詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(88)

2019-03-17 09:05:32 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
88 イメノス

《……不健康な衰弱的な快楽が
もっともっと求められるべきだ。
その快楽が欲するものを感じとれる肉体は少ない--
不健康で衰弱的な方法によってのみ得られる
健全とは無縁なエロスの強度がある……》

 池澤は一連目と二連目の発表された時間が違うことを根拠に、こう註釈している。

 第一聯は詩人そのひとの考えで、それをイメノスという架空の人物に託して、最もそれにふさわしい時代の背景の前に置いたということになろう。この詩的技法による主張の緩和は興味深い。これは二十世紀初頭より九世紀の方に似つかわしい官能主義なのだ。

 逆に読むこともできる。ここに書かれている官能主義は、いま(二十世紀初頭)はじまったものではなく、すでに九世紀に存在した。長い歴史を生き抜いてきた官能主義である、と強調したいのかもしれない。
 カヴァフィスはシェイクスピアのように「慣用句」を自分のものとしてつかっているのではないか、ということを以前書いたが、それを流用すれば、カヴァフィスは慣用的エロスを詩に持ち込んでいる。エロスに「異質」なものはない。あらゆるエロスが「慣用的」である、と主張していると、私は読む。

健全とは無縁なエロスの強度がある……》

 「強度」ということばが強い。「不健康」「衰弱」しているものも、「強度」に引きつけられる。「快楽」は絶対的な「強度」であり、本能はそれに打ち勝つことはできない。敗北するものだけが獲得できる愉悦がある。エロスに敗北できるものだけがエロスの「強者」である、という宣言にも読むことができる。
 だいたい「九世紀の方に似つかわしい官能主義」なら、二十世紀初頭に、わざわざ書く必要はないだろう。いま必要だからこそ、カヴァフィスは書いた。人は必要ではないものを書いたりはしない。


カヴァフィス全詩
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イングマール・ベルイマン監督「野いちご」

2019-03-17 08:28:03 | 映画
イングマール・ベルイマン監督「野いちご」(★★★★★)

監督 イングマール・ベルイマン 出演 ビクトル・シェストレム、イングリッド・チューリン

 ベルイマン生誕 100年。デジタル版の上映。
 私が「野いちご」を見たのは大学生のとき。当時、毎日新聞社が「名画シアター」のような催しをやっていた。ぼんやりした記憶だが、半年 500円で毎月1本の上映。小倉の井筒屋(デパート)ホールが会場。1本あたり 100円以下の料金、しかも毎回はがきで連絡が来るという、信じられない企画だった。でもさすがに、これでは赤字がかさむだけということなのだろう。私が見始めて2年しないうちに打ち切りになったと思う。
 私はそのころ映画を見始めたばかりで、まだ映画の何を見ていいのかもわからずに、ただ見ていた。老人が夢見ているだけの、奇妙な映画という印象しかなかった。
 今回見直して、あ、すごい、とただただ驚いた。
 モノクロがとても美しかった。とくに最初の夢の白と黒の対比が強烈だ。主人公の顔が、建物の内部の闇(影)をバックに浮かび上がるシーンは鮮烈だ。影だから、実際は光はあるのだが、光を消してしまって闇にしている。無にしてしまっている。無といっても、日本人(東洋人)が考えるような、すべての存在を生み出す前の渾沌というのではなく、ほんとうに何もない、拒絶としての無。その無の中に存在する人間、という印象が強烈だ。
 ストーリーとしては、老人(大学教授)の「夢」をつないでいるだけである。ロードムービーと組み合わせているところが、とても斬新である。なんといってもすごいのは、「グリーンブック」のような、あるいは「最強の二人」のような結末がないことだ。単に一日が終わったというだけだ。いまでも、誰かがこの手法で取ったらびっくりすると思う。移動は、登場人物をまきこむための「方便」にすぎない。
 車の移動の途中で、場所が変わり、登場人物(脇役)が変わる。ある意味では脈絡がないのだが、脈絡がないだけに、登場してくる人間の姿がくっきりする。ストーリーにとらわれることがない。ストーリーなんてないのだ。人間が生きている、存在しているということ自体の中に究極のストーリーがある。生きている意味は、それぞれの人間の中にしかない。共有などできない。共有できない「存在としての人間」がいるだけだ。
 このストーリーのない展開の中で、では、何が起きるのか。
 女の感情が、肉体を突き破って出てくる。男(主人公)はそれに翻弄される。女の欲望の強さに男がついていけない。主人公は女に裏切られ続ける。恋人は別の男を選び、妻は別の男とセックスをする。それを主人公は見てしまう。そして、何もできない。
 神は存在するか、存在しないか、というような議論も持ち込まれる。そういうことを話すのは男なんだけれどね。
 で。
 こういう展開の中で、主人公は何を見たことになるのだろうか。夢と思い出がいりまじりながら一日が過ぎていくとき、主人公は恋人や妻の裏切りを見ただけなのか。あるいは主人公が見たのは、女たちではなく、何もできなかった自分自身だったのか。ほんとうに生きているのは、女たちなのか、男の私のなのか。妻が死んでいるだけに、そんな疑問も浮かび上がってくる。
 これは、こう言い換えることもできる。
 誰かが何かを語るとき、それは対象について語っているか、それとも自分自身を語ることになるのか。
 見終わると、突然、そういう「哲学的」というか、「文学的」というか、強い「問い」を突きつけらる。
 まあ、こういうことは、「答え」を出さなくてもいい。衝撃を受けたという「事実」さえ、肉体に残ればいいことだと私は思っているのだが。
 それにしても。
 ベルイマンの描く女はなまなましい。肉体を突き破って感情がむき出しになる。映画なのだから、そこまでむき出しにしなくても感情がわかるのだが、ベルイマンは逆に考えているのかもしれない。映画なのだから、単に感情を動かすのではなく、肉体がスクリーンからはみ出すくらいに描かないと、映画にする意味がない。観客が耐えられなくなるくらいでないとだめ。観客の網膜を突き破って、観客の肉体に侵入していく、というところまで求めているのかもしれない。「役」を見せているのではなく、「女」そのものを見せている。だから、「そんな感情をぶつけられても、私はあなたの男ではない」と言いたくなる。こんな演技というか、「むき出しの感情」を監督から求められたら、女優はたいへんだ、と思ってしまう。
 というようなことも二十歳になるかならないかの大学生のときは、わからなかったなあ。
 (2019年03月16日、KBCシネマ2)

