福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

「感謝」バッシング

2009年01月28日 |  〇文化・歴史

最近、韓国メディアの一角で、小さな小さな「감사(感謝)
バッシングが起きている。

「ヲタク」の記憶が正しければ、ここ1、2か月の間に、「감사
(感謝)
」という表現が日本式漢字語であるとして、その問題性を
指摘する記事を目にしたのは、今日で4、5回目だ。

これまでも繰り返しこのブログで指摘していることだが、「ヲタク」が
見るに、そもそも現代韓国人の言語生活を支えている漢字語の
およそ95%は日本式漢字語である。

そうした「不都合な事実」を無視したまま行われる「日本式
漢字語清算」キャンペーンの欺瞞性についても、何度もこの
ブログに記してきた。

この問題をめぐる「ヲタク」の韓国社会批判も、もはやマンネリ化を
通り越し「泥沼化」の様相を呈してきた。

今日もまた、日本式漢字語である「소설가(小説家)」という職業を
持つ一人の文化人が、これまた日本式漢字語名称を持つ
독서신문(読書新聞)」に寄稿した「感謝」バッシング記事を
翻訳練習してみた。

そこでは、一人の「소설가(小説家)」が、例によって「민족(民族)
や「문법(文法)」、「명사(名詞)」、「동사(動詞)」、「형용사
(形容詞)
」をはじめその他多数の日本式漢字語を無批判に
駆使しながら、「감사(感謝)」なる日本式漢字語の問題性のみを
恣意的に論ずるという一種の悲喜劇が展開されている。

これは言うまでもなく、ある一人の「小説家」個人の内面世界に
限定された問題というより、現代韓国社会の精神世界に関る
悲喜劇だ。

韓国社会が「内なる大日本帝国」の全体像を直視しようと
しない限り、こうした悲喜劇は、未来永劫にわたって延々と
繰り返されて行くしかないだろう。

「ヲタク」も、延々と続く「泥沼」を覚悟して、批判を続けて行く
しかない。

なお、関連記事の翻訳練習では、紙面の都合で原文の引用を
一部省いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■고맙습니다? 감사합니다?
「コマッスムニダ」と「感謝」
(読書新聞 1月28日) 
 
민족 최대의 명절인 설날이다. 설날뿐만 아니라 새해
들어 주변 사람을 만나면서 우리는 서로 인사를 나누며
‘감사합니다’라는 덕담을 한다. 그러나 이 인사말에는
아직 청산되지 않은 일본어 잔재가 낫지 않은 감기
기운처럼 덧붙여 사용되고 있음을 알아야 한다.
民族最大の祝祭日である旧正月だ。私たちは、旧正月を迎えると、
顔を会わす人々と新年の挨拶を交わしながら、「ありがとうござい
ます(感謝します)」という言葉をよく口にする。しかし、我々の
新年の挨拶の中に、いまだに清算されない日本語の残滓が、
なかなかよくならない風邪のように付きまとっていることを
知らなければならない。

“그간 도와주시어 감사합니다!” “감사합니다. 앞으로도
도와주시면 더욱 감사하겠습니다!”
「いろいろお世話になり、ありがとうございます(感謝しています)」
「ありがとうございます(感謝しています)。これからもよろしく
お願いします」

위에서 말하는 ‘감사합니다’라는 말은 순 우리말이
아니고 일본어에서 탄생한 말이다. ‘감사의 마음’이라는
뜻을 가진 ‘사의 謝意しゃい’는 일본에서 쓰이는
한자이다.
ここにあげた「ありがとうございます(感謝します)」という
言葉は、実は純粋な韓国語ではなく、日本語に由来する言葉だ。
「感謝の心」という意味の「謝意」は、日本で使われている
漢字語だ。

‘감사합니다’를 일본어를 직역하면 다음과 같다.
○かん-しゃ[感謝] <スル> 감사.
「ありがとうございます(感謝します)」の「感謝」を日本語に
直訳すれば次のようになる。

○かんしゃ[感謝]<スル>

바른 일본식 발음은 ‘간샤’라고 해야 한다. 지난 일제
강점기에 슬그머니 들어와 우리말처럼 자연스럽게
쓰이고 있는 말이 바로 ‘감사’라는 말이다. 문법으로 살펴
보면 ‘감사’는 명사이고, ‘감사하다’는 동사이다. 그러나
‘감사, 감사합니다’라는 말이 우리 주변에서 오랫동안
사용했기 때문에 이 말을 버리기에는 쉽지 않을 것이다.
発音は「カンシャ」となる。過去の日本統治時代に、知らず
知らずのうちに韓国に流入し、まるで韓国語のように自然に
使われている言葉が、この「ありがとう(感謝)」だ。文法的には
「感謝」は名詞で、「感謝する」は動詞だ。しかし、これらの言葉は
ともに韓国語の中で長い間使われてきている言葉なので、
取り除くことは容易ではないだろう。

