金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

2014年ヒマラヤトレッキング(3)ナムチェへ

2014年11月21日 | 

11月5日今日からトレッキングが始まる。今回のトレッキングはナムチェからゴーキョを往復するというものだ。距離は比較的短いが短期間に高度を上げるので、高度障害が起きやすいルートらしい。

11月5日カトマンズは晴。9時半発のルクラ行を目指して空港に向かったが、飛行機便は遅れ、出発したのは2時間後の11時38分だった。

飛び立って15分ほどすると左手にカニの鋏のような奇怪な山容の山が見えてきた。ガウリシャンカールGaurishankar7,135mである。この山は一時世界一高い山と信じられていたそうだ。

Gaurishankar_2

12時6分ルクラ空港到着。飛行機が着陸を終えると機内で拍手が起こった。このルクラ空港は世界で最も危険な空港と言われているからほっと胸をなでおろした。

Lukla_2

写真はルクラの町並み。街中のレストランで飯を食いながら、ガイドのラクパ・ゲルLakpa Geluと打ち合わせ。スケジュールのマイナーチェンジを行った。昼食後たまたま一緒になった増田さんご夫妻と相前後しながらこの日の宿のあるパクディンPhakdingに向かった。増田さんも我々も現地旅行会社Plan Holidayのアレンジでトレッキングを行っている。パクディン到着は16時15分。曇り。

11月6日晴。8時にパクディンを出発。この日は標高差8百メートルの登り。前半戦の一つの山場だ。9時30分バンカルBangkar到着お茶。モンジョMonjoで昼食。しばらく歩くと2本のつり橋が見えてきた。

Befornamche_2

下は古いつり橋で現在は上のつり橋を使っている。ここからナムチェまでは茶店なしの一気の急登だ。15時5分ナムチェ到着。街が半円形になって山にせり上がっている感じだ。

Namche

同じナムチェでも泊まるロッジによっては2,30分の差はでそうだ。ヒマラヤのコースタイムは30分刻み程度のアバウトなものと考えておいた方が良いようだ。

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2014年ヒマラヤトレッキング(2)~校舎譲渡式

2014年11月21日 | 

我々のトレッキングは、HNA(Hekp Nepal Association)の校舎贈呈式とセットになっている。HNAは兵庫県のNPO法人でネパールで小学校の校舎を建設するため活動を行っている団体だ。今回の校舎贈呈式は3校舎分3回あったが、私は3回目の贈呈式から参加した。その贈呈式が行われたのは、今年大きな雪崩事故があったアンナプルナ一周トレッキングルートのスタート点ベシサハールBeshisaharに近い山奥だった。

11月3日朝カトマンズをチャーター車で出発した我々は午後3時過ぎ現地に到着。

School

今回の訪ネパール団長老の福本さんが小学生たちにスピーチを行った。

Children

子どもたちは日本人が珍しいのかカメラを向けると大喜びだった。子どもの笑顔はどこの国でも美しいがこの子供たちの笑顔も素晴らしい。この子供たちの教育に多少なりとも役に立てたことに感謝したい。

夜は現地から車で1時間半ほど走った山上の街バンディプールBandipurに泊まった。

バンディプールは標高1千メートル程の山の上の町で、百年ほど前マラリヤを避けるため、ネワール人が整備した町だそうだ。天空の町、というイメージで現地人には人気があるそうだが、ここまでディープなネパールに入ってくる日本人は少ないそうだ。

Bandipur

この朝は霧が深く、山頂から雪を頂いたヒマラヤをはっきり目にすることは難しかった。天気が良いとマナスルが見えそうだったが。

Bandipur2

町並みは石畳が整備されていて気持ちが良い。ネパールの古い暮らしを知るには良い場所だろう。

Bandipur3

魅力的な女学生がいたので写真を一枚撮らせてもらった。こちらの学生さんは男女とも制服である。制服は自前である。ネパールは経済統計上は貧しい国だが、身なりを整えた子供たちが元気に学校に通う姿を見ると、発展しようとする国の勢いを感じる。

ネパールでは小学生から英語が必須で若い人の中には綺麗な英語を話す人が増えてきた。少なくとも英語能力については若い日本人より上であることは間違いないだろう。

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