加計学園文書(あるいは前川抹殺報道)
自民党憲法改正草案を読む/番外78(情報の読み方)
前川・前文部次官の行動と発言に関する「論評」が奇妙な具合に、ずれている。
前川が「出会い系のバー」に行っていたのは、彼が現職の文部次官だったとき。このときなら、教育に携わる人間がそういうところに出入りするのはいかがなものか。こどもへの影響も大きい。だから批判するのは「公益」に合致するという論理は成り立つかもしれない。
しかし、いま、前川は次官ではない。文部省の仕事には携わっていない。
問題にするなら、彼の「出会い系バー」通いが、文部行政にどう影響したか。その結果、こどもの教育がどうなったか、ということを検証しなければならない。前川は、そういうことについては何も問われていない。(だれも問題にしていない)。
過去に「いかがわしい」ことをしたから、その人がいま発言していることを否定する、受け入れないというのは、論理的におかしい。
前川の「出会い系バー」通いと加計学園への「便宜」とは何の関係もない。前川が「出会い系バー」に通っていたことが加計学園にどう影響したのか。いかがわしいところに前川が通っていたから、加計学園の獣医学部新設が認可されたのか。そうではないだろう。問題は誰が、どのように加計学園に配慮したのか、ということ。加計学園の問題点を隠すために、前川の過去(プライバシー)が不必要に語られている。
「問題があるとわかっていたのなら、なぜ、そのときに指摘しなかったか」という批判は、もっともらしく聞こえる。では、それを前川の「出会い系バー」通い問題に適用したら、どうなるのか。
彼が「出会い系バー」に通うことが、文部行政(学校教育)上問題があると言うのなら、それがわかったときに前川を辞任させるべきではなかったのか。
口頭で注意しているが、口頭で注意するくらいですむ問題なら、そしてその注意に従って前川が行動を改めたのなら、なぜ、それをいまさら取り上げて問題にしなければならないのか。前川は、反省して、自分の行動を改めた。それなのに、行動を改める前のことを取り上げて避難するのは、あまりにも理不尽である。
これは悪質な「人格攻撃」である。
人間にはプライバシーがある。そのひと自身の生活がある。他人が干渉する権利はない。だいたい、どうやって前川が「出会い系バー」に通っていたことを内閣は知ったのか。情報源はどこなのか。どうやって確認したのか。前川に注意した人間が、尾行して、調べたのか。警察をつかって尾行させて調べたのか。警察は重大犯罪でもないのに、内閣の指示に従って、調べたのか。
前川の「いかがわしい」行動以上に、どうやって前川の行動を調べたのかということの方が重大な問題だ。
また、こういうプライバシーを暴くことは「名誉棄損」にはならないのか。
裁判のことはよくわからないが、もし前川がプライバシーを侵害された、知られたくないことを報道されてしまった、と訴えれば、前川が勝訴するのではないのか。先に書いたように現職ならばまだ「文部行政に悪影響を与える、こういう行為をしている人間が文部省の幹部をつとめているのは問題がある」という論理は成り立つ。しかし、既にやめている人間の過去のプライバシーを暴露して、何の効果があるのだろうか。文部省の職員に規律を求める効果があるというのなら、それは文部省内部で徹底すればいいこと。職員に「出会い系バー」に出入りしてはいけないと指導を徹底すればいいだけのことであって、国民にそんなことを知らせる必要はない。
今回の報道で、前川の家族はどんな影響を受けたのか。報道されなくても、そういうことを知っていたのか。報道をとおして知ったのか。報道が家族を傷つける(家族の人権を侵害する)ということはなかったのか。
これも検証してみないといけない問題だろう。
また、過去に「いかがわしい」ことをしているから、その人の「証言」は信用できないというのは、あまりにも非論理的すぎる。
たとえば万引きで補導されたことのある少年が、偶然、殺人事件の現場を目撃する。そして、何が起きたが、つまり誰がどのような状況でどうしたかを証言したとする。もし、このとき容疑者(被告)の弁護側が、「この少年は過去に万引きをしたことがある。補導歴がある。そういう少年の証言を信用することはできない」と主張したとしたらどうなるのだろうか。裁判官は証言を不採用にするだろうか。「本件とは関係ない」と検察は異議を申し立て、発言を撤回させるだろう。
今回のできごとは、加計学園への便宜以上に、重要な問題である。
