詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(32)

2020-04-15 20:45:41 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

「雑草詩篇 Ⅱ」から

* (ぼくは誰にも動かされないように)

自分の舌の上で眠る

 「舌」はことば。自分のことばで、動く。詩人の決意である。
 「舌」という「肉体」でことばをとらえなおしているのがおもしろいが、なぜ「舌」なのだろう。「二枚舌」ということばがある。他人のことばを借りるとき、人間は「二枚舌」になる。そうは、ならない、という決意と読むことができる。
 「自分の舌」だけで生きていく。「ぼく」を「自分」と言い直す。「二枚」を拒否し「一枚」を強く自覚するために、それを自分に言い聞かせているのだ。








*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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estoy loco por espana (番外48)Joaquinの作品

2020-04-15 08:49:54 | estoy loco por espana
Joaquinの作品「バランスと遊ぶ」




左上の作品。
遠くなつかしいものを見ているような静けさがある。
右上の作品。
ユーモアにあふれる。お菓子が口の中に転がり込んでくるのを待つこどもを思い出す。
左下の作品。
恋人の葛藤を描いているようだ。葛藤しながら、とどまるふたり。

ふと、こころが動いた。いま、世界中が「クワレンテーナ」の中にいる。恋人たちは、どうしているだろう。

El trabajo en la parte superior izquierda.
Existe la tranquilidad de mirar algo lejos de mi.
El trabajo en la parte superior derecha.
Lleno de humor Recuerdo a un nino esperando que los dulces se les metieran en la boca.
El trabajo inferior izquierdo.
Parece ser un conflicto de amantes. Dos personas en conflicto.

De repente, mi corazon se movio. El mundo esta ahora en "cuarentena". ¿Que estan haciendo las amantes?



とどまる。
動かない。

  動くなという声を聞いたから。

落ちてしまいたい。
落ちてはいけない。

  動くなという声を聞いたから。

こころのなかで叫んでいる。
こころが叫んでいる。

  動くなという声を聞いたから。

戦っている。
自分自身と。

  動くなという声を聞いたから。

支える。
無言で。

  動くなという声を聞いたから。

待つ。
無言で。


Quedarse
No se mueve

  Escuche una voz que decia que no te moverua.

Quiero caerme
No caigas

  Escuche una voz que decia que no te moverua.

Gritando en mi corazon
El corazon esta gritando.

  Escuche una voz que decia que no te moverua.

Peleando
Conmigo mismo.

  Escuche una voz que decia que no te moverua.

Apoyo.
En silencio

  Escuche una voz que decia que no te moverua.

Espera
En silencio


私たちは、いま、家にとどまる。
それが世界を救う。

Nos quedamos en casa ahora.
Salva al mundo.
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(31)

2020-04-14 21:48:15 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (一つの夜が終わる)

芝生の上に窓から灯りがながれている
時のながれに逆らうようにひとりの男がアプサンを飲んでいる

 「ながれ(る)」が二回繰り返されている。そして、それは「夜が終わる」の「終わる」のなかにも隠されていたことばだ。
 男の中をアプサンが「流れる」と引き継ぐこともできる。
 だが、男は、それに逆らいたいのだ。あらゆる「ながれ」を逆にひきもどしたいのだ。

女は昨日通った橋の上をむこうの町へ帰っていった








*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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八重洋一郎「カナリヤ」、野沢啓「底の割れない話」

2020-04-14 21:30:52 | 詩(雑誌・同人誌)
八重洋一郎「カナリヤ」、野沢啓「底の割れない話」(「イリプスⅡ」30、2020年03月10日発行)

 八重洋一郎「カナリア」には「『ゲルニカ』(文・図版構成 アラン・セール 訳 松島京子)より」という註釈がついている。触発されて書いた作品なのだろう。

あれはカラスではない 真っ黒に
焼け焦げた
カナリヤ
カラスよりも大きく羽をツッパリ
バタバタバタバタバタ
クルクルクルクルクル
バタバタバタバタバタ 首を伸ばし
暗い空にむかって 垂直に
黄色い叫びをあげる
カナリヤ

 音が強い。音の強さが、ことばを支えている。「ツッパリ」は「突っ張り」なのかもしれないが、何か意味を拒絶して、「音」そのものになっている。「意味」を突き破っている。これが、その後の音を動かしている。
 長い詩で、途中は「意味(主張)」が強いのだが、最後にふたたびふたたび「音」が蘇る。

