八重洋一郎「襲来」(「イリプスⅡ」、2016年03月10日発行)
アメリカとキューバが国交を回復した。アメリカの大統領がキューバを訪問した。そのことと直接書いているわけではないのだが、八重洋一郎「襲来」に「キューバ危機」ということばが出てくる。
「あの島」はキューバと読むことができる。五十年前、たぶん私はキューバと思って読んだだろう。ソ連(当時)がキューバに核ミサイルを持ち込む。その艦船が大西洋を渡ってきている。それをケネディが阻む。遠いところで戦争が起きるんじゃないか、そんなことを「夢」のように感じていた。小学生だったと思う。(ケネディが生きていた時代だから、中学生にはなっていなかったと思うが、中学生でも、やはり「夢」のように感じただろうと思う。)
核戦争になれば、キューバは島ごとなくなってしまう。
それを心配している詩、と読むことができる。
ところがこの詩に書かれている「あの島」は、もちろんキューバではない。八重の「故郷」である沖縄のことである。
そういうことは、いまならわかるが、五十年前、私はきっとわかっていない。「基地満載のわが故郷」と「あの島」が言い換えられているけれど、それでも「あの島」をキューバと思っただろう。「基地満載のキューバ」、それは「わが故郷」と同じような存在である、つまり、「比喩」として「わが故郷」ということばを読んでしまったに違いない。
沖縄の距離の近さが、小学生の想像力のなかでは邪魔になる。アメリカ-キューバ-ソ連という「地図」を思い描くとき、その地球儀のなかから沖縄は抜け落ちてしまう。沖縄に基地があり、そこもアメリカなのだということが抜け落ちてしまう。日本が核戦争に巻き込まれていく、その戦場になるということが、わからない。キューバに核爆弾が落とされたら、アメリカに核爆弾が落とされたら、ソ連に核爆弾が落とされたら、その放射能の影響が日本にも及んでくるくらいの感じでしか、想像できない。「遠いところ」をどうしても想像してしまう。
(私には、どうも「比喩」と「現実」を比較した時、「比喩/遠いもの」の方をリアルに感じる癖があるのだが、それは小さい時からの癖である。)
で、なぜ、こんな「誤読」を、あるいは「誤読の弁解」を書くかと言えば……。
私にかぎらず、多くの日本人は「キューバ危機」(核戦争の危機)を「日本の問題/日本の実感」として感じなかったかもしれないと思うからである。核戦争が始まれば、沖縄の核も発射され、また沖縄が核攻撃の対象になると「実感」していなかったと思う。
「周囲には杞憂をひやかす冷たい笑いが漂っていた」というのは、「キューバ危機」を「夢の核戦争/核戦争の夢(遠い場所での戦争)」と多くのひとが感じていたことをあらわしている。少なくとも「実感」の、「実」の距離感が八重とほかのひと(東京のひと)とのあいだでは違っていたということを語っていると思う。
ところが八重は、「キューバ危機」を「キューバ危機」と感じていたのではなく「沖縄危機」と感じていたのだ。「核戦争」は「局地」にとどまらない。実際に戦争が始まれば、ソ連が攻撃するのはアメリカ本土だけではない。ソ連に攻撃を仕掛けてくる可能性のあるすべてのアメリカ軍の基地が対象となる。アメリカ本土が攻撃されている時、アメリカ本土から防衛(?)すると同時に、まだ攻撃を受けていない基地の戦力を利用するのは当然のことである。ソ連がアメリカ本土を攻撃しているあいだに、沖縄からソ連に反撃するということは当然のことである。そして、それが当然のことなら、ソ連は沖縄にも核爆弾を落とすはずである。「核戦争の夢/夢の核戦争」は「夢」ではないのだ。基地を実際に見て育ってきた八重には、それは「事実」である。まだ「戦争」は起きていないが、ソ連の艦隊がキューバに近づくたびに、それは「事実」になる。「実感」は「事実」を突き抜けて「悪夢」となって八重を襲っている。
はっ、とした。
私は米兵のことばがなかったら、八重が感じている「実感」を「実感」できなかった。いまでも八重の感じていることを「実感」できているかどうかはわからないけれど、米兵のことばを通ることで、少し何かがわかった。米兵とことばを共有している八重の、その「共有」の部分が浮かび上がり、私にも「客観的」に見えてきたのかもしれない。
