また、お天気が良くない。雨が降ったりやんだりの一日。
やみ間にトマトやスイカの残骸をシュレッダーにかけて片付けました。できれば、白菜を植えるコンテナの土を調合したいのですが、雨に濡れてて具合がよくありません。
お日和が期待できるのは、予報によれば、金曜以降らしい。苗はまずまず順調に育っているし、調合用の赤玉土も堆肥も用意できているんですけど……。
夕食後の演芸タイムは、5代目古今亭志ん生「唐茄子屋」。
「唐茄子屋政談」の前半です。吉原通いにうつつをぬかした若旦那が勘当になり、路頭に迷ってしまう。川に飛び込んで死のうとするところを、叔父さんに助けられるが、叔父さん、助けたのが若旦那とわかると、「助けるんじゃなかった。死んじまえ」。
といっても、見捨てるわけにもいかず、家に連れ帰って、飯を食わせ、ひと晩、寝かせてやる。
翌朝、天秤竿の前後の駕篭いっぱいの唐茄子(カボチャ)を売って来いと命じる。嫌がってた若旦那だが、しょうことなしにひょろひょろと道を歩いてゆくと……。
叔父さんは若旦那に愛想をつかしているようで、心配もしている。このあたりの口調がしみじみと可笑しい。唐茄子を担ぐ際の腰の使い方を教えるところを念入りにやるのは、志ん生師匠の演出でしょうか。こういう、どうでもよさそうなところを微に入り細を穿つように描写するのが落語の真骨頂。
途中、あれこれあって、若旦那が売れ残った唐茄子2個を担いで吉原の近くへ行き、1年前の花魁とのやりとりを思い出しながら、申し訳程度に「唐茄子屋でござい~」と小声でやるのも、情けなさとバカバカしさと可笑しみとを誘う。不思議な感情を醸し出すものです。
今日、聴いた噺はこのあたりで終わりになっています。
後半の、母子を助ける人情噺までやると1時間近くかかるんですね。それほど内容が濃い噺ではないのにたっぷり聴かせられるのは、やはり芸の深みといいましょうか。変わってゆく場面と、人の気持ちの変化が楽しめる一席だと思いました。