あれはカラスではない 理由(いわれ)なき理由を押しつけられて 真っ黒に
焼け焦げた
カナリヤ
カラスよりも大きく羽をツッパリ
バタバタバタバタバタ 気が狂い
クルクルクルクルクル 身も狂い
バタバタバタバタバタ すべて狂って 首を伸ばし
硝煙渦巻く
暗い空にむかって 垂直に
黄色い叫びをあげる

あれは叫びとなった
カナリヤ
あれはむせかえる叫びとなった生きとし生けるもの万物の
カナリヤ
カナリヤ カナリヤ
カナリヤ

 書き出しと比較すると「狂う」という動詞が追加されていることがわかる。狂ったのは「理由なき理由を押しつけられ」たからだ。ここに強い批判がある。音の強さが、八重の声の強さにつながっている。
 省略した途中を引用した方が「意味」はわかりやすくなると思うが、「意味」よりも、私は「声」そのものに八重の「肉体(思想)」を感じたので、あえて、その部分だけを引用しておく。



 野沢啓「底の割れない話」は三木清のことばに触発された(?)作品。一行目に三木のことばが引用されている。

《表現とは底を割ることであり、しかも割られた底に何物もあるのではない。》
そこがわからない 底がわからない
わたしに底はあるか
そこを知りたい

底が割れた話ならいくらもある
底の知れた話だ
でも いまはちがう
不思議なことばだが
わかりたい
わからねばならない
なにもなくてもいい
むしろないほうがいいかもしれない

 私は、三木のこのことばをおぼえていないが、とても「よくわかる」。まあ、「わかる」というのは「誤解」できる、自分なりに納得できるという意味だが。
 書くというのは、自分の内部からことばにならないものをひっぱりだすということだと思う。ことばになっていないものを、ひっぱりだす。そこまで到達しないと「表現」にはならない。そして、そのときの「内部」というのは「底」のさらに「底」。底を割ったところだ。もちろん、そこには何もない。「ことば」はないのだ。その「ことば」ではないものが、底を割った瞬間に噴出してくる。それは自分の手には負えない。何か書いてしまうが、何を書いたかわからない。そういう瞬間が、私は「表現」だと思っている。
 それは「論理」ではないから、「何物もあるのではない」としか言いようがないのだと思う。「わからない」ものに出会うことが、「表現」だと思う。だから、「そこがわからない」と「わからない」を書いた瞬間に、野沢の「表現」は終わっていると、私は思う。
 それに比べると、私は「わかったつもり」になっているから「表現」にはたどりついていないことになる。
 どうやったら、たどりつけるかなあ。
 野沢の詩のつづきを読んでみる。

わたしは空洞だ
そこを音が鳴り響いてくれればいい
ex-pression
なにかが押し出される
外出する
でもどこへ
わたしのまわりに何がある
そこへむけて外出するのかさせるのか
だが何を
わたしの空洞は音楽だ
ひゅうひゅう
そのばあい世界はどこにあるのか

 私は「ex-pression 」ということば、「押し出される」「外出する」ということばに、つまずく。
 「わたしは空洞だ」と書くとき、野沢は、わたしの「内部は」空洞だ、と感じているのだと思う。その「内部」に対して「外」ということばが動き、「出す」ということばが動いていると思う。
 「底」を割ったら、その「底の底」から何かが噴出してきて、外へ飛び出す。そういうことを「表現」と感じているのだと思う。
 私も「噴出」ということばをつかったが、そのとき私が感じているのは、「外」ではない。あくまで「内部」に噴出してくる。「内部」が変わる。底がなくなって、「内部」でなくなる、という感じなのだが。何もなくなるのだ。「内部」であるという感じすらなくなる。
 たぶん、この感覚の違いが、私と野沢の違いなのだと思う。
 そして、私の「誤解」をそのまま書き続ければ、「ex-pression 」というような「外からのことば」で「底」を割るというところが、たぶん三木のことばが「わからない」ということにつながっているのだと感じる。外からのことばを借りてくると、ことばが整ってしまう。そこのことばには既成の「意味」があって、それが「底」をふさいでしまうのだ。割ったつもりが、新しい容器に変わってしまうのだ。「底を割る」というのは、ことばが成立しなくなることだ。
 野沢は「そのばあい世界はどこにあるのか」を最終連で言い直している。その四行を、私はあえて引用しない。引用すると、私の考えたことをもう一度説明し、整えることになる。それは「底を割る」ということではなく、「表現にみせかける」ということになると思う。私は、そんなふうにして「わかりたくない」。
 だから、このまま放置しておく。
 そして、さらに違うことを書く。なんだか、わけのわからないことを書く。

