金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

リーダーの器量(6)~報奨金を出す

2005年11月14日 | リーダーシップ論

先日私のブログの読者である会社の先輩から「リーダーシップ論の続きがその後ないね。ところで君のリーダーシップ論のリーダーとはどれ位の集団のリーダーをイメージしているの?」という話があった。そこで「リーダーの器量」でイメージしているリードされる集団のイメージを説明しよう。結論から言うと2人から150人位である。リーダーシップを「他人をして自分の考えるところに引っ張っていく技術」と考えるならば、リーダーシップは小は夫婦・恋人・家族、大は規模数万人という大企業、更には国家にまで及ぶはずだ。しかし自分の経験がないことを余り話をしても仕方がないので、上限を150名位とした。この150名という数字は大切な数字で、軍隊で言えば大隊規模であり、これがリーダーが具体的に部下を掌握できる最大単位といわれている。もっとも私の話の中心はもっと少人数の集団におけるリーダーシップを念頭に置いている。

さて本題に入る。実は私の会社は今年前半営業目標等を達成し、業績が良かったので勤務員に冬のボーナス時に特別報奨金を加算することにした。無論こういう意思決定は私単独でやれることではなく、社長や株主の賛意があってできることである。しかしもしこれが良いことであるならば、提案をした功績位はあっても良いと思う。

何故特別報奨金を出すことにしたか?という背景には実は「孫子」の二つの教えがある。それは「九地編」にいう「之を犯(もち)うるに事を以ってし、告ぐるに言を以ってするなかれ」という言葉と「無法の賞を施し、無政の令を懸くれば三軍の衆を犯(もち)うること一人を使うが如し」という言葉である。

前者を簡単に解説すれば、人を使う時は具体的な報償を出せ!言葉で誉めるだけだは駄目だということである。会社の業績が良かったのは君のお陰だ。その内良いことがある・・・などという言葉では駄目で具体的にペイで示せ!という教えであると私は理解している。

後者は平時の規定を超える特別な報償を出したり、平時の処罰を無視する厳しい処分を下すことで大部隊の人員を手足の様に使うことができるという教えだ。ところが組織がある程度大きくなり、又ルールの尊重といったことが重視される様になると、中々「無法の賞」を施すことや「無政の令」を懸けることが難しくなってくる。リーダーの中にはルールを守ることがリーダーシップと考える人もいるがそれは間違っている。ルール通りの運営で事足りるならそれは部下でもできる。リーダーとは組織の意志を統一して組織目的を達成するためには、時としてルールを越えた運営をする必要があるのだ。もっともそれが我侭や暴走になるのかどうかはリーダーの高い志操にかかっているということになる。

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リーダーの器量(5)~執着あるいは持続する意志

2005年10月28日 | リーダーシップ論

今まで自分の直接体験をもとに、リーダーの資質を上げてきたが今日は「執着あるいは持続する意志」ということで、小泉首相を取り上げてみたい。小泉首相について私は世間一般の人以上の知識はないが「郵政改革」を中心とする諸改革を粘り強く推進していることは良し悪しは別として衆人認めるところだろう。靖国神社参拝もしかりである。私はここにリーダーたるものの一つの重要な資質を見る。

それは自分のコミットメントに対する執着であり、持続する意志の強さである。孫子が上げる将の資質で説明すれば「智・信・仁・勇・厳」の信にあたる。信は信念であり、信頼である。信念があるからそこに信頼が生まれるのであり、信念のないリーダーは信用することができないので信頼は生まれないのである。

自分の大きな目標~小泉首相の場合は「小さな政府に向けての行政改革」~に対する執着と地位に対する恬淡さ~総裁任期が来れば必ず辞めるという恬淡さ~が、小泉人気の源泉ではないだろうか?これに較べて凡百の政治家(というよりは政治屋)は、自分の政策目標に対する執着のなさと地位に対する執着の強さで悪臭紛々であった。

