ヒマラヤトレッキングの楽しみの一つは色々な国の人たちと話ができることだ。ガイドブックを見ると「現地の人との話が楽しみ」などと書いているが、これは中々難しい。言葉の問題もあるが、生活水準やものの考え方の違いが大きいため話が合わないことが多い。ただし四六時中一緒にいるガイドは別だ。今回のガイドLakpa Geluは、2010年にエベレストに登頂したベテランシェルパで来年は8千メートル峰のチョーオユーに行くという。多少クセのある英語(これはお互い様!)を話すが、経験・見識もチャンとした男だ。今年は春にエベレストで大事故があり、今シーズンのエベレスト登山は中止になっているので、彼のような高所ガイドが我々のようなチンタラトレッキングにつき合わざるを得なくなったのだろう。そういう意味では今年はトレッカーにとってラッキーな年だったかもしれない。
37歳、子どもは娘と息子の二人だ。「俺はネパール人はもっと子沢山か?と思っていた」というと彼は「シェルパは仕事がないから、子作りに励むのさ」と冗談を返してきた。二人の子どもには高等教育を受けさせるという。教育費負担が大きいので、ネパールでも少子化傾向が進んでいると考えてよいだろう。
ガイドといえば、日本人夫妻をガイドしてゴーキョをトレッキングしてきたDawa Shelpaという人も印象に残った人だ。この人は夏は日本の山小屋で働いているという。今年は北アルプスの薬師沢小屋で働いていたそうだ。「俺は今年の秋に薬師沢小屋に泊まって赤木沢を遡行したよ」というと「本当ですか?お会いしていたかもしれません」という返事。日本の山小屋でアルバイトをしているネパール人の話は他にも聞いたことがあるが、槍ヶ岳山荘などメジャーな小屋ではなく、薬師沢小屋という少し脇道にそれた味わいのあるところで働いているところが中々渋い。この人は日本人女性と結婚し、奥さんは日本にいて、両国を行ったり来たりしているそうだ。
他にガイド連中とはルクラの居酒屋(日本の居酒屋と違い、つまみなし。1杯5,60円の焼酎を出すのみ)で、何人かのシェルパと他愛もない話をした。彼らの話によると、近年は日本人トレッカーが減少し、中国人や韓国人が増えているとのこと。勢いシェルパたちはトレッカーが多い国の言葉を勉強するようになり、日本語を話すシェルパは減っているとのことだった。
ルクラで飛行機待ちをしている時、Tanga(曼荼羅)painting schoolに立ち寄り、お堂を開けて貰い中の曼荼羅を拝観している時、偶然チベット人の女性曼荼羅画家と出会い、色々なことを教えて頂いたのも大変貴重な経験だった。
一緒に写真を撮ったが、断りもなくブログに掲載する訳には行かないので、曼荼羅の写真だけアップしておいた。
彼女が言うにはこの学校のTangaは化学染料で描かれているが、チベットのTangaは高価な岩絵の具を使うので、長年にわたって変色しないという。Tangaの中には六道輪廻の様を描いたものが多いが、日本では六道輪廻の考え方は鎌倉時代に衰え、新しい仏教の教えでは誰でも簡単に極楽往生できるようになったなどと私が多少ウンチクを語ってみたが、彼女がどれ程理解したかは不明である。
ヒンズー教にしろ、チベット仏教にしろ、人はこの世で修行を積み、戒律を守って暮らして命を終えても中々天界に生まれ変わることは難しいと教える。そして天界に生まれ変わってもそれは終わりではなく、また六道輪廻を繰り返す。その六道輪廻を抜け出し、本当の悟りNirvanaに至るには気が遠くなるほどの時間がかかるという。
この地に生きる人々にとって宗教の重みは大きい。しかしその宗教に身を委ねて、安心(あんじん)の日々を送る彼らが幸せであるか、自由気ままに過ごす一方、時に懐疑の淵に沈み、不安な終末を迎える可能性が高い我々の方が幸せであるかどうかは難しい問題である。
トレッカーの中で目立ったのは、ヨーロッパ人でかなり長期の休みを取って長い海外旅行の一環として、トレッキングに来ている中年の人たちが多いことだ。彼らによると「無給だけれど、休暇後元のポジションに戻ることが保証されている長期休暇制度」を利用しているということだった。
もし日本にもこのような制度があったならば、私はもっと早くトレッキングに来ていただろう、I am jealous of youだ、というと彼らは笑っていた。
国の文化の成熟度はひょっとすると「若い時に多様なライフスタイルを選択することができるかどうか?」で決まるのではないだろうか?そして多様なライフスタイルを持った人たちが新しい文化を生み、社会が活性化していくのだろう。
そういう意味では日本の社会の枠組みはまだまだ「生産効率優先主義」で「多様な生き方尊重主義」には至っていないようだ。ひょっとするとこの国の閉塞感や長期的な経済成長の低迷の原因はそのあたりにあるのかもしれない。
トレッキングで色々な国の人と話をして学ぶことは誠に多いのである。