 そのとき、ことばは、言うのだ。「外にはことばがあふれている。確立されたことばだ。多くのことばは、その外にあることばを利用してことばの世界を広げて行く。どれだけ外のことばを、新しいことばを取り込むことができるかを競っている。」
 それから、間を置いて、こうつづける。
 「私は、ことばの内部から、ことばにならないものを探したいのだ。それは決して外へとは広がらない。それは取り込むではなく、むしろ取り出すである。しかも、外へではなく、内部へ取り出すのである。」

 このことばの言ってることは矛盾している。「内部」が二重の意味につかわれている。だが、それは置き換えてはならないことばなのだ。



 最後に付け加えておくと、八重の場合「羽をツッパリ」の「ツッパリ」が八重の「底」を割ったのだと思う。そして、「内部」が「内部」ではなくなって動いている。もちろん、それは「外部」でもない。野沢のことばをかりれば「世界」だ。






*

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「詩はどこにあるか」2020年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)

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2020年04月14日(火曜日)

2020-04-14 18:49:54 | 考える日記
 そのとき、ことばは、言うのだ。「外にはことばがあふれている。確立されたことばだ。多くのことばは、その外にあることばを利用してことばの世界を広げて行く。どれだけ外のことばを、新しいことばを取り込むことができるかを競っている。」
 それから、間を置いて、こうつづける。
 「私は、ことばの内部から、ことばにならないものを探したいのだ。それは決して外へとは広がらない。それは取り込むではなく、むしろ取り出すである。しかも、外へではなく、内部へ取り出すのである。」

 このことばの言ってることは矛盾している。「内部」が二重の意味につかわれている。だが、それは置き換えてはならないことばなのだ。


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報道の変化(何を報道すべきか)

2020-04-14 09:24:45 | 自民党憲法改正草案を読む
報道の変化(何を報道すべきか)
       自民党憲法改正草案を読む/番外337(情報の読み方)

 
 2020年04月14日の読売新聞(西部版・14版)の31面(社会面)。

新型コロナ 国内8000人超す

 という全国の「統計」につづいて、

92人院内感染か 東京・中野

 という記事。永寿病院につづいての大規模な院内感染の可能性について書いている。その事実については、その通りなのだと思うが、ひとつ非常に気になったことがある。
 記事中に13日の東京都の感染者の数が書いてない。一覧表を見ると257人増えている。この257人は、東京都としては最大の感染者数であり、また私の記憶によれば初の200人突破だ。土曜日だったと思うが、200人寸前だった。
 院内感染も重大な問題だが、200人を超した。しかもこれまでの数より50人以上(60人近く)増えている。なぜ、問題にしないのか。そこに読者の注意を引こうとしないのか、それが疑問だ。一覧表を見ないと、実数がわからないというのはあまりにも不親切だ。
 さらに、この一覧表を見ると、不思議なことにも気づく。感染者の累計は7689人、死者の累計は155人。死者の割合は、ざっと計算して2%くらいである。この割合は、コロナが問題化してから、ほとんど変わっていない。最初のころの「情報」どおり、感染しても8割は軽症、重症化するのは2割、死亡するのは2%といわれた「数字」そのままである。イタリア、スペイン、フランス、イギリスなどのヨーロッパでは死者は1割を超えている。あまりにもちがい過ぎる。死者「2%」という数字に合わせて、感染者、死者を統計しているような印象を持ってしまう。
 「数字(事実)」を隠そう、隠そうとしている感じがするのだ。

