「平城宮跡出土の木簡に『倭歌』の記述」というニュースに興味をそそられました。
日本を表わすのに「和」という文字をあてることがよくあります。「和食」とか「和風」とか。
この「和」は、もともと「倭」だったのが変化したのだと理解しているのですが、これで正しい?
今回の「倭歌(やまとうた)は、後の時代に「和歌(わか)」と呼ばれるようになるのでしょうが、「やまと」→「わ」の変換はいつ頃起こったのでしょう?
一般には「大和」という国名を名乗るようになったことと関係があるといわれていますね。「倭」という字の意味が芳しくないので「和」に替え、「大」をつけて、国名の「やまと」にあてた、と。
ということは「倭歌」もそれに準じて「和歌」と書き改められてゆくのか?
ただし、万葉集の題詞にある「和歌」は別の意味(応答歌、唱和歌)のことだそうで、「倭歌」とはちがいます。
「和歌」が「倭歌」の意味になるのはいつなのか。そこが気になるのです。
平安時代に編まれた「古今和歌集」だと「和歌」が「倭歌」を表わしているように思えますが、写本の最初のページの右端を見ると「古今倭謌集」となっていますねぇ。まだ「倭歌」と書かれていたのかも。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます