詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎『女に』再読

2016-03-19 10:54:18 | 詩集
谷川俊太郎『女に』再読

 詩をどんなふうに読んでいるか、ということを話してみたいと思います。谷川俊太郎に「女に」という詩集があります。佐野洋子の絵といっしょになった詩集です。谷川は佐野と出会い、結婚し、やがて離婚します。「女に」は佐野と出会い、結婚したことを書いています。生まれる以前「未生」から「誕生」し、出会い、死ぬまでを男と女の生涯という形で書いています。

未生

あなたがまだこの世にいなかったころ
私もまだこの世にいなかったけれど
私たちはいっしょに嗅いだ
曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを
そして知ったのだ
いつか突然私たちの出会う日がくると
この世の何の変哲もない街角で

 説明の必要のない、わかりやすい詩だと思います。この詩集で谷川は丸山豊賞を受賞しています。でも、私は、こんな簡単な、わかりやすい詩が好きではない。けなしたいなあ、文句をつけないなあ、と思いました。そして、最初は否定的な感想を書きました。しかし途中で、奇妙なことに気づきました。

会う

始まりは一冊の絵本とぼやけた写真
やがてある日ふたつの大きな目と
そっけないこんにちは
それからのびのびとしたペン書きの文字
私は少しずつあなたに会っていった
あなたの手に触れる前に
魂に触れた

 谷川が佐野と出会う詩です。「あなたの手に触れる前に/魂に触れた」というのは「サビ」、泣かせどころです。かっこいいですね。
 でも、私がびっくりしたのは、その直前の「私は少しずつあなたに会っていった」
という一行。ちょっと変なことば。「会っていった」というのが変。「出会いを深めていった」くらいの意味になると思います。「少しずつ」出会いを深めていった、なら、自然な日本語になるかなあ、と思います。そういうことを考えながら、もういっぺん読み返したとき、「少しずつ」は何気なく書かれているけれど、とても重要なことばだと気がつきました。
 「少しずつ」は「少しずつ、何かをする」というつかい方をしますね。谷川は、ここでは「少しずつ、していった」という形でつかっています。しかし、この「少しずつ」と「いった」はなくても「意味」は通じる。「私はあなたに会った」「私はあなたとの出会いを深めた」。
 でも、谷川は「少しずつ」と書かずにはいられなかった。書かないと、谷川の気持ちにあわないと感じたんだと思います。谷川は佐野と会ったということよりも、その出会いが「少しずつ」愛に変わっていったということを書きたかったんだ。そう気づいたのです。
 そうか、少しずつということが書きたかったのか」。そう思って詩集を読み返すと、
「少しずつ」はいたるところに隠れています。「少しずつ」ということばは書かれていないけれど、「少しずつ」を補うとよりわかりやすくなる詩があります。

指先

指先はなおも冒険をやめない
ドン・キホーテのように
おなかの平野をおへその盆地まで遠征し
森林限界をこえて火口へと突き進む

 これはセックスの詩。セックスというのははげしいのが魅力的だと思うのですが、この詩にははげしさがない。むしろ「少しずつ」を補って、おなかの平野をおへその盆地まで「少しずつ」遠征し/森林限界をこえて火口へと「少しずつ」突き進む、という感じ。

 「少しずつ」は別なことばで言い換えられているときもあります。

心臓

それはちいさなポンプにすぎないのだが
未来へと絶え間なく時を刻み始めた
それはワルツでもボレロでもなかったが
一拍ごとに私の喜びへと近づいてくる

 「一拍ごと」は「少しずつ」ですね。谷川は、佐野と出会い、少しずつ愛を発見し、少しずつ変わっていった。そういう「少しずつ」を「未生」から「死ぬ」までの、いくつもの瞬間に区切って、「少しずつ」書いたのか、と気づいたのです。
 そしてこの「少しずつ」が、この詩集の「キーワード」、思想の核心をあらわすことばだと思いました。
 「少しずつ、何かをする」というのが谷川の「思想」なんですね。
 思想とか、キーワードというと難解なことばを思い浮かべることが多い。けれど、私は逆に、身近で、わかりやすすぎることば、ついつい省略してしまうことば、そういうものこそ、その人の身に付いた考え方の根本だと思っています。
 自分にとって大事なことばは、大事すぎて、大事という感覚もなくなります。忘れてしまうくらい、からだにしみついてしまっている。たいていの場合、ほんとうに忘れてしまって、作品に書かれることはありません。
 それがときどき、書きたいことがうまく書けなくなると、突然、ことばを突き破って出てくる。先に紹介した詩のように。「少しずつ会っていった」というような、
ちょっと奇妙な形のことばになって、出てきます。
 こういうことばを探し当てると、詩がとても身近になります。ことばではなく、そこにその人がいるような感じがしてきます。
 私は「女に」で「少しずつ」ということばに出会うまでは谷川の詩は好きではありませんでした。でも、その後、谷川がことばのなかで動いている様子が見えるようになり、好きになりました。
 私は、そういう、好きになるきっかけのことばを探しながら詩を読んでいます。





女に―谷川俊太郎詩集
谷川 俊太郎
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