 「院内感染」が問題になっているが、しきりに問題になるもうひとつのテーマに「医療崩壊」がある。
 何度も書いているが、このことばに私は非常に疑問をもっている。病院の受け入れ能力を上回る患者が押し寄せて、病院が機能しなくなる。助けられる患者も助けられなくなるということを指して言うらしいのだが、それを、いま、なぜ言うのか、それが私にはわからない。
 たしかにそういうことは起きるかもしれない。
 しかし、新型コロナの感染者は「助けられる患者も助けられなくなる」という範疇(分類)には属さないのか。なぜ新型コロナの患者を「助けなければならない緊急の患者」ととらえないのか。8割が軽症だという。しかし2割は重症化し、ヨーロッパの例では1割が死んで行く。発症から死亡までの期間を私は追跡したわけではないが、2週間から、長くて4週間くらいだろう。「軽症者」が自宅療養していたら体調が急変して死亡したという例も何件も報告されている。(きのう話題になった清水建設の社員もそうだった。)こんなに急に死んでしまう病気というのは、ほかにあるのか。
 私の父は胃がんで死んだが、がんに気づいたのは末期であと3か月のいのちといわれた。手術をしたので6か月生きた。兄は肺がんで、あと3か月と言われたから約1年生きた。新型コロナに比べると、ずいぶん「のんびり」している。(もうひとりの兄は、事故で手術もできずに死んだ。母は、老衰して、長い時間をかけて死んだ。)
 胃がん、肺がん、事故、老衰と違い、この新型コロナは「感染症」である。他人にうつるのだ。病気を広げるのだ。「3密」が話題になっているが、特に「濃厚接触」しなくても、ドアのノブに触って感染が広がる、スーパーの商品パッケージにさわって感染が広がるということもあるのだ。どうやって感染するか、感染ルートが特定できないことが多いのだ。いまは、とくにそういう状態になっている。
 国民の「健康崩壊」がどんどん進み、人が次々に死んで行く。それを無視して「医療崩壊」と言ってもはじまらないだろう。感染を封じ込めるには、検査をすすめ、感染者を確実に「隔離」するしかない。さらに人が接触する機会を減らすために「外出しない」を徹底するしかない。
 だからこそ、

緊急宣言1週間/7都府県 休業要請(1面の見出し)

 ということも起きている。多くの人が、「休業補償」もどうなるかわからないのに、それに協力している。「経済崩壊(家計崩壊)」のなかで、それに協力している。いのちがいちばん大事だからだと思っているからだ。国民の多くは「健康崩壊(感染して死亡する)」か「経済崩壊(金がなくなり、食わずに死んでゆくか)」というところに追い込まれている。
 「健康崩壊(死ぬ)」さえ防げれば、いつかは「経済崩壊(貧乏)」から立ち直れるかもしれない。しかし死んでしまったら(健康崩壊したら)、経済を立て直そうにも立て直せないのだ。いのちは一回きりなのだ。
 医療現場が厳しいのは想像できるが、医療現場の人は、いま医療をしなければ新型コロナで死んでいく人がいるということを忘れないでほしい。新型コロナは、ほかの病気と違って感染者を増やしていくのだ。あっという間に感染者を増やし、あっという間に死んでいく。これを防ぐためにどうするか、それを考えないといけない。
 だいたいクルーズ船から2か月以上、医療現場の人は政府(安倍)に中国のように病院を建てろ、韓国のように徹底検査する方法を確立しろと要求してきたのか。人工呼吸器を増やせ、と要求してきたのか。そういうことをし、それでも対応できないというのなら、まだ「医療崩壊」を訴えるのはわからないでもないが、検査・治療システムを構築せずに、院内感染が起きた、「医療崩壊」が起きる、というのは、どうも素人から見ると納得できない。
 いつでもいちばんの弱者(知らずに感染し、突然症状が悪化して、治療を受けられずに死んでいく人)の立場から、ものを見ないといけないと思う。いちばんの弱者に危険を知らせる工夫が必要だと思う。
 いま、東京がどれだけ危険な状態なのか、国民一人一人が知れば、「自粛要請」などしなくても、人は仕事にいかないだろう。高校生が登校を拒否したように、会社員も「出社拒否」をするかもしれない。ストをするかもしれない。
 きょうは何人の感染がわかるのか(何人検査したのか)、そのうち経路がわかる人は何人いるのか(経路がわからない人が何人いるのか)、そういう情報は正確に公開されるべきである。そうしないと国民はどう行動していいか、わからない。
















#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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総選挙に利用するな