こういうことは、ほんとうは、沖縄に暮らさないとわからないことかもしれない。「実感」には、なかなかならない。想像力には限界がある。
繰り返しておく。
という行を読んだあとでも、あ、「あの島」は「沖縄」? でも、キューバとも読むことができるなあ、とまだ思ったりする。キューバと読むと、ことばの世界が広くなるなあ、と思ったりする。「想像力」で世界全体をつかんでいると錯覚する。「想像」が「実感」を隠してしまう。「想像」を「実感」がたたき壊して動いていかない。
「あの島」が「沖縄」であると、私がはっきり実感するのは、「自分たちは毎日毎日 核弾頭付きミサイルの発射準備をしていた」という米兵のことばが引用されてからである。
沖縄の一般市民ではなく、沖縄の基地にいた米兵が「核戦争の危機/自分たちのいる基地が攻撃される可能性もある/その前に攻撃しないといけない」と緊張していたと語ることばを知ってからである。「暗号」を操作するクラスの米兵は、みな、「世界の終わり」を「実感」している。その「実感」が沖縄を媒介にして、米兵と八重を「ひとり」にする。「不安」が「ふたり」を合体させ「ひとり」になる。その「ひとり」になって膨張する「不安」に出会い、初めて私は「不安」というものを実感する。「沖縄」が「世界」の中心になる。核戦争が起きたとき、そこは「他国の問題/国際問題」ではなく、「自国」の問題として迫ってくる。
キューバ危機のときもそうだったが、いまでも私たちは、ほんとうに沖縄の「不安」を「実感」できているだろうか。
たとえば……。
先日読んだニュースに、中谷防衛相と稲嶺名護市長のやりとりがあった。
中谷「一番大事なのは、普天間飛行場周辺の危険性を除去することだ」
稲嶺「普天間の危険性は、辺野古にきても同じ危険なもの」
「危険」の感じ方が違うのだ。中谷は「危険」など、実感していない。普天間から辺野古へ基地が移転しても、沖縄は「危険」の中心にある。
米兵が感じている「危機感」も、もちろん中谷は持っていないだろう。
では、中谷は(あるいは、中谷を任命した安倍は)、どう思っているか。
「沖縄は楯となれ」「防壁となれ」「生餌となれ」「捨石となれ」と思っているのだ。中谷/安倍は「思っていない」と「答弁」するかもしれないが、沖縄の市民には「沖縄は楯となれ」「防壁となれ」「生餌となれ」「捨石となれ」と言っているとしか聞こえない。普天間の危険を減らしても辺野古が危険になるなら、まったく同じ。何もしていないに等しい。何もしていないのに、辺野古に基地をつくることで何かをしているとごまかそうとしている。
基地を普天間から辺野古に移せば問題が解決すると考えているひとは、どこかで中谷/安倍と同じように、「沖縄は楯となれ」「防壁となれ」「生餌となれ」「捨石となれ」と無意識の内に思っていることになる。中谷/安倍の主張を支えていることになる。
この批判(八重は明言はしていないが)は、しっかりと聞かないといけない。受けとめないといけない。
「実感」の共有はむずかしい。「実感」にたどりつくまでが、むずかしい。むずかしいからこそ、私は自分の「感じ」を何度も揺さぶってみる。「感じ」から「定型」が振り落とせるかどうかわからないが、「誤読」をぶつけながら、自分のことばをゆさぶってみる。
私は、しょっちゅう間違う。何度も同じところで間違う。だから何度でも「間違えた」と書く。そうやって書いたこともまた間違いかもしれないが。でも、間違っていた、知らなかった、わからなかったと書くことでしか、いまやっと気づいたことを明らかにできない。
アメリカとキューバが国交を回復した。アメリカの大統領がキューバを訪問した。そのことと直接書いているわけではないのだが、八重洋一郎「襲来」に「キューバ危機」ということばが出てくる。
たった五十年前
キューバ危機
もうみんな忘れてしまったかもしれないが
世界は二つに割れて震撼していた 在京貧窮学生 私の心も
罅割れて 一日一日 私は何かの寸前であった
「あの島はもう一欠片(ひとかけら)も残さず砕かれ焙られ蒸発しているのでは…」
「もう無くなっているのでは…」
