最近「飛行機の戦争1914-1945」(一ノ瀬 俊也 講談社現代新書)を読んだ。丹念に原資料に当たりながら「日本軍=大艦巨砲主義」という常識を覆そうとする力作だと思った。
著者はあとがきの中で「本書に何か現代的な意味があるとすれば、一国の戦争はその国民の同意なしには不可能であり、軍や政府は人びとの傍観を決して許さずにその手法や勝ち目についての啓蒙、説得をつねに試みる、強制はあくまでも最後の手段であるということだ。」と述べている。
本文の中に近衛文麿の有名な論文「英米本位の平和主義を排す」からの引用があった。「近衛の主張は、第一次世界大戦後における米英が自分の都合のいいように押した立てた『国際連盟、軍備制限」という旗印に日本をはじめとする他国がうかうかと乗ってしまえば武器を取り上げられ、あたかも従順な羊の群れのように英米に従うほかなくなるだろう、というっものであった。」「近衛にとって軍備とは、貧しい日本が厳しい国際環境のなかを生きぬくために必要不可欠なものだったのである。」
この文章を「近衛→金正恩」「第一次世界大戦→朝鮮戦争」「米英→米国」「国際連盟→国際連合」「軍備制限→朝鮮半島の非核化に関する共同宣言・核兵器不拡散条約」「貧しい日本→北朝鮮」「軍備→核・ICBM」と読み替えると今日の北朝鮮の主張そのものになる。
私は近衛の主張や北朝鮮の主張を是とするものではない。戦前に日本には他の選択肢があったし、現在の北朝鮮にも他の選択肢がある。
また現在の北朝鮮と戦前の日本では異なる点が非常に多く、同じ土俵で論じることはできない。
ただし「国民を啓蒙する手段として同じロジックが使われている」ことは興味深い。