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田島安江「森の匂い」

2019-03-16 09:14:58 | 詩(雑誌・同人誌)
田島安江「森の匂い」(「蝸牛」61、2019年01月20日発行)

 田島安江「森の匂い」のなかほど。

朝からずっと聴いていた音楽が逃げていき
友だちが死んだ
行き場のなくなった音が光に包まれる
彼女と遊んだ森
木漏れ日の中にいるとわからなくなる
わたしは彼女が好きではなかった
気がする
気がするだけかもしれない

彼女が死んでわからないことばかりが残った
世界はいつだってそうだ
思い出なんて一瞬のうちに消えてなくなる
さあ、ここに座って
何も考えず、そっと息をはいて
そう世界はいつも眼の前にある

 「わからなくなる」「わからない」と繰り返される。その途中に「気がする/気がするだけかもしれない」が差し挟まれる。「気がする/気がするだけかもしれない」の直接の対象は「わたしは彼女を好きではなかった」かどうかだが、「わからない」という「気がする/気がするだけかもしれない」という具合に読んでみたい。
 あるいは、むしろ「わかった」ということかもしれないし、それ以上かもしれない。つまり、田島は「わかっている」。

世界はいつだってそう

 こういう断定は「わかっている」人間だけができる。「わからない」「気がする/気がするだけ」と揺れていたら断定はできない。
 でも、何が「わかっている」? 「世界はいつだってそう」というのは、どういうこと?
 田島は言いなおしている。

そう世界はいつも眼の前にある

 「ある」ということが「世界」なのだ。それで、おしまい。
 しかし、そう簡単に「ある」と言われても、私なんかは、困ってしまう。
 そういう「苦情」を書きたいのだが、今回は書けない。「そう世界はいつも眼の前にある」の直前の二行がおもしろい。

さあ、ここに座って
何も考えず、そっと息をはいて

 突然、読点「、」が出てくる。呼吸を整えている。その息づかいが、おもしろい。そうか、田島は「呼吸する」ことで「世界」と行き来しているのか。
 呼吸を通して、目の前に「ある」世界は田島の「肉体」のなかとつながる。