小さなラジオに齧りつき 「基地満載のわが故郷」
周囲には杞憂をひやかす冷たい笑いが漂っていたが
かの時の島の米兵は今になって語りだす
「自分たちは毎日毎日 核弾頭付きミサイルの発射準備をしていた
発射するには数々の暗号があるが ある時それが皆一致し発射寸前 標的地が違うと気付いた司令部から緊急命令が届き 発射は取り止め 自分たちは世界の終わりだと思っていた」
「あの島」はキューバと読むことができる。五十年前、たぶん私はキューバと思って読んだだろう。ソ連(当時)がキューバに核ミサイルを持ち込む。その艦船が大西洋を渡ってきている。それをケネディが阻む。遠いところで戦争が起きるんじゃないか、そんなことを「夢」のように感じていた。小学生だったと思う。(ケネディが生きていた時代だから、中学生にはなっていなかったと思うが、中学生でも、やはり「夢」のように感じただろうと思う。)
核戦争になれば、キューバは島ごとなくなってしまう。
それを心配している詩、と読むことができる。
ところがこの詩に書かれている「あの島」は、もちろんキューバではない。八重の「故郷」である沖縄のことである。
そういうことは、いまならわかるが、五十年前、私はきっとわかっていない。「基地満載のわが故郷」と「あの島」が言い換えられているけれど、それでも「あの島」をキューバと思っただろう。「基地満載のキューバ」、それは「わが故郷」と同じような存在である、つまり、「比喩」として「わが故郷」ということばを読んでしまったに違いない。
沖縄の距離の近さが、小学生の想像力のなかでは邪魔になる。アメリカ-キューバ-ソ連という「地図」を思い描くとき、その地球儀のなかから沖縄は抜け落ちてしまう。沖縄に基地があり、そこもアメリカなのだということが抜け落ちてしまう。日本が核戦争に巻き込まれていく、その戦場になるということが、わからない。キューバに核爆弾が落とされたら、アメリカに核爆弾が落とされたら、ソ連に核爆弾が落とされたら、その放射能の影響が日本にも及んでくるくらいの感じでしか、想像できない。「遠いところ」をどうしても想像してしまう。
(私には、どうも「比喩」と「現実」を比較した時、「比喩/遠いもの」の方をリアルに感じる癖があるのだが、それは小さい時からの癖である。)
で、なぜ、こんな「誤読」を、あるいは「誤読の弁解」を書くかと言えば……。
私にかぎらず、多くの日本人は「キューバ危機」(核戦争の危機)を「日本の問題/日本の実感」として感じなかったかもしれないと思うからである。核戦争が始まれば、沖縄の核も発射され、また沖縄が核攻撃の対象になると「実感」していなかったと思う。
「周囲には杞憂をひやかす冷たい笑いが漂っていた」というのは、「キューバ危機」を「夢の核戦争/核戦争の夢(遠い場所での戦争)」と多くのひとが感じていたことをあらわしている。少なくとも「実感」の、「実」の距離感が八重とほかのひと(東京のひと)とのあいだでは違っていたということを語っていると思う。
ところが八重は、「キューバ危機」を「キューバ危機」と感じていたのではなく「沖縄危機」と感じていたのだ。「核戦争」は「局地」にとどまらない。実際に戦争が始まれば、ソ連が攻撃するのはアメリカ本土だけではない。ソ連に攻撃を仕掛けてくる可能性のあるすべてのアメリカ軍の基地が対象となる。アメリカ本土が攻撃されている時、アメリカ本土から防衛(?)すると同時に、まだ攻撃を受けていない基地の戦力を利用するのは当然のことである。ソ連がアメリカ本土を攻撃しているあいだに、沖縄からソ連に反撃するということは当然のことである。そして、それが当然のことなら、ソ連は沖縄にも核爆弾を落とすはずである。「核戦争の夢/夢の核戦争」は「夢」ではないのだ。基地を実際に見て育ってきた八重には、それは「事実」である。まだ「戦争」は起きていないが、ソ連の艦隊がキューバに近づくたびに、それは「事実」になる。「実感」は「事実」を突き抜けて「悪夢」となって八重を襲っている。
はっ、とした。
