原にあっては、「踏みこえる」ものとして意識されているように思う。「位置する」、つまり「位置につく」という形では意識されていないように思う。
「位置」を石原は「存在/名詞」として、どうとらえていたのか。
「あゆみ捨て」「ふみこえた」のあいだに「ありえざる距離」ということばがある。「ありえざる距離」とは「短い距離」というよりも「長大な距離」だろう。そこを石原は「歩いて」「捨てて」、「踏んで」「こえた」のである。
「距離」をもっているということは、それが「長い/広い」ということである。「位置」は「点」ではなく「域」なのである。
で。
「域」ということば(漢字)を書いた瞬間、私はここでアガンベンのつかっている「閾/しきい」ということばを思うのである。誰がアガンベンのイタリア語を「閾」と訳したのか知らないが、ちょっと、唸らずにはいられない。
「しきい」というと線(境界線)のイメージを持ってしまうが、「閾」という漢字のなかには「域」の文字と重なるものがある。門構え、土ヘンを取り払うと「或」という文字が重なる。それは「存在」をあらわすことばであったり、「不特定」をあらわすことばであったりする。ふたつあわせて、「不特定な何かの存在」と考えると、それはとても刺激的だ。
「位置」は石原にあっては「特定できない」ものである。「特定できない」けれど、「踏みこえる」ものなのである。それは「踏む」ときにのみ、その足の下に生まれてくるものであり、「踏み」ながら、その生まれてくるものを「捨てて」行くことが「こえる」ことなのだろう。つまり「踏みこえる」という「動詞」が生み出す「特定できない何か」なのである。
特定できないからこそ、
という表現になる。海であり、海ではない。河であり、河でない。どちらであると特定すると、それは違ったものになってしまう。(またしても禅問答だ!)
ここに登場する「きわ」はやはり「閾」に通じる。「閾」は何かと何かをわける「きわ」でもある。けれど、その「わける」ということができないとき(どちらであると特定できないとき)もある。
この「分けることができない(特定できない)」ことを「非-言語」と呼べばアガンベンにつながるだろうけれど、「分けることができない」を「分節できない」と言い直すと、いまはやりの井筒俊彦の言語哲学につながるだろう。「分節されない領域」を「無分節」と呼び、その「無分節」と「分節」のあいだにあるもの「閾」と呼ぶと、私の知っている井筒俊彦そのものになる。(私はただし「無分節」という井筒のことばを「未分節」と「誤読」しながら考えているので、私の書いていることは、「誤解/誤読」のたぐいになるのだが……。)
ここで、もう一篇、孫引きしながら「位置」の登場する詩を読んでみる。「位置」というタイトルの詩。
ここに書かれている「位置」は、野村が「位置する」という「動詞」でとらえたように、ある特定の一点のように見えるかもしれない。「目指す位置」の「目指す」がそういうことを想像させるし、最終行の「最もすぐれた」も「至高点」を想像させる。「正午」というのも「至高」を連想させる。
けれども、「その右でも おそらく/そのひだりでもない」という表現に注目するなら「特定できない点」になるだろう。
という先に読んだ詩の二行を思わず思い返してしまうのだが、「特定できない/特定しない」ということは、石原にとってとても重要な問題なのだ。
書き出しの「しずかな肩には/声だけがならぶのではない/声よりも近く/敵がならぶのだ」では「声(たぶん仲間の声)」と「敵(敵の声)」、つまり「仲間」か「敵」かが「特定できない」という「極限状態/分節できない状態」をあらわしているだろう。「ならぶ」という「動詞」は門構えの門の形を思い起こさせる。その「特定できない仲間/敵」の「閾」、「あいまいな距離/領域」が、そこにある。
