「嵯峨信之全詩集/時刻表(1975)」を読む(3-22)(2017年05月22日)
43 別離
失ってから知る「重さ」。鳥は女であり、木は嵯峨である。もちろん逆もある。区別はできない。区別してはならない。
「木々」に「夜の」ということばがついている。そしてその「夜の」は「夜の孤独」にかわっていく。一人の夜。そのときに感じる孤独。「夜の」がなくても、鳥が飛び去り、鳥の重さを失ったということを知ることはできる。それだけでも悲しみは表現できるが、「夜の」があると、その悲しみに静かな「色」が重なる。
「夜の孤独」というのは常套句だが、こういう常套句を隠していることばに、私は「ことばの肉体」を感じる。「文学」と言い換えてもいい。「文学」を生きてきたことばの力を感じる。
書き出しの、
「花」ではなく「草」を選んでいるところにも「ことばの肉体」を感じる。「花」にしてしまうと抒情的になりすぎる。美しくなりすぎる。「草」にすることで抑制が生まれる。「草」を「親しい」ということばで、特別の存在に替えていく。
細かな部分に詩が動いている。
44 *(死者たちの手だけしか)
この詩から「時刻表」という「章」に入る。
人の評価は死んでから決まると言われる。詩の書き出しはこの定義を逆に言いなおしたもの。死者が生きている人間を判断する、と。
「死者」を「歴史」と読み替えると(誤読すると)、嵯峨の言いたいことがわかる気がする。「死者」とは死んでしまった人というよりも、それまで生きてきた人である。人がどんなふうに生きてきたか、それに思いを巡らすことが、そのまま「人間の鋳型」になる。
詩は、わかりにくいものである。わかりにくいけれど、何かを感じる。感じた何かを考えようとするとき、詩が生まれる。
43 別離
鳥が飛びさつたあと
夜の木々が鳥の重さを知るように
失ってから知る「重さ」。鳥は女であり、木は嵯峨である。もちろん逆もある。区別はできない。区別してはならない。
「木々」に「夜の」ということばがついている。そしてその「夜の」は「夜の孤独」にかわっていく。一人の夜。そのときに感じる孤独。「夜の」がなくても、鳥が飛び去り、鳥の重さを失ったということを知ることはできる。それだけでも悲しみは表現できるが、「夜の」があると、その悲しみに静かな「色」が重なる。
「夜の孤独」というのは常套句だが、こういう常套句を隠していることばに、私は「ことばの肉体」を感じる。「文学」と言い換えてもいい。「文学」を生きてきたことばの力を感じる。
書き出しの、
ふたりのあいだには親しい草を育てる短い時間もなかつた
「花」ではなく「草」を選んでいるところにも「ことばの肉体」を感じる。「花」にしてしまうと抒情的になりすぎる。美しくなりすぎる。「草」にすることで抑制が生まれる。「草」を「親しい」ということばで、特別の存在に替えていく。
細かな部分に詩が動いている。
44 *(死者たちの手だけしか)
この詩から「時刻表」という「章」に入る。
死者たちの手だけしか
人間のほんとうの鋳型を造ることはできない
人の評価は死んでから決まると言われる。詩の書き出しはこの定義を逆に言いなおしたもの。死者が生きている人間を判断する、と。
「死者」を「歴史」と読み替えると(誤読すると)、嵯峨の言いたいことがわかる気がする。「死者」とは死んでしまった人というよりも、それまで生きてきた人である。人がどんなふうに生きてきたか、それに思いを巡らすことが、そのまま「人間の鋳型」になる。
詩は、わかりにくいものである。わかりにくいけれど、何かを感じる。感じた何かを考えようとするとき、詩が生まれる。
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