2020-04-14 00:33:20 | 自民党憲法改正草案を読む
総選挙に利用するな
       自民党憲法改正草案を読む/番外336(情報の読み方)


 知人が「安倍は頭がおかしいんじゃないか」というコメントとともに送ってくれたリンク。NHKのニュースだ。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200413/k10012385201000.html?fbclid=IwAR2RqzWY82DkUnZjMOJZ4XDcvtLPTtfXDzuuDm2GBfopnXV2xossgRDvYbA

自民 役員会 「接触削減 議員は地元で徹底を」安倍首相

安倍総理大臣は、自民党の役員会で、「感染拡大防止のためには人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減する必要がある。7都府県に強い自粛要請を行うことで、ほかの県への人の流れが生まれるようなことがあってはならず、繁華街の接客を伴う飲食店の利用自粛を要請したところだ。それぞれの地元でも徹底するよう、議員一人一人の協力をお願いする」と呼びかけました。

私は、あっ、と叫んでしまった。NHKも見出しに取っているが「議員は地元で徹底を」とは何事だ。
この「議員」とは地方の議会議員ではない。「国会議員」だ。
つまり国会議員に「地元に帰って、顔を売れ」と言っているのだ。言い換えると、選挙運動をしろ、というのだ。
安倍の支持率が、コロナ対策をめぐって低迷している。このままでは、辞任に追い込まれる。それなら国会を解散して、総選挙だ、というのが安倍の狙いだ。
「自粛」呼びかけ、「家にいよう」だけなら、どこででもできる。「地元」に帰る必要はない。だいたい、地元に帰ってもコロナ感染拡大対策を実行するなら、「不要不急」の人との接触はできない。それなのに、「地元で」というのはおかしいだろう。
総選挙になっても、コロナ対策で「集会」はできない。もちろん街頭演説などできない。人が集まってくるのは感染拡大につながるからだ。ビラ配りもできない。ビラから感染する可能性がある。手渡しなど、もっての外だ。選挙運動ができない。それは新人が圧倒的に不利だということだ。現職の議員は顔も名前も知られている。新人は顔と名前を売らないといけない。
国民が安倍のコロナ対策が原因で死んで行く。医療現場も懸命にがんばっている。それを横目に、自分の地位だけを考えている。
いま選挙をすれば、どんなに安倍批判が強くても、自民党が圧勝する。野党や新人候補は絶対に勝てない。
こんな「わがまま」な戦略を考えたのはだれだ。安倍ではなく、今井か、和泉か。私は二人の区別がつかないが、布マスク配布を考えた人間に違いない。国民の「目先」だけを狙っている。

議員は「地元」などに帰るな。いまこそ、国会の力でコロナ対策を推し進めないといけないときだ。いまなら選挙に勝てる、というような利己主義的な考えで行動するな。安倍に言われても、そういう方法は間違っていると拒否しろ。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(30)

2020-04-13 19:17:28 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (小さな駅を)

丘の上に見ながら歩いていった
その日におまえにはじめて出会ったのだ

 どこで出会ったのだろうか。
 丘の上の駅だろう。だから、このとき嵯峨は、まだ、「おまえ」に会ってはいない。これから会うのだ。
 丘の上からは何が見えるだろうか。いままで見えなかったものが見える。そして、そのいままで見えなかったものとは、いままで見たかったものであり、二人だからこそ見えるものなのだ。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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ここに注目

2020-04-13 18:38:53 | 自民党憲法改正草案を読む
ここに注目
       自民党憲法改正草案を読む/番外336(情報の読み方)

 
 2020年04月13日の読売新聞夕刊(西部版・4版)の8面に、テレビ朝日の富川アナウンサーが新型コロナに感染したというニュースが乗っている。3日から順に症状の変化を書いてあるが、気になる部分があった。

7日の番組出演中にたんが絡む症状が表れ、その後、階段を上る際に息苦しさを感じるようになったという。

 これまで新型コロナの症状の特徴の一つに「空咳」というのがあった。たんが絡まない。中国の医師が報告していた。なぜ、この部分を克明におぼえているかというと、私は風邪を引いたときたんが出ないからだ。咳は出るが、いつも「空咳」。これでは感染したかどうかの目安にならない。困ったなあ、怖いなあ、と実感したのだ。
 しかし、富川は「たんが絡む症状」を報告している。
 これは、もしかすると最初のコロナウィルスとは違うのではないか。つまり、変異している証拠なのではないのか。