「ならぶ」という「動詞」を読み替えてみる必要があるのかもしれない。ただ「ならぶ」のだろうか。つまり、このとき石原は「ならんで/立っている」のか。私に「ならんで/歩いている」ように思える。「目指す位置」の「目指す」が「歩く」という「動詞」を刺戟する。書かれていないけれど、「ならんで/歩いている」。この「ならんで/歩く」というのはシベリアでの石原には「日常的」なことだったのではないか。「歩かされる」それも「ならんで」、つまり「規則にしたがって」歩かされる。
ならんで歩いているのは、仲間(日本兵)である。こういうことはあまり書きたくないが、その仲間のなかには、「敵」にかわる人もいるかもしれない。極限状況のなかでは、信じられるのは自分だけかもしれない。(ここから、非人称というものも生まれてくるだろう。)
ならんで歩いているが、ならんで歩いているのではない。「ならんで」を「支えあって」と言い換えれば、この歩みの状態がわかる。その「歩み」(歩みつづける)という「動詞」だけが「生きる」ということである。
このとき、
は単なる「分節できない」という意味をこえる。「分節しない」なのだ。「仲間」にも「敵」にもならない。それこそ「非人称」の存在になって、歩く。「足の下に、どちらでもない領域」を生み出しつづける。井筒俊彦のことばを借りていえば「無分節」の「閾」のなかに入ってしまう。そして瞬間瞬間にその「閾」をこえて、自分を「分節する」。(「無分節」を「未だ分節されない」という意味で、私は「未分節」と「誤読」する。)その「分節」の仕方、どういう「動詞」で自分を「分節する」かというと、「呼吸する」「挨拶する」なのである。
仲間になるな、敵になるな。しかし、無言ではだめだ。非人称の人間になってはいけない。「挨拶する」という形で、常に自分を「分節する」。挨拶は人間が人間であることを証明する方法なのだ。挨拶は自分が「敵ではない」という証明であり、「私は無防備である」という証明でもある。
というのは、このままでは何のことか私にはわからないが、「なる」という「動詞」に注目して、私は
と読んでみる。「なる」を「なれ」という命令形に変えるのは、そのあとにつづくことばが「挨拶せよ」と命令形になっているからである。「正午」と「真ん中」、「弓」はこの場合「真ん中を指し示す時計の針」のようなものであり、大事なのは「弓」とう比喩よりも、書かれていない「指し示す」という「動詞」かもしれない。「位置になれ」は「指し示せ」でもある。そして「位置」とは「一点」ではなく「領域」であったことを思うと、そういう「領域」で自己と他者を共存させよ、ということかもしれない。共存の「手がかり」が「挨拶する」という「動詞/行為」かもしれない。
そんなふうに、私は読みたい。「誤読」したい。
レヴィナスは収容所を体験することで非人称の問題にたどり着いた。それは「イリヤ」というフランス語の言い回し(構文)に注目することで、明確に言語化されている。その野村喜和夫の指摘はよくわかる。しかし、収容所の極限体験に通じるシベリア抑留を体験したからといって、またそこで非人称の問題にぶつかったとしても、だからといって石原が「イリヤ」という構文でなにごとかを考えたとは言えないだろう。フランス語を日常的に話しているから、レヴィナスは「イリヤ」という基本的な言い回しに意識を向け、無意識にやりすごしてきたものを掘り起こし、それを哲学にしたのだろう。石原はフランス語をつかって日常を過ごしているわけではない。また書いている詩は日本語なのだから、レヴィナスを援用するにしても、そのフランス語特有のことばを日本語に引き当てるのは無理というものではないだろうか。
石原の詩のなかに非人称の問題を指摘するならば、それを日本語として指摘しなければならないと思う。どのようなことばに非人称が反映されているか。非人称は日本語ではどう表現するのか。「イリヤ」ではなく、石原の書いていることばのなかから探し出してきて実証しなければならない。