前回「恬淡」をリーダーの資質として挙げ、今回その反対概念である「執着」をリーダーの資質に数える。一見矛盾する様ではあるが、リーダーたるものは「執着」するべきことと「恬淡」と振舞うべきことを峻別して行動することができなければならない。リーダーたるものは大きな目標に執着し、些事には恬淡として臨むべきである。国家の大事にたずさわるものにとって己一身のこともまた些事と考える位の高い精神を持っていなければならない。

孫子が「地形編」で言う「進みて名を求めず、退いて罪を避けず、ただ民をこれ保ちて主に利するは国の宝なり」という将こそ名誉や地位には執着しないというリーダーの理想の姿なのである。

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リーダーの器量(4)~恬淡

2005年10月26日 | リーダーシップ論

昨日私のブログを読んでくれている会社の先輩から「リーダーの器量はシリーズものの様だが、どれ位続けるのか?5回位か?」と聞かれた。答は10回程度である。つまり一回一つのリーダーの徳目を書くとして、10個位リーダーの徳目を上げたいと考えている訳である。ところで古来リーダーの徳目として5つ程度を掲げた書物が多いのではなかろうか?

例えば孫子は「将は智・信・仁・勇・厳なり」という(始計編)。また塩野七生さんの孫引きであるがイタリアの高校の教科書は「知性・持続する意志・類まれなる寛容・肉体の健全・説得力、この5つを兼ね備えたものは古来ジュリアス・シーザーしかいない」(徳目の順番については記憶があやふやであるが)と述べる。というようなことで10個の徳目は多いのだろうが、まあできるだけ書いてみたい。

さて本題に入る。私は時々前の会社の社長から飲みとか山登りに誘われることがあり、余程の用事がない限りまずご一緒させて頂いている。実のところ最初は「人を左遷しておいてよく誘うよね」という気が起こらないではなかった。もっともそういう思いは「人は自分のことを2割方過大評価している。俺もその例外ではないだろう。そう思えば左遷と考える程のこともない」という冷静な判断にすぐ打ち消されるのだが。ところでもし社長と私が立場が逆であったならば、私は社長の様に恬淡と振舞うことができるだろうか?と考えることがあるが、どうも私はそれ程恬淡と振舞えない様な気がする。つまり部下の処遇についてあれやこれやと考えたり、いわでもの説明をしそうな気がするのである。

ところが社長は実に恬淡として、そういった話題には全く触れることなく昔通り楽しいお酒を飲んでおられる。恬淡といえば社長ご自身余り地位に汲々としていないのではないか?と私からは見えることがある。勿論社長のご本心は分かる訳はないが、この「恬淡に見える」ということが大切なのではないだろうか?

サラリーマンはリレー選手の様なもので、ある区間を一生懸命走り切るとバトンを次の選手に渡さなければならない。人により多少走る区間が長かったり短かったりするが、いずれバトンを渡すことには変わりはない。バトンを渡すべき時に汲々とするのは誠に見苦しいし、往々に過ちを犯すものだろう。また人事にこだわり過ぎる人物は私からは見苦しく見えてともに仕事をしたいとは思わないのである。恬淡で余り私欲が強くないこと、少なくともそう見えることはリーダーの一つの徳目だと私は考える。

歴史上の人物では足利尊氏のことを大灯国師がその無欲さを勇敢さとともに誉めている。もっとも尊氏が気前が良すぎて、部下に領地を与えすぎたため足利政権は基盤が弱かったというマイナス面も大きいのだが。恬淡・無欲という徳目はプラス・マイナス両面があるというべきかもしれない。

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リーダーの器量(3)~シンプル~

2005年10月25日 | リーダーシップ論

先日エネルギー関連のある取引先から「おたくの銀行の為替デスクの相場観~当面の円安ドル高~が当たっていたので助かった。しかし良いのは相場観が当たったことだけではない。相場観は所詮相場観で当たったり外れたりする。我々も財務のプロなので、色々な人の話を聞いて自分で判断する。おたくのカスタマーディーラーは円安なら円安とはっきり自分の相場観を述べるが、これが良いところだ。メガバンクのディーラーでも玉虫色の相場観を述べるだけの人もいるがこれは意味がない」という主旨の話を聞いた。私はこの話を聞いてGEの会長で名経営者として名高いジャック・ウエルチの次の言葉を思い出していた。

Toughminded people are always simple. Insecured managers create comlexity.