急がなければ日が暮れるよ
光が消えるまでにたどり着かなければ
いつのまにか先回りした鹿の長く伸びた影が
わたしの手首をギュッとつかみ
森の匂いをなすりつけてくる

 最終行の「匂い」は呼吸をとおして田島の肉体に入ってきた世界を言いなおしたものだ。田島は「ことば派」の詩人ではなく、「肉体派」の詩人なんだなあ、と改めて思った。





*

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詩集 牢屋の鼠
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池澤夏樹のカヴァフィス(87)

2019-03-16 08:39:15 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
87 ヘブライの民の

 ギリシャの官能の美にとりつかれた美貌の青年が「聖なるへブライの民の息子に戻る」ことを誓う。

まことに熱烈なる彼の宣言。《永遠にとどまらん
ヘブライの、聖なるヘブライの民の--》

しかし彼は全然とどまりはしなかった。
アレクサンドリアの快楽主義と技術の
忠実な息子で彼はあったのだ。

 池澤が訳している「技術」とはなんのことだろうか。このまま読むと「快楽の技術」という感じがするが、そういうときは「技術」かなあ。「技巧」かなあ。それとも、また別の意味なのだろうか。
 ヘブライの青年なのだが、

ヘブライの、聖なるヘブライの民の--》

 この一行の、「ヘブライ」の繰り返しは、いかにもカヴァフィスらしい感じがする。繰り返しの音、響きが官能をくすぐる。

 池澤の註釈。

誘惑と抵抗の問題はしばしばカヴァフィスの作品にあらわれるが、このような諧謔味を含む詩は珍しい。

 アレクサンドリア(ヘレニズム)の快楽主義を逃れることはできない、と指摘することが「諧謔」なのかどうか、私にはわからない。
 むしろ「誇り」と思って、私は読んだ。

 また池澤の註釈に、こういう文章がある。

 紀元五〇年という年号はクラウディウス帝の治世にアレクサンドリアで起こった反ユダヤ暴動のすぐ後を示している。

 詩のなかには「アレクサンドリア」と「ヘブライ」ということばしかない。「紀元五〇年」という「時代」の特定は、何を意味しているのだろうか。



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日原正彦「よこがお」「せいぞんの」

2019-03-15 22:27:30 | 詩(雑誌・同人誌)
日原正彦「よこがお」「せいぞんの」(「橄欖」112、2019年01月25日発行)

 日原正彦「よこがお」の一連目。

少ない音符の 散らばった
さびしいメロディーのような
君の 横顔の ラインを
ぼくの 貧しい無言で なぞってゆく

 分かち書き(1字空き)のリズムが非常に気持ちが悪い。特に「君の 横顔の ラインを」がむりやりことばを立ち上がらせようとしている感じがして、ぞっとする。「貧しい無言」はいかにも日原らしいことばだが、それを分かち書きで「わざと」目立たせているのも、いやあな感じがする。
 で、とってもいやな詩なのだけれど。

でも この無言が
どんな無言か 未だ ぼくにはわからない
偽善か偽悪か
イロニーかフモールか
殺すのか 生かすのか
生まれようとしているのか
とっくに死んだのか

 この部分が、ちょっとおもしろい。私の知っている日原とは違う。でも、知っているといっても、四十年以上も昔のことなので、いまは、このスタイルが日原なのかもしれないけれど。
 ちょっとおもしろいと思ったのは「ぼくにはわからない」。
 昔の日原は「ぼくにはわからない」などとは言わなかっただろうなあ。なんでも「わかっている」。抒情の論理にしてしまう。あるいは論理の抒情にしてしまう、と言った方が正確か。

ぼくの無言を 躊躇わせるような
そんな横顔を 無意識に君が選んだこと
いや 選ばせたものが
風のように ぼくのかわいた唇をさわってゆく

 「いや」からの展開が日原節である。

 「せいぞんの」は、池井昌樹の「きのこ」に寄せて書かれたもの。

「あめにぬれてる きのこたち
おおきい きのこ
ちいさい きのこ」
きのこきのこは きのうのこ
きょうのこ そして あしたのこ
こは おとこのこ おんなのこ

 この部分のリズムが楽しかった。






*

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詩集 夏の森を抜けて 日原正彦
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池澤夏樹のカヴァフィス(86)

2019-03-15 09:43:22 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
86 居を定める