 感染すると匂いを感じない、味を感じない(嗅覚、味覚に影響が出る)というようなことも言われている。富川の場合はどうだったか。そういう自覚はあったか。なかったとしたら、それも変異の間接的な証拠になるかもしれない。もちろん、嗅覚、味覚に異変を起こす方が変異したウィルスの可能性もある。
 どちらにしろ、こういう症状だからということだけでは簡単に識別できなくなっているということだろう。

 清水建設では、自宅待機中の社員が死亡し、その後、陽性だったことが判明し、緊急事態宣言の出ている自治体での工事を中断するというニュースもある。
 症状も一定でなければ、その変化も一定ではない。危険がどんどん高まっている。















#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(29)

2020-04-12 21:34:41 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (辛うじて哄った)

もしその哄いが時の愚かなまちがいなら
ふた足み足ぼくは余分に歩けるはずだ

 「時」は何を指しているのだろうか。「時」に人格を与え、「時」が間違えたということなのか、それとも「ぼく」の「その瞬間」という意味か。
 「時」というのはだれにも属さない「客観的」なものだから、間違えるということはない。間違えたのは、「その時のぼく」ととらえるのが普通かもしれない。このとき「時」は「主観的な時(時間)」ということなる。
 けれど、私は「客観的な時」、存在として「絶対的な時」そのものが間違え、「ぼく」に反映してきていると読みたい。
 理由はない。単なる私の欲望である。
 そう読んだから、意味がどうかわかるのか、ということは考えない。「結論(意味)」は保留して「時」(絶対)そのものが「間違える」ということを想像したいのである。
そのとき「ふた足み足」の「肉体(足)」そのものが生まれ変わる。「ぼく」が「足」なになる。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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多和田葉子「国分寺駅三番線午前六時二十四分」

2020-04-12 19:03:45 | 詩(雑誌・同人誌)
多和田葉子「国分寺駅三番線午前六時二十四分」( 「現代詩手帖」2020年04月号)

 多和田葉子「国分寺駅三番線午前六時二十四分」の書き出し。

靴先がはみだしている
DO OR が閉まりますので ご注意ください
乗り損ねるな ノアの方舟
閉まったら はさまれてしまうに違いない
はみだしている 靴の先
毎朝少しずつ 短くなっていく

 「靴先がはみだしている」から「毎朝少しずつ 短くなっていく」までの「毎朝」の変化。
 何が起きているのか。
 「DO OR」という表記は、Oが重なるとき、ドアが閉まるという感じなのか。接触を通り越して、まるで鋏かなにかのよう。
 そう思っていると、

つめてください 指先を 今日のその先の時間を
鉄の障子がスローモーションで閉まる
靴先たちはじわじわと
内部に後退していった

 「つめる」は「奥につめる」というよりも、やくざ映画の「指をつめる」に似ている。このあと「指切り」ということばが出てくるのも、その影響(?)だろうなあ、と思うが、私は「指をつめる」ということをしたことがないので、自分自身の「肉体感覚」としてははっきりとはつかみきれない。「想像」として、そう思うだけである。
 満員電車というもの、私は、人の吐く息の濃密さについていけないので、習慣的に体験したことがない。つまり、自分の「肉体感覚」では、あまり思い出せない。思い出したくないので、記憶から消しているのかもしれない。
 でも、なんとなく「満員電車」という感じはわかる。わかるけれど、どきりとはしない。
 ところが。

あの靴 この靴が 狭い箱の中で
三時の方向 九時の方向に 居場所を探す
人を踏み台にすることもあるだろう
すみません、とまなざしを交わし合うには
近過ぎる眼球と眼球

 私は、ここではっとする。「眼球」ということばに。「近過ぎる目と目」ならたぶん、はっ、とはしなかった。「目」には何かを見るという「仕事」がついてまわる。「見る」という動詞がついてまわる。しかし「眼球」には普通は「動詞」がない。
 私は定期的に眼科で眼底検査をしているが、そのときでも「眼球」とはいわない。右見て、下見て、こんどは左下とか先生がいうときは、「目で、右の方を見て」ということであって、見るという動詞に眼球の動きがついていくだけであって、眼球を動かして右を見ると意識することはない。「眼球」には動詞はついてまわらないのだ。
 では、「眼球」とは何なのか。
 意識を気にしない(?)肉体そのものなのだ。よほどのことがない限り「眼球を動かす」とはいわない。意識して動かすものではない、意識をはねつけるような「なまなましい」ものがある。たとえて言えば、心臓だとか、胃だとか、膵臓だとか。意識ではなく「本能」が支配している感じ。
 で、