野村はその「手間」を省いて、「イリヤ」に頼っている。こういう「依存」をレヴィナスの哲学を石原の詩に導入して読むと言っていいのかどうか、私にはわからない。
きのうは、そういうことを書いたつもり。
きょうは、アガンベンの哲学を引用している部分を読んでみる。野村は、
結合の非-場所たる「人間」という閾において生起するものこそが証言にほかならない。
証言するものは、けっして言葉ではありえず、けっして文字ではありえない。それが証言するものは、証言されないものでしかありえない。そして、これは、欠落から生まれてくる音であり、孤立した者によって話される非-言語である。非-言語を言語が引き受け、非-言語のうちで言語が生まれるのだ。
というアガンベンのことばをよりどころにして、石原について語っていると思う。「証言するものは、証言されないものでしかありえない」や「非-言語を言語が引き受け、非-言語のうちで言語が生まれるのだ」というのは、きのう書いたことに少し関連させると、まるで「禅問答」である。だから、「感覚の意見」として書くのだが、こういうことはアガンベンではなく、禅宗のお坊さんの「講話」のなかにきっと語られているだろうなあ、と私は「予感」する。お坊さんの「講話」から語りなおしてもらえると、きっと、「日本語らしい哲学」になるだろうなあ、と思うのである。ここでも、なぜアガンベンという外国人の、外国語について書かれた文章が日本語(石原の詩)を読むときの支えになるのか、私にはどうにもわからない。
で。
野村が引用しているアガンベンのことばのなかで、私が注目したのは「閾」である。「しきい」と読むのだと思う。
「しきい/閾」とは何か。
野村が注目している石原のことばでは「位置」がいちばん近いように感じた。アガンベンが「閾」と書いているものを石原は「位置」と書いているように感じた。(野村の書いている文章を読みながら。)そのことについて書く。
「位置」は「海嘯」という作品に出てくる。これは野村が引用している。私は「孫引き」で読んでいる。私は石原の詩を読んだことはなく、この作品もはじめて読んだ。
どのように踏みこえたか
それを知らねばならぬ
生涯でこえたといえる
およそ一つのもので
あったから
残照へあかく殺(そ)いだ
落差とも
断層ともつかぬ壁の一列が
わずかに風と拮抗した
そのつかのまを
見すえてから
その位置を不意に
踏み出したのだ
めりこんだ右の
おや指から
海がその巨きさで
河をおびやかし
河がその丈(たけ)で
一文字にあらがうさまに
わずかに彼は耐えた
からくもにぎりすてた
砂のいくばくへ もし
神が顕(た)つのであれば そのときを
おいてなかった
海嘯がたける位置へ
およそ何歩であったろう
大またで一挙に
ありえざる距離をあゆみ捨て
さいごのひときわを
ふみこえたのだ
海も空も一時に夙いだ
海とも呼べ
河とも呼べるきわで
その姿は消えた
あやうく見すごした
その両岸(ぎし)のしずかなものへ
彼は おわりの
想いをかけた
河はその果てであふれ
海はそのすがたで満ち
神を信じうるまでの距離を
人は さいごに
見うしなった
(注 「夙」に野村は「ママ」と注記している。「凪」なのだろう)
私の感想はあとで書くことにして、野村がこの作品について、どう書いているか、それを先に引用しておく。
問題なのは、「海とも呼べ/河とも呼べるきわ」なのである。そこに位置するものの「姿は消え」、「神を信じうる距離」も「見うしな」われてしまうような--そして幸福と死とがひとつに収斂してしまうような--至高点、それをこそ石原は、たとえ一瞬にせよ詩的に生ききったのではあるまいか。
とてもかっこいい。