私は米兵のことばがなかったら、八重が感じている「実感」を「実感」できなかった。いまでも八重の感じていることを「実感」できているかどうかはわからないけれど、米兵のことばを通ることで、少し何かがわかった。米兵とことばを共有している八重の、その「共有」の部分が浮かび上がり、私にも「客観的」に見えてきたのかもしれない。
こういうことは、ほんとうは、沖縄に暮らさないとわからないことかもしれない。「実感」には、なかなかならない。想像力には限界がある。
繰り返しておく。
小さなラジオに齧りつき 「基地満載のわが故郷」
という行を読んだあとでも、あ、「あの島」は「沖縄」? でも、キューバとも読むことができるなあ、とまだ思ったりする。キューバと読むと、ことばの世界が広くなるなあ、と思ったりする。「想像力」で世界全体をつかんでいると錯覚する。「想像」が「実感」を隠してしまう。「想像」を「実感」がたたき壊して動いていかない。
「あの島」が「沖縄」であると、私がはっきり実感するのは、「自分たちは毎日毎日 核弾頭付きミサイルの発射準備をしていた」という米兵のことばが引用されてからである。
沖縄の一般市民ではなく、沖縄の基地にいた米兵が「核戦争の危機/自分たちのいる基地が攻撃される可能性もある/その前に攻撃しないといけない」と緊張していたと語ることばを知ってからである。「暗号」を操作するクラスの米兵は、みな、「世界の終わり」を「実感」している。その「実感」が沖縄を媒介にして、米兵と八重を「ひとり」にする。「不安」が「ふたり」を合体させ「ひとり」になる。その「ひとり」になって膨張する「不安」に出会い、初めて私は「不安」というものを実感する。「沖縄」が「世界」の中心になる。核戦争が起きたとき、そこは「他国の問題/国際問題」ではなく、「自国」の問題として迫ってくる。
キューバ危機のときもそうだったが、いまでも私たちは、ほんとうに沖縄の「不安」を「実感」できているだろうか。
たとえば……。
先日読んだニュースに、中谷防衛相と稲嶺名護市長のやりとりがあった。
中谷「一番大事なのは、普天間飛行場周辺の危険性を除去することだ」
稲嶺「普天間の危険性は、辺野古にきても同じ危険なもの」
「危険」の感じ方が違うのだ。中谷は「危険」など、実感していない。普天間から辺野古へ基地が移転しても、沖縄は「危険」の中心にある。
米兵が感じている「危機感」も、もちろん中谷は持っていないだろう。
では、中谷は(あるいは、中谷を任命した安倍は)、どう思っているか。
急激に狂った気圧 この国のまっ黒い寒気が轟々とたちのぼり
「楯となれ」「防壁となれ」
「生餌(えさ)となれ」「捨石となれ」
きんきん凍った金属音がぎっしりと固まって島々を襲う
「沖縄は楯となれ」「防壁となれ」「生餌となれ」「捨石となれ」と思っているのだ。中谷/安倍は「思っていない」と「答弁」するかもしれないが、沖縄の市民には「沖縄は楯となれ」「防壁となれ」「生餌となれ」「捨石となれ」と言っているとしか聞こえない。普天間の危険を減らしても辺野古が危険になるなら、まったく同じ。何もしていないに等しい。何もしていないのに、辺野古に基地をつくることで何かをしているとごまかそうとしている。
基地を普天間から辺野古に移せば問題が解決すると考えているひとは、どこかで中谷/安倍と同じように、「沖縄は楯となれ」「防壁となれ」「生餌となれ」「捨石となれ」と無意識の内に思っていることになる。中谷/安倍の主張を支えていることになる。
この批判(八重は明言はしていないが)は、しっかりと聞かないといけない。受けとめないといけない。
「実感」の共有はむずかしい。「実感」にたどりつくまでが、むずかしい。むずかしいからこそ、私は自分の「感じ」を何度も揺さぶってみる。「感じ」から「定型」が振り落とせるかどうかわからないが、「誤読」をぶつけながら、自分のことばをゆさぶってみる。
私は、しょっちゅう間違う。何度も同じところで間違う。だから何度でも「間違えた」と書く。そうやって書いたこともまた間違いかもしれないが。でも、間違っていた、知らなかった、わからなかったと書くことでしか、いまやっと気づいたことを明らかにできない。
八重洋一郎詩集 (現代詩人文庫) | |
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