近過ぎる眼球と眼球

 ということばを読んだとき、私は「裸」を思ったのである。「裸」と「裸」が電車のなかで接触している。まるで「濃厚接触」である。逃げきれない「接触」。現実には触れていないのに、現実を越えて触れるどころか、相手の肉体に侵入していく感じ。

 これは、すごいなあ。

 そして、このとき思うのだが、この「眼球」ということばを選択させたのは何なのか。もちろん多和田の意識なのだが、私は、同時に「ことばそのものの意識/ことばの肉体」が動いているのだと感じる。
 私はよく「ことばの肉体」という表現をつかう。そして、何度か、ほかの人か「ことばの肉体って、何?」と聞かれたことがある。それは、ちょっと説明しにくいのだが、多和田がつかっている、この「眼球」のようなことば。それを誘い出す何か、ことばの「本能/欲望」のようなもの。
 「眼球」は単独で見ると「肉体の一部」をあらわすだけのことばなのだが、それがことばとしてあらわれてくる前に、「靴の先をつめる/指先をつめる」ということばの運動がある。その「つめる」という動詞が引き起こす「肉体の直接性」(指をつめたら痛い、血が出る)のようなものが、ことば自身の作用として「目」ではなく「眼球」を選びとらせるのだと思う。
 あることばがこう動いたら、そのことばのつづきとして、別のことばはこう動くのだという「肉体の連続性」がある。人間が走るとき、右足を先に出して、爪先に重心を移しながら、その移動の力をかりて左足を前に出すという動きのように、不思議な連続性があるのだ。私は、そういうものを感じる。そして、そういう「ことばの肉体の連続性(運動の正確さ)」みたいなものを感じるとき、なんだかどきどき、わくわくする。






*

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数字はほんとうか(その2)

2020-04-12 09:51:05 | 自民党憲法改正草案を読む
数字はほんとうか(その2)
       自民党憲法改正草案を読む/番外336(情報の読み方)

 
 2020年04月12日の読売新聞(西部版・14版)の1面。新型コロナの感染者。

東京197人、福岡43人 感染最多

 この数字をどう見るか。読売新聞は、次のように分析している。(番号は私がつけた。)

①今月8日の感染者(144人)は前日比82%増と急増したが、9日(178人)は同24%増、10日は同6%増と伸び方は鈍化しており、11日の増加率は同4%だった。
②ただ、感染の有無を調べるPBR検査を実施できる数には限界があり、都幹部は「検査数が増えれば、感染者数も増える可能性がある」と危機感を示す。

 これは①の数字が「当てにならない」という証拠である。いったい何人検査をしているのか。その「母数」(分母)がわからないかぎり、現象の一部を表面的にとらえただけにすぎない。
 極端な話、毎日200人しか検査していなかったとしたら、どうなるのだろう。感染率を計算してみる。
8日 144÷200=72%
9日 178÷200=89%
10日(不明)
11日 197÷200=98%
 毎日感染率が上がってきている。
 たぶん、検査数(分母)を増やしながら「感染者の伸び率」が低下するように操作しながら「発表」しているのだろう。(①の計算は、感染者が何人伸びたか(感染者増加率)であって、感染率は計算していない。)
 感染者の増加率を操作するために、どういう「分母」を設定するかというのは私のような人間にはめんどうだが、「算数」のレベルとしては中学生でもできることだと思う。
 そういう「事実」があるからこそ、都患部は正直に「検査数が増えれば、感染者数も増える可能性がある」と言っている。しかも、私が計算したように「分母」を一定だと仮定すると「感染率」がどんどん伸びているのだから、分母が大きくなれば感染者数が爆発的に増えるのは目に見えている。
 大事なのは、正確な情報。
 感染症の場合、「感染者の伸び率」よりも「感染率の変化」。100人検査して50人陽性と、1000人検査して500人陽性では、「感染率」は50%でかわらないが、感染者の伸び率では10倍になる。逆に言えば、前日に1000人検査して500人の陽性者を確認する。次の日に100人検査して50人の陽性を確認する。その場合「感染率」は50%でかわらないが、感染者数の伸び率は「10分の1」になる。
 数字の発表だけでは、「数字の意味」は見えない。一部の数字だけではなく、全部を公表しないといけない。検査申し込みが何件あったのか、そのうち何件を検査したのか、そして何人の陽性者を確認したのか。これを隠したまま、きょうの感染者が何人と発表しても意味はない。そういう発表をするのは、すべてを公開すれば「数字の操作」がわかってしまうからである。
 都幹部は「検査数が増えれば、感染者数も増える可能性がある」と言っているが、可能性ではないのだ。