衣服はなかば開いていた--暑い素晴しい七月のこと
少ししか着ていなかった。

なかば開いた衣服の
内なる肉体の喜び。
速やかに裸にされた肉体--その光景が
二十六年の歳月をへだてて
この詩の中に居を定める。

 「85 午後の太陽」では「半分」、この詩では「なかば」。同じギリシャ語なのか、違うことばなのか、中澤の訳だけではわからない。「開いていた」と「開いた」も同じことばなのか違うのか、気になる。
 この「なかば」「開いていた/開いた」が「裸にされた」へと動いていくところに自然な解放感がある。「なかば隠した」から「裸にされた」の場合は、「隠した」が技巧になってしまうだろう。
 「内なる肉体の喜び」は「衣服の内なる」を超えて「肉体の内なる」へと、意識を誘っている。ここにカヴァフィスのことばの「魔力」がある。文法の意味を超えてことばが動いていく。
 ギリシャ語の原典を読んでの感想ではないのだが。

 池澤の註釈。

 二十六年前の一夜の場景が、それ自身のもつ強烈な忘れがたい印象のゆえに、ずっと消えずに残り、この詩の中に定着される。あるものが詩にうたわれ、そのうたわれた事情がまた詩句の中で語られるというこの詩の最後の二行の型はたとえばシェイクスピアのソネット一八番にも見られる--「人間が地上にあって盲にならない間/この数行は読まれて、君に生命を与える」(吉田健一訳)。




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池澤夏樹のカヴァフィス(85)

2019-03-14 09:25:23 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
85 午後の太陽

扉のすぐ近くには長椅子があった。
その前にトルコ絨毯が敷いてあり、
すぐそばに二個の黄色い花瓶をおいた棚。
右手に、いや、逆だ、鏡のついた洋服箪笥。
真中に机があってそこでわたしの恋人はよくものを書いた。

 かつて恋人と過ごした部屋を訪れた。変わってしまったが、カヴァフィスはその細部を覚えている。思い出して、それを書いている。
 その終わりの方。

窓のわきに置いた寝台、
午後の太陽はいつもその半分を照した。

 この二行が非常におもしろい。
 なぜ「半分」を照らしたのか。半分の影は何によるものだろうか。
 「半分」は上半分(下半分)か、右半分(左半分)か。左右の半分の場合、カヴァフィスは、どちらに横たわったのか。カヴァフィスはそれを覚えているはずだ。でも、書かない。隠す。とてもエロチックだ。
 先に引用した三連目には「二個」の花瓶が出てくる。そして洋服箪笥は「右手」と書かれたあと「いや、逆だ」と言いなおされる。
 ここにすでに「半分」が用意されている。「別れ」の伏線が引かれている。「半分」を書いたあとの、最終蓮。

……午後の四時、わたしたちは別れた
ほんの一週間のつもりで……それなのに
その一週間が永遠になってしまった。

 池澤の註釈。

午後とは(略)、ギリシャでは一般にシエスタのあと、つまり四時ないし五時をさす場合が多い。ここにいう「午後の太陽」も四時の日ざしである。夏ならばまだまだ熱い時刻で、街路には人通りはない。




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池澤夏樹のカヴァフィス(84)

2019-03-13 09:49:23 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
84 隣のテーブル

見たところはやっと二十歳くらい。
だがわたしはちょうどそれだけの歳月の昔に
その同じ身体を楽しんだおぼえがある。

 と始まる詩に、池澤は、こう書く。

 二十年の歳月をへだてて昔日の恋人と同じ「身体」に出会う。主人公にはそれが同じであるという確信があり、衣服の下までが歴然と目に映じる。/しかしこれは既視感ではなく、肉体の型の分類の問題に属するのではないだろうか。論理の記憶とは異なって官能の記憶には脈絡がない。

 「論理の記憶とは異なって官能の記憶には脈絡がない」という文章に、私は考え込んでしまった。論理に記憶というものがあるのだろうか。論理というのは「記憶」のためにあるのではないか。何かを記憶するために論理をつかう。体験を(現実を)論理に整え、未来へ動かしていくために記憶がつかわれる。記憶しなくていいものは論理を必要としない。
 官能の記憶には脈絡がない、というのもよくわからない。官能には「いま」があるだけで、記憶というものはない。そのつど生まれてくるもの、けっして自分の好みを間違えることがない(記憶に頼って行動する必要がない)ものではないだろうか。
 「肉体の型」の問題ではなく、「肉体の動き」の問題だろう。「型」は変わるが、「動き」の根本は変らない。一度泳いだ人間は何歳になっても泳げる。一度自転車に乗った人間は長い間乗っていなくても乗れる。
 カヴァフィスは三連目で、こう書いている。