かっこいいのだけれど、私は疑問をもった。「位置」を野村は「至高点」と言い換えているのだが、この詩で、石原は「位置」を「至高点」と書いているか。
野村は「位置」を「位置するもの」という形でとらえている。「位」は「くらい」、「置」は「置く」。日常的に「高い位置につく(高い位置にある)」という表現(いいまわし)があるが、そのつかい方を思い起こさせる。この本のなかに何度かでてきたことばを利用していえば「位置」というのは、たしかにそういう「イメージ」をもっている。だから、石原は詩の最高の地点にまで達したというふうに読めば、「位置」のイメージと、「至高点」のイメージが重なって、うーん、かっこいいという感じになるのだが……。
私は「イメージ」あるいは「名詞」というものを、あまり信じていない。ある「ことば」につきまとっている「イメージ」、たとえば「位置→高い位置→至高点」という感じの連想を信じていない。そういう「イメージ」としての「名詞」よりも、そのまわりに動いている「動詞」に注目してことばを読んでいる。
で、私なりの読み方をすると。
まず一行目に
踏みこえた
という動詞が出てくる。「踏みこえた」は「踏む」+「こえる」。「こえた」は「生涯でこえた」という形で三行目でも出てくる。「踏む」という動詞は、
その位置を不意に
踏み出したのだ
という部分に出てくる。
ここに注目するなら「位置」は、石原にあっては「到達する地点」ではない。「踏みこえる地点」にならないか。
海嘯だけがたける位置へ
およそ何歩であったろう
大またで一挙に
ありえざる距離をあゆみ捨て
さいごのひときわを
ふみこえたのだ
ここにも「位置」と「ふみこえた」という動詞がいっしょに出てくる。「ふみこえた」は直前に「あゆみ捨て(る)」という動詞でも言い直されている。「あゆみ捨て」は「ふみこえた」と言い直されているというべきか。「あゆみ」は「足で歩む」である。「めりこんだ右の/おや指から」という前半にでてきたことばも「足」が強く意識されている。「位置」は、石原にあっては、「踏みこえる」ものとして意識されているように思う。「位置する」、つまり「位置につく」という形では意識されていないように思う。
「位置」を石原は「存在/名詞」として、どうとらえていたのか。
「あゆみ捨て」「ふみこえた」のあいだに「ありえざる距離」ということばがある。「ありえざる距離」とは「短い距離」というよりも「長大な距離」だろう。そこを石原は「歩いて」「捨てて」、「踏んで」「こえた」のである。
「距離」をもっているということは、それが「長い/広い」ということである。「位置」は「点」ではなく「域」なのである。
で。
「域」ということば(漢字)を書いた瞬間、私はここでアガンベンのつかっている「閾/しきい」ということばを思うのである。誰がアガンベンのイタリア語を「閾」と訳したのか知らないが、ちょっと、唸らずにはいられない。
「しきい」というと線(境界線)のイメージを持ってしまうが、「閾」という漢字のなかには「域」の文字と重なるものがある。門構え、土ヘンを取り払うと「或」という文字が重なる。それは「存在」をあらわすことばであったり、「不特定」をあらわすことばであったりする。ふたつあわせて、「不特定な何かの存在」と考えると、それはとても刺激的だ。
「位置」は石原にあっては「特定できない」ものである。「特定できない」けれど、「踏みこえる」ものなのである。それは「踏む」ときにのみ、その足の下に生まれてくるものであり、「踏み」ながら、その生まれてくるものを「捨てて」行くことが「こえる」ことなのだろう。つまり「踏みこえる」という「動詞」が生み出す「特定できない何か」なのである。
特定できないからこそ、
海とも呼べ
河とも呼べるきわで
という表現になる。海であり、海ではない。河であり、河でない。どちらであると特定すると、それは違ったものになってしまう。(またしても禅問答だ!)