検査数が増えれば、感染者数も増える

 ことはだれもが知っているのだ。その「事実」(感染率がアップしてきている)を伝えたくて幹部はそう語り、読売新聞はその「意」を酌んで、幹部の声を載せたのだろう。

 きょうのニュースでは

首相「出勤7割削減」要請/7都府県、全事業者に

 にも注目した。
 「緊急事態宣言」で自治体に対応を任せていたのに、突然、首相が出てきた。これでは「指揮系統」がわからなくなる。「出勤7割削減」はそのまま「労働7割削減」には直結しないが、なかには仕事を失う人もいるだろう。在宅勤務をするにしても、機材の調達などが必要になる。企業によってはセキュリティーの問題が関係してくる。それをどう補償するのか。このことが明確にされていない。
 単に安倍が、「ぼくちゃん、ちゃんと要請したからね」というだけのニュースである。国民のいのちが大事。それを守る必要がある。そのために人の動きを制限する。動きを制限するから、それにともなう損失は補償する、という順序で動かないといけないのに、そうなっていない。
 「人間の動きは制限します。各自で工夫してください。そうしないと国民が死んでしまうかもしれない。それは工夫をしなかった企業と、工夫をしなかった労働者の責任。ぼくちゃんは、ちゃんと要請をした」というのは、言い逃れ。
 「工夫」ということばは、記事の中には、こんなふうにつかわれている。

(西村経済再生相は)事業継続が求められる業種については「それぞれの感染拡大防止の取り組みをしながら、オフィス部分はさまざまな工夫ができると思う」と語った。

 「それぞれの/さまざまな工夫」ではなくて、政府の明確な工夫(政策)が必要なのに、それを放棄している。「要請」が「工夫」であってはいけないのだ。




















#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(28)

2020-04-11 17:24:24 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (昨日とは)

一歩ごとに消えていった一日だ

 このとき嵯峨はどこへ向かって歩いていたのか。
 「消える」は、歩いていく「前」が消えるのか、歩いてきた「後」が消えるのか。
 それとも「前」も「後」も消えて、歩くという運動だけがあるのか。


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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(27)

2020-04-10 12:19:12 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (言葉のはてに)

時の墓が立っている

 「言葉」と「時」は嵯峨にとって同じものか。
 ことばが生きているときは、時が生きている。ことばが死んだら、時が死ぬ。
 モーツァルトなら、音のはてに/時の墓が立っている、というだろうか。
 マティスなら、色のはてに/時の墓が立っている、というだろうか。

 人間のはてに(いのちのはてに)/ことばが立っている

 というのは、誰だ。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(26)

2020-04-09 10:06:51 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (何にでも一を加えると一つだけ多くなるというふしぎなおもいは)

だれかが遠ざかっていく背ろ姿に
その人をひとり加えて考える

 付け加えた「ひとり」は「その人」であるというよりも、嵯峨が考えている「その人」である。だから、嵯峨自身を付け加えるということでもある。
 そのとき「ひとつだけ多くなる」のは、どちらだろう。
 「その人」か、嵯峨か。
 「その人」がひとりならば、嵯峨に「一つ」が付け加わったのか、「その人」に嵯峨が付け加わったのか、他人からはわからない。
 だが、あくまでも嵯峨は「その人」に「一つ」が付け加わり、「多くなった」と思いたい。それは「嵯峨自身」を捨てることになるかもしれない。
 「遠ざかる」ではなく、「近づく」の場合は、どうなるだろうか。考えると、ことばが錯乱する。




*

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