それがどこだったか思い出さなければ--この記憶の欠落に意味はない。

 「それがどこだったか思い出さなければ」とは言ってみただけのこと。思い出せなくても関係がない。「思い出」に意味はない。肉体(官能)は一度体験したことは忘れない。
 一連目に「その同じ身体を楽しんだおぼえがある。」とあるが、「おぼえがある」とは、いま官能が反応して動いているということだろう。官能は「いま」を生きている。だから、「それがどこだったか」というのは、どうでもいいことだ。官能には「いま/ここ」しかない。
 「ここ」は「隣のテーブル」だ。
 だから「既視感」ではなくて、「いま」「ここ」で、カヴァフィスの「官能」はセックスをしているのだ。



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松川穂波『水平線はここにある』

2019-03-12 12:43:37 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
松川穂波『水平線はここにある』(思潮社、2018年09月25日発行)

 松川穂波『水平線はここにある』の「禁漁区」。

きのうの空は雲が多すぎた
鳥は空を脱ぎながら飛ぶんだ
飛べない鳥はどうするんだ
それは鳥に聞いてくれ

 リズムが心地よい。詩は、リズムだと思う。

なんでテニスのラケットなんか持ってるんだ
これで鳥をつかまえる
バカ おまえがつかまるぞ
羽毛一枚残して 突然消える
はは 魔術だな
なけなしの主題です

 「バカ」から「魔術だな」までは、つまらない。リズムしかないからだ。そうしてみると、詩はむずかしい。リズムがいちばんだけれど、それだけではことばはおもしろくない。
 「なけなしの主題です」は「鳥は空を脱ぎながら飛ぶんだ」へかえっていく。
 この転換は好きなんだけれど。

おまえが見たのは鳥ではないな
鳥さ あれが鳥なんだ 何もかも鳥さ 鳥なんてどこにもいないのさ

 で、これが「主題」だと私は「誤読」する。
 「魔術」が詩を壊しているな、と感じる。「魔術」と言い出したら、ことばは必要なくなる。

 「岩場で」は二つの詩で構成されている。そのうちの「海」。

潮だまりは置き去りにされた小さな海だ
底にはささやかな海藻を育て
風が吹くと律儀にさざ波をたてる
海のまぎわに暮らしながら
海の帰る日を待つ
海へ帰る日を拒む

 最後の二行の対構造が詩をくすぐる。矛盾が、その矛盾の瞬間、疑問にかわり、それが詩になるのだろう。
 三行目の「律儀」は松川の「人柄」をあらわしたことばかもしれない。

 「陸橋悲歌」には「藤安和子さんの思い出」という副題がついている。

階段をのぼっておりて
ただちに忘れ去るのが
陸橋の作法というもの
それはどこか日々の言葉に似ているが
時としてわたしは振り返る
あのささやかな高み
あなたとお別れした陸橋を

 「陸橋の作法」は、いいことばだな、と思う。

また逢ってください
もちろんよ

 こんなふうに会話を思い出すのところに、「作法の律儀」さを感じる。




*

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池澤夏樹のカヴァフィス(83)

2019-03-12 10:52:45 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
83 その家の外

昨日、町はずれの一郭を歩いていて
一軒の家の前を通りすぎた。
そこは若かった頃に何度も通ったところ。

 池澤は、こう書いている。

 触発型の追憶の例だが、ここに描かれた現象は追憶よりもはるかにダイナミックな目くるめくものである。

 書き出しではなく、二連目、三連目の「内容」について、そう言っているのだと思うが、私がこの詩で注目するのは、何よりも「昨日」である。「今日」ではない。もちろん「昨日」が「昨晩」であったために、日付がかわってしまったので「昨日」になったということもあるだろうが、たぶん、そうではない。
 この詩では、追憶を追憶した、ということが書かれている。いまはやりのことばで言えば「メタ化」されている。「メタ化」しないではいられない、そのおさえきれない感情。それが「昨日」という書き出しにあらわれている。
 二連目にも