いったん批判の目が政権(権力)に向けられると、その批判を構成している人間は徹底的に監視される。そして不必要なプライバシーを暴かれる。前川の場合、いまは、「出会い系バー」通いだけが取り上げられているが、安倍政権批判につながる「第二の証拠」が出てくれば、そしてその証拠を、前川が「見たことがある」と発言すれば、さらに過去が暴かれるだろう。どこそこで立ち小便をしたとか、どこそこの交差点で信号を無視して横断したとか、就業規則(?)に書かれている休憩時間を超えて喫茶店でコーヒーを飲んでいたとか。些細なことを重大問題に仕立て上げ、人格攻撃をエスカレートさせるだろう。職場で若い女性職員に「その服装にあっているね」と言ったとする。あれは「セクハラだった」という指摘も出てくるだろう。
権力、権力者を批判する人間への「監視」が始まっている。そして、その「監視」からつくりだされる「罪状」は何とでもでっちあげられる。女性職員への、ふと口をついて出た「感想」が「セクハラ」になる。
「共謀罪」(「治安維持法」と言ってしまった方が言い)は、国会の審議を通りこして、すでに実施されている。そして、それが個人攻撃(人格攻撃)として動き始めていることに、しっかり目を向けるべきだ。
加計学園にどんな便宜が働いたのかを追及すると同時に、前川批判のために権力がどう動いたか、それを追及することを忘れてはならない。「前川が出会い系バーに通っていたことを、内閣はどうして知ったのか」ということを、野党は質問してもらいたい。「ある文部省の人間が出会い系バーに出入りしていたとして、どの段階(出入りを何回確認したら)で注意するのか」というようなことも聞いてもらいたい。そうすれば、警察が何回尾行したかがわかる。どの警察が、どの警察官が尾行したかも聞いてもらいた。「所属や氏名は職務上答えられない」という返事が返ってくるだろうが、そこから、またわかる問題がある。尾行され、調べられる人間には常に「固有名詞」がついてまわるが、調べる人間には「固有名詞」がない。いったん個人追及が始まると、それは「組織対個人」という関係になり、「固有名詞」は徹底的に攻撃されるのだ。
私の提案した質問は通俗的だが、「人格攻撃」をする「通俗的な政権」に対しては、「通俗的な視点」で反撃することが必要だ。「通俗的」な方が、いま起きていることの重大性がわかりやすい。自分自身が属している「通俗」のなかから、権力への反撃方法を組織化していかないといけない。
民進党は気取っているのでこういう質問はしないだろうが、気取っている場合ではない。「共謀罪」は政権によって先取り実施されている。
恐怖政治は始まっている。
自民党憲法改正草案を読む/番外78(情報の読み方)
前川・前文部次官の行動と発言に関する「論評」が奇妙な具合に、ずれている。
前川が「出会い系のバー」に行っていたのは、彼が現職の文部次官だったとき。このときなら、教育に携わる人間がそういうところに出入りするのはいかがなものか。こどもへの影響も大きい。だから批判するのは「公益」に合致するという論理は成り立つかもしれない。
しかし、いま、前川は次官ではない。文部省の仕事には携わっていない。
問題にするなら、彼の「出会い系バー」通いが、文部行政にどう影響したか。その結果、こどもの教育がどうなったか、ということを検証しなければならない。前川は、そういうことについては何も問われていない。(だれも問題にしていない)。
過去に「いかがわしい」ことをしたから、その人がいま発言していることを否定する、受け入れないというのは、論理的におかしい。
前川の「出会い系バー」通いと加計学園への「便宜」とは何の関係もない。前川が「出会い系バー」に通っていたことが加計学園にどう影響したのか。いかがわしいところに前川が通っていたから、加計学園の獣医学部新設が認可されたのか。そうではないだろう。問題は誰が、どのように加計学園に配慮したのか、ということ。加計学園の問題点を隠すために、前川の過去(プライバシー)が不必要に語られている。
「問題があるとわかっていたのなら、なぜ、そのときに指摘しなかったか」という批判は、もっともらしく聞こえる。では、それを前川の「出会い系バー」通い問題に適用したら、どうなるのか。
彼が「出会い系バー」に通うことが、文部行政(学校教育)上問題があると言うのなら、それがわかったときに前川を辞任させるべきではなかったのか。
口頭で注意しているが、口頭で注意するくらいですむ問題なら、そしてその注意に従って前川が行動を改めたのなら、なぜ、それをいまさら取り上げて問題にしなければならないのか。前川は、反省して、自分の行動を改めた。それなのに、行動を改める前のことを取り上げて避難するのは、あまりにも理不尽である。
これは悪質な「人格攻撃」である。
人間にはプライバシーがある。そのひと自身の生活がある。他人が干渉する権利はない。だいたい、どうやって前川が「出会い系バー」に通っていたことを内閣は知ったのか。情報源はどこなのか。どうやって確認したのか。前川に注意した人間が、尾行して、調べたのか。警察をつかって尾行させて調べたのか。警察は重大犯罪でもないのに、内閣の指示に従って、調べたのか。