국립국어연구원에서는 외래어 표기법에 대하여
이렇게 정의하고 있다. “이미 굳어진 외래어는 관용을
존중하되, 그 범위와 용례는 따로 정한다.” 관행이란 오래
해온 말을 굳어진 상태로 사용하는 것이다. 그리고
한글 표준어 규정에서는 어원에서 멀어진 형태로 굳어져
널리 쓰이는 말은 그것을 표준어로 삼는다고 규정하고
있다.
国立国語研究院では、外来語表記法について次のように
定義している。「すでに定着している外来語は慣用を尊重するが、
その範囲や用例については別に定める」。「慣用」とは、長い間
使ってきた言葉を定着している表現のまま使うという意味だ。
一方、ハングル標準語規定では、「語源から遠ざかった形で
定着し広く使われている言葉(慣用表現)は、そのまま標準語と
する」と規定している。

우리말에 들어와 있는 일본어투 용어는 다음의 다섯
가지 유형으로 분류 할 수 있다. ① 순 일본어(이지메,
앙꼬 등), ② 일본식 한자어(고수부지, 망년회 등),
③ 일본식 발음의 서구 외래어(쓰레빠, 사라다 등),
④ 일본식 조어의 영어(올드미스, 포볼 등), ⑤ 이들의
혼합형(만땅, 요비린) 등이 그것이다.
韓国語に流入している日本語式用語は、大きく次の5種類に
分類することができる。①純粋な日本語(イジメ、アンコなど)、
②日本式漢字語(高水敷地、忘年会など)、③日本式発音の
西洋語(スレッパ、サラダなど)、④日本式英語(オールドミス、
フォアボールなど)、⑤上記の混合型(マンタン、ヨビリンなど)。

ところで、「ありがとうございます(感謝します)」という挨拶を
純粋な韓国語で言い表す美しい言葉がある。「コマッスムニダ」が
それだ。原型の「コマッタ」は、「他人から恩恵を受けたり他人に
お世話になり、心が満たされた状態」を意味する形容詞だ。語源を
ひも解くと、「コマ」は「神」や「尊敬」の意味を持つ。つまり、
「コマッスムニダ」は、もともと「神のように尊い」、「神のように
尊敬する」という意味を持つ言葉だ。

「コマッスムニダ」は、恩を受けた他人を「神のように尊く感じ、
神のように尊びます」という意味を持つ言葉なのだ。何と高貴で
深い意味を持つ表現であることか!我々がこの「コマッスムニダ」を
常に口にするようになれば、お互いに尊重しあう社会、お互いを
神のように礼儀正しく敬う美しい世の中を作ることができるかも
しれない。

김우영 소설가
キム・ウヨン 小説家


(終わり)


     参加カテゴリ:地域情報(アジア)


続・新華社のガザ報道

2009年01月28日 |   〇世界を読む

パレスチナのガザ地区で新華社の報道写真を撮っている
カメラマンが、中国人なのかパレスチナ人なのかは知らないが、
よほど優秀な報道カメラマンであるに違いない。

あるいは単に、「ヲタク」が好む傾向の報道写真を撮るカメラマンが
たまたま新華社と契約していて、今、ガザで写真を撮っている
だけの話なのかもしれないが・・・。

いずれにしろ、今日、NAVERニュースを読んでいて、「ヲタク」の
目が釘付けになったフォトニュースは、またもや新華社の配信に
よるものだった。

そこには、イスラエルの攻撃により廃墟と化したイスラム寺院で、
神に祈りをささげるパレスチナの人々の後姿が写し出されていた。

ミサイルや砲撃では決して破壊することのできない固い信仰と
強い意思が、レンズ越しにひしひしと伝わってくるような1枚だった。

無神論者の「ヲタク」が、神にささげられる人間の祈りをこれほど
美しいと思ったことは、おそらく過去にはなかったはずだ。

少なくとも、イスラム教徒の祈りに感動させられたのは、この報道
写真が初めてだ。

深い敬意を込め翻訳練習してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



■ 무너진 사원에서 드리는 기도
破壊された寺院で礼拝するパレスチナ人
(ニューシス 1月27日)

팔레스타인인들이 26일 이스라엘군의 공격으로 무너진
가자시티의 이슬람 사원에서 기도를 드리고 있다.
イスラエル軍の攻撃で破壊されたガザシティのイスラム寺院で
26日、パレスチナ人たちが礼拝している。


(終わり)




       ← 応援のクリックをお願いします。