そして昨日、
その古い道を通りすぎようとした時、

 と繰り返される。
 そして三連目。

その場に立って門を見ていると、
立ち去りかねてその家の外に立っていると、
わたしの全存在は身の内にしまってあった
快楽の感動に輝きわたった。

 池澤の言う「ダイナミック」が最後の二行に結晶している。しかし、私はやはりその二行よりも、

立ち去りかねてその家の外に立っていると、

 「立つ」ということばが重複する(ギリシャ語でも同じかどうかは知らない)部分に、「昨日」に似た感情の動きを感じ、「肉体」をつかまれてしまう。




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タケイ・リエ『ルーネベリと雪』

2019-03-11 21:52:37 | 詩集
タケイ・リエ『ルーネベリと雪』(七月堂、2018年09月30日発行)

 タケイ・リエ『ルーネベリと雪』の「ターミナル」の二連目。

祈ることと
折れることは
ぜんぜん違うけれど
そのときのわたしは
かなり折れていて
もうこれいじょう折れないように と
街路樹に祈ったかもしれない

 読みながら、この人のなかでことばはどんなふうに動いているのかなあ、と思う。「祈る」と「折る」。漢字は似ている。でも音が違う。ことばを「文字」で覚えた人なんだなあ、と思う。視力がいいんだろう。
 私は最近、目の調子が悪くて、文字を読むのがつらい。だから、こういう「文字」(漢字)のなかを通って動くことばに出会うと、あ、私の見えないものがあるなあ、と苦しくなる。
 三連目は、こう展開する。

時間がわからなくなるほど
熱っぽいものが
どろどろ溶けていた
まぶたのうえでくつくつ煮える
木の葉に
光がつぎつぎ産卵され
突風が吹くと
光は粉々に割れてゆく
割れながらきらきら笑ってみせる
たのしいことはかんたんに
きらきらと割れていった

 「どろどろ」「くつくつ」「きらきら」。オノマトペ。今度は一転して、「音」がことばを動かしている。「つぎつぎ」や「粉々」までもがオノマトペに見えてくる。
 ことばと、「肉体」のどの部分で向き合っているのか、ちょっとわからない。どこに私の「肉体」を重ねることができるか、それがわからない。
 でも。

たのしいことはかんたんに

 この一行が、なぜか、印象に残る。「簡単」ではなく「かんたん」と書くことで、一種のオノマトペになっているような気がする。「ん」の繰り返しがそう感じさせるのかもしれない。
 そして、そう感じた瞬間に、これは「祈る/折る」の漢字のつかい方に似ているなあ、と思った。「祈る/折る」を繰り返し、「視覚のオノマトペ」をつくりだしているのか。

たどりつかない物語の道は
とてもかたむいている
わたしはわたしを引きずっている
歩き続けたつまさきがまるくかたくなる

 さて、では、この「かたむいている」と「かたくなる」は、なんなんだろう。よくわからない。
 「意味」だけではない何かをつかみとるために詩を書いているのかもしれないなあ。

*

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池澤夏樹のカヴァフィス(82)

2019-03-11 10:07:14 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
82 九時以来--

十二時半だ。時のたつのははやい。
九時にランプの火をともして以来、
ずっとここに坐っていた。坐ったまま何も読まず、
何も話さなかった。この家の中でたった一人、
話そうにも相手はいない。

 こう始まった詩の最終蓮。

十二時半だ、時のたつののはやいこと。
十二時半だ、月日のたつののはやいこと。

 九時から十二時半。時がたつのははやい、というのはわかる。しかし、「月日のたつのはやいこと」ということばと結びつくとき、驚く。「月日」と比べるのは「月日」だ。九時からずっと、カヴァフィスは「月日」を思い出していた。カヴァフィスの思いの中で動いていたのは「月日」だ。そのことを、最終蓮で静かに語っている。
 池澤は、

 追憶の形をとる詩篇はカヴァフィスには珍しくないが、この詩のように何に触発されるでもなく、ただじっともの思いにふけるのはあまり例がない。

 と書いているが、カヴァフィスはたいてい「きょう」のことを思うのではなく、遠い「月日」のことを思い出していないか。「月日」のなかで繰り返される「きょう」を思っているのだろう。だからこそ「歴史」も題材にする。「歴史」は「月日(年月)」のなかにある「きょう」である。思い起こすとき、すぐそばにやってくる。