前川の「いかがわしい」行動以上に、どうやって前川の行動を調べたのかということの方が重大な問題だ。
また、こういうプライバシーを暴くことは「名誉棄損」にはならないのか。
裁判のことはよくわからないが、もし前川がプライバシーを侵害された、知られたくないことを報道されてしまった、と訴えれば、前川が勝訴するのではないのか。先に書いたように現職ならばまだ「文部行政に悪影響を与える、こういう行為をしている人間が文部省の幹部をつとめているのは問題がある」という論理は成り立つ。しかし、既にやめている人間の過去のプライバシーを暴露して、何の効果があるのだろうか。文部省の職員に規律を求める効果があるというのなら、それは文部省内部で徹底すればいいこと。職員に「出会い系バー」に出入りしてはいけないと指導を徹底すればいいだけのことであって、国民にそんなことを知らせる必要はない。
今回の報道で、前川の家族はどんな影響を受けたのか。報道されなくても、そういうことを知っていたのか。報道をとおして知ったのか。報道が家族を傷つける(家族の人権を侵害する)ということはなかったのか。
これも検証してみないといけない問題だろう。
また、過去に「いかがわしい」ことをしているから、その人の「証言」は信用できないというのは、あまりにも非論理的すぎる。
たとえば万引きで補導されたことのある少年が、偶然、殺人事件の現場を目撃する。そして、何が起きたが、つまり誰がどのような状況でどうしたかを証言したとする。もし、このとき容疑者(被告)の弁護側が、「この少年は過去に万引きをしたことがある。補導歴がある。そういう少年の証言を信用することはできない」と主張したとしたらどうなるのだろうか。裁判官は証言を不採用にするだろうか。「本件とは関係ない」と検察は異議を申し立て、発言を撤回させるだろう。
今回のできごとは、加計学園への便宜以上に、重要な問題である。
いったん批判の目が政権(権力)に向けられると、その批判を構成している人間は徹底的に監視される。そして不必要なプライバシーを暴かれる。前川の場合、いまは、「出会い系バー」通いだけが取り上げられているが、安倍政権批判につながる「第二の証拠」が出てくれば、そしてその証拠を、前川が「見たことがある」と発言すれば、さらに過去が暴かれるだろう。どこそこで立ち小便をしたとか、どこそこの交差点で信号を無視して横断したとか、就業規則(?)に書かれている休憩時間を超えて喫茶店でコーヒーを飲んでいたとか。些細なことを重大問題に仕立て上げ、人格攻撃をエスカレートさせるだろう。職場で若い女性職員に「その服装にあっているね」と言ったとする。あれは「セクハラだった」という指摘も出てくるだろう。
権力、権力者を批判する人間への「監視」が始まっている。そして、その「監視」からつくりだされる「罪状」は何とでもでっちあげられる。女性職員への、ふと口をついて出た「感想」が「セクハラ」になる。
「共謀罪」(「治安維持法」と言ってしまった方が言い)は、国会の審議を通りこして、すでに実施されている。そして、それが個人攻撃(人格攻撃)として動き始めていることに、しっかり目を向けるべきだ。
加計学園にどんな便宜が働いたのかを追及すると同時に、前川批判のために権力がどう動いたか、それを追及することを忘れてはならない。「前川が出会い系バーに通っていたことを、内閣はどうして知ったのか」ということを、野党は質問してもらいたい。「ある文部省の人間が出会い系バーに出入りしていたとして、どの段階(出入りを何回確認したら)で注意するのか」というようなことも聞いてもらいたい。そうすれば、警察が何回尾行したかがわかる。どの警察が、どの警察官が尾行したかも聞いてもらいた。「所属や氏名は職務上答えられない」という返事が返ってくるだろうが、そこから、またわかる問題がある。尾行され、調べられる人間には常に「固有名詞」がついてまわるが、調べる人間には「固有名詞」がない。いったん個人追及が始まると、それは「組織対個人」という関係になり、「固有名詞」は徹底的に攻撃されるのだ。
私の提案した質問は通俗的だが、「人格攻撃」をする「通俗的な政権」に対しては、「通俗的な視点」で反撃することが必要だ。「通俗的」な方が、いま起きていることの重大性がわかりやすい。自分自身が属している「通俗」のなかから、権力への反撃方法を組織化していかないといけない。
民進党は気取っているのでこういう質問はしないだろうが、気取っている場合ではない。「共謀罪」は政権によって先取り実施されている。
恐怖政治は始まっている。