ここに登場する「きわ」はやはり「閾」に通じる。「閾」は何かと何かをわける「きわ」でもある。けれど、その「わける」ということができないとき(どちらであると特定できないとき)もある。
この「分けることができない(特定できない)」ことを「非-言語」と呼べばアガンベンにつながるだろうけれど、「分けることができない」を「分節できない」と言い直すと、いまはやりの井筒俊彦の言語哲学につながるだろう。「分節されない領域」を「無分節」と呼び、その「無分節」と「分節」のあいだにあるもの「閾」と呼ぶと、私の知っている井筒俊彦そのものになる。(私はただし「無分節」という井筒のことばを「未分節」と「誤読」しながら考えているので、私の書いていることは、「誤解/誤読」のたぐいになるのだが……。)
ここで、もう一篇、孫引きしながら「位置」の登場する詩を読んでみる。「位置」というタイトルの詩。
しずかな肩には
声だけがならぶのではない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓(たわ)み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
きみの位置からの それが
最もすぐれた姿勢である
ここに書かれている「位置」は、野村が「位置する」という「動詞」でとらえたように、ある特定の一点のように見えるかもしれない。「目指す位置」の「目指す」がそういうことを想像させるし、最終行の「最もすぐれた」も「至高点」を想像させる。「正午」というのも「至高」を連想させる。
けれども、「その右でも おそらく/そのひだりでもない」という表現に注目するなら「特定できない点」になるだろう。
海とも呼べ
河とも呼べるきわで
という先に読んだ詩の二行を思わず思い返してしまうのだが、「特定できない/特定しない」ということは、石原にとってとても重要な問題なのだ。
書き出しの「しずかな肩には/声だけがならぶのではない/声よりも近く/敵がならぶのだ」では「声(たぶん仲間の声)」と「敵(敵の声)」、つまり「仲間」か「敵」かが「特定できない」という「極限状態/分節できない状態」をあらわしているだろう。「ならぶ」という「動詞」は門構えの門の形を思い起こさせる。その「特定できない仲間/敵」の「閾」、「あいまいな距離/領域」が、そこにある。
「ならぶ」という「動詞」を読み替えてみる必要があるのかもしれない。ただ「ならぶ」のだろうか。つまり、このとき石原は「ならんで/立っている」のか。私に「ならんで/歩いている」ように思える。「目指す位置」の「目指す」が「歩く」という「動詞」を刺戟する。書かれていないけれど、「ならんで/歩いている」。この「ならんで/歩く」というのはシベリアでの石原には「日常的」なことだったのではないか。「歩かされる」それも「ならんで」、つまり「規則にしたがって」歩かされる。
ならんで歩いているのは、仲間(日本兵)である。こういうことはあまり書きたくないが、その仲間のなかには、「敵」にかわる人もいるかもしれない。極限状況のなかでは、信じられるのは自分だけかもしれない。(ここから、非人称というものも生まれてくるだろう。)
ならんで歩いているが、ならんで歩いているのではない。「ならんで」を「支えあって」と言い換えれば、この歩みの状態がわかる。その「歩み」(歩みつづける)という「動詞」だけが「生きる」ということである。
このとき、
その右でも おそらく
そのひだりでもない
は単なる「分節できない」という意味をこえる。「分節しない」なのだ。「仲間」にも「敵」にもならない。それこそ「非人称」の存在になって、歩く。「足の下に、どちらでもない領域」を生み出しつづける。井筒俊彦のことばを借りていえば「無分節」の「閾」のなかに入ってしまう。そして瞬間瞬間にその「閾」をこえて、自分を「分節する」。(「無分節」を「未だ分節されない」という意味で、私は「未分節」と「誤読」する。)その「分節」の仕方、どういう「動詞」で自分を「分節する」かというと、「呼吸する」「挨拶する」なのである。
仲間になるな、敵になるな。しかし、無言ではだめだ。非人称の人間になってはいけない。「挨拶する」という形で、常に自分を「分節する」。挨拶は人間が人間であることを証明する方法なのだ。挨拶は自分が「敵ではない」という証明であり、「私は無防備である」という証明でもある。
正午の弓となる位置で
というのは、このままでは何のことか私にはわからないが、「なる」という「動詞」に注目して、私は
正午の弓の位置になれ
と読んでみる。「なる」を「なれ」という命令形に変えるのは、そのあとにつづくことばが「挨拶せよ」と命令形になっているからである。「正午」と「真ん中」、「弓」はこの場合「真ん中を指し示す時計の針」のようなものであり、大事なのは「弓」とう比喩よりも、書かれていない「指し示す」という「動詞」かもしれない。「位置になれ」は「指し示せ」でもある。そして「位置」とは「一点」ではなく「領域」であったことを思うと、そういう「領域」で自己と他者を共存させよ、ということかもしれない。共存の「手がかり」が「挨拶する」という「動詞/行為」かもしれない。
そんなふうに、私は読みたい。「誤読」したい。
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