 省略したが、二連目は、こう始まっている。

若かった頃のわたしの身体の幻が、
九時にランプに火をともして以来、

 カヴァフィスの身体そのものがランプになり、そのなかに火がともる、と錯覚する。官能の火、快楽の火。その火が、カヴァフィスの道を照らす。同じ道を歩く。同じ道だから、「時」が「月日」にかわり、「月日」が「歳月」にかわり、同時に「時」にかわって戻ってくるのがわかる、ということだろう。いつであっても「きょう」だ。

カヴァフィス全詩
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池澤夏樹のカヴァフィス(81)

2019-03-10 10:22:16 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
81 アレクサンドリアの人アイミリアノス・モナエ 紀元六二八--六五五

言葉と外見とふるまいによって
立派な鎧をつくってやろう、
そうして悪い人間どもと対面しよう、
無力を恐れる必要はなくなるだろう。

奴らはわたしを傷めつけようとする、しかし
わたしに近づく者の誰とて知るまい、
わたしの傷口が、弱いところが、いずこにあるかを。
すべてが虚偽でおおわれているのだから--

 池澤の註釈。

主人公は実在の人物ではない。こう奇妙な処世方針を立てるのはやはり若い人間のすることだろう。

 二十七歳で死んだことがわかっているのだから「若い人間のすることだ」で何を言いたいのかわからない。言う必要がない。
 なぜカヴァフィスは架空の若い人間に、こういうことを言わせ、なおかつ二十七歳で死なせてしまったのか。
 そこにはカヴァフィス本人が描かれているのではないだろうか。
 「言葉と外見とふるまい」によってカヴァフィスは「傷口(弱いところ)」がどこにあるか隠してきた。二十七歳までは。しかし、その後は隠すことをやめた、ということではないだろうか。
 このとき「死んだ」はどういう意味をもつだろうか。
 「傷口」を隠していた人間が死んだのであり、「傷口」をさらけだして生きるようになったという具合に受け止めることはできないか。
 私は「伝記」というものに興味をもったことがない。カヴァフィスがいつ、何を書いたかも関心がない。しかし、この詩を読むと、二十七歳の頃、カヴァフィスは「生き方」を変えたのだろうと思いたくなる。「傷口」を「傷口」ではないと悟って生き始めたと読みたい。カヴァフィスにとっては二十七歳以前は「架空」の人間だった、と「誤読」したい。


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クリント・イーストウッド監督「運び屋」(★★★★★)

2019-03-10 09:31:00 | 映画
クリント・イーストウッド監督「運び屋」(★★★★★)

監督 クリント・イーストウッド 出演 クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィースト、アンディ・ガルシア