Toughmindedには「意志が強い」という意味と「現実的」という意味がある。Insecuredとは自信がないということ。

従ってウエルチ会長の言葉は「意志が強くて現実的な人はつねにシンプルである。自信のない管理者は事態を混乱させるだけだ」という意味である。

このシンプルということが、リーダーシップのみならずビジネス遂行上極めて重要なことである。ところで世の中の事象は複雑なものであり、それを人間がとらえる時どう認識するか?という問題は、その人の個性によって異なる。これは心理学は「認知的複雑性」と呼ばれるものである。複雑な事象から今自分に必要なものを切り出しフォーカスする・・・・写真に例えれば、強調したい花なら花にフォーカスし、背景を思い切ってぼかす・・・という手法がリーダーには必要ということだ。こういう認識方法を取ることができる人を「認知的複雑性が低い」というそうだ。

意志の強い人間は現実的だというのも良い言葉だ。我々はともすれば自分に有利な様に事態を解釈する傾向がある。例えば行動ファイナンス理論が教えるところでは「人は自分が持っている株が値上がりする」と思い込みたがるという。優れたファンドマネージャーとはこのような誤ったバイアスから自由でなければならない。

Toughminded people are always simple.という言葉は人生の色々な局面で思い起こすに値する言葉である。

ただし認知的複雑性が低い人は芸術家には向かないと聞く。優れた事業家と芸術家は所詮両立しないものなのだろうか?

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リーダーの器量~その(2)~対等な目線

2005年10月23日 | リーダーシップ論

先日書いたブログ「リーダーの器量」をシリーズ物とすることにして、サブタイトルを付けることにした。今回は「対等な目線」というテーマである。さて私事ではあるが私がサラリーマンとして最も嬉しかったことの一つに、私が5年の米国勤務を終え日本に帰国するという時米国人の部下達が昼飯をご馳走してくれたことがある。彼等の曰く「あんたはいつも俺達のことをともに働くCo-workerとして見てくれ、フランクに接し俺達の意見を聞き、そして自分の意見を言う時は常にストレートフォワードだった。あんたは本当にアメリカ人の様にLiberalだった」

私がアメリカに着任した時目標にしたことは「米国人部下から尊敬される上司になること」であった。どういう人間がアメリカで尊敬されるか?ということはアメリカ人がどういう徳目を重視しているか?ということであるが、私はLiberalとStraightforwardだと思っていた。

Liberalと英語で書いた理由は一言で日本語で言うのが難しいから。言うまでもなくそれは自由・寛大・気前が良い・進歩的・・・という意味だが、やはりLiberalと言う方がニュアンスが伝わる。私はLiberalという言葉を人に対する最大級の賛辞と思うのだが如何なものだろうか?

Straightforwardは率直、これは日本語でも良い。回りくどさのないシンプルな態度とものの言い方。これが個性豊かな多民族が暮らす国で最も大切なコミニュケーション姿勢なのだ。

もっともこれらの徳目は必ずしも日本では最重要視されない。率直なもの言いは時に「生意気な奴だ」と反発を招き、Liberalな態度は権威主義者の不快感を募らす。しかしながら私は今後日本がもっとオープンな社会になっていくと予想しておりその時LiberalとStraightforwardが極めて重要な徳目となると確信している。

もう二度と一緒に仕事をする可能性がほとんどない米国人の部下がランチをおごってくれたことは、全く功利心を離れた真の感謝と友情の表れだと私は確信している。小さなことではあったが、自分が立てた目標を達成することと回りの人々から信頼と尊敬を得ることができたことは誠に素晴らしいことだったと今でも感じている。感動の少ないサラリーマン生活の中では鮮やかな思い出である。

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