 劇的に撮ろうと思えばどこまでも劇的に撮れる映画だろうけれど、実に淡々としている。考えてみれば、どんなに劇的な人生であろうとそのほとんどの部分は「日常」であり、日常は淡々としているものだ。
 最初のクライマックス(?)、自分が運んでいるものがドラッグだと気付く。そこへ警官がやってくる。ドラッグ探査犬もいる。予告編でもちらりと見えた。どうなるんだろう。はらはら、どきどき。でも、一瞬で切り抜けてしまう。痛み止めクリームの匂いで犬を引きつける(鼻を麻痺させる)という知恵も機転が利いているが、そのあとの処理が素早い。イーストウッドの演技も素晴らしいが、さっと消えていくときの警官の演技(犬をコントロールする演技)が素晴らしい。自然体そのもの。まるで何もなかったみたい。実際に、何も起きないのだが、この何も起きないところにドラマがある。
 監視役の二人にチキンサンドイッチを振る舞うシーンもいいなあ。「なんで、こんなところに立ち寄るんだ」「西部一うまいチキンサンドを出すからだ」。で、食べた瞬間の監視役のやくざの表情がかわる。うまい。その「うまい」という表情が自然すぎるくらい自然だ。「バベットの晩餐」で喋ってはいけないといわれていた近所の老人たちがワインを口にした瞬間、顔の表情がゆるむシーンに似ている。ひとは、うまいものを食べた瞬間にこころが明るくなる。それが顔に出る。
 このシーンなどストリーそのものには何の関係もないような部分なのだけれど、その積み重ねが、ストーリーを「日常」にしてしまう。監視役の二人が盗聴マイクから流れてくるイーストウッドの聞いている曲をバカにしているうちに、だんだんその気になってくるところとかね。
 こういうことがあって、孫娘の卒業式に出席したイーストウッドがダイアン・ウィーストの咳に気づき、それが「運び屋」のストーリーの奥の、ほんとうのストーリーにつながっていく。このシーンも、ほんとうに短い。けれど印象に残る。だから、最後にあれが伏線だったと、自然に納得できる。
 ダイアン・ウィーストが死んでゆくシーンは、もっと感情的に盛り上げようとすれば盛り上がるシーンだし、感情的に盛り上げようとしなくても盛り上がってしまうシーンだが、イーストウッドはきわめて淡々と撮ってしまう。考えてみれば「主人公」とはいえ、それは観客にとって「他人」。のめりこんでしまうと「他人」ではなくなる。映画の楽しみは「自分」ではなく「主人公」になってしまうことだけれど、それは瞬間的なことであって、観客は観客の人生にかえっていかなければならない。そういうことを承知しているから、さらりと「こういうことがありました」という感じにおさえてしまう。おさえても、それは静かに触れてくる。この「触れてくる」という感じがとてもいい。
 「もっと」と思うときもあるけれど、「もっと」は観客のそれぞれが自分の人生で実践すればいいことなのだろう。
 ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィースト、アンディ・ガルシア。出演者の誰もが「主役」を演じることができるのだが、みんな「脇役」に徹している。イーストウッド自身「脇役」を演じている感じがする。
 ブラッドリー・クーパーとの朝のコーヒーショップでの会話、アンディ・ガルシアの豪邸での監視役のやくざとの会話など、大切なことはイーストウッドがセリフにしているのだけれど、そのセリフの向こう側にブラッドリー・クーパや監視役のやくざの人生が「事実」として動く。その「事実」を浮かび上がらせる産婆としてイーストウッドがいる。「脇役」として生きている。
 ハイウエーでパンクしたアフリカ系家族とのやりとり、女性ライダーたちとのやりとりという「エピソード」にすぎない部分にも、「事実」とその「事実」が噴出してくる瞬間に動いている「他人の感情」をしっかり浮かび上がらせている。浮かび上がらせるためにイーストウッドがいる。
 で、ね。
 これが何というか……。イーストウッドの演じた「運び屋」の男の性格そのものなのだ。自分のことに集中していればいいのに、ついつい「他人」に目を向けてしまう。「他人」から評価されたい、評価されるときの喜びを味わいたいという欲望が主人公の体にしみついてしまっている。そのために「家族」をほっぽりだしてしまう。「家族」も「他人」なのに「身内」なので、ついついないがしろにしてしまうということなんだろうなあ。「家族」よりも「他人」に喜んでもらいたい。それが、イーストウッドを逸脱させてしまう。という具合に、ストーリー全体にもおおいかぶさってくる。
 この不思議な不思議な「構図」(映画構造)が、泣かせる。
 (2019年03月09日、ユナイテッドシネマキャナルシティ・スクリーン2)
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岡野絵里子「病室」

2019-03-09 10:01:23 | 詩(雑誌・同人誌)
岡野絵里子「病室」(「彼方」3、2019年02月28日発行)

 岡野絵里子「病室」は死んでいく伯母を描いている。

夜の深さは忘れられる
眠る伯母の病室は夜のはずれにあった

 「夜のはずれ」ということばが強く響く。時には「中心」よりも「はずれ」の方が意識を引っ張る。

伯母の気配は淡い灯りとなって瞬き
遠ざかって行こうとする
残された身体は透き通り
空洞を震わせて
何かを奏で始めいた


だろうか?

 理詰めすぎて、私は、ここで少しいやな気持ちになったのだが、そのあとのことばがとても美しい。

いや
それはかつて
彼女が家族と暮らした土地の
明るい林の音 に聞こえる
木立が枝を差し伸べて
生きる時間に触れていた音

 「歌」ではない。「音楽」ではない。「歌」や「音楽」になるまえの「音」をつかみとっている。武満徹の耳のようだ。「音」を「歌」や「音楽」に変えていくのは、それを聞いた人であって、作曲家ではない。
 それは前の連の「淡い灯りとなって瞬き」の「瞬き」のようでもある。

  陽を浴びて葉々がそよぐ
  あふれる光の下を
  若い母親と子どもが手をつないで歩いて行く

 これは「情景」であり、視覚でとらえる世界だが、なぜか「音楽」が聞こえる。「音」が聞こえる。「音」ということばをつかっていないのに。
 詩の不思議さを感じる。


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