金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

トランプ人気が衰えないのは、政策よりもレトリックへの共感?

2016年03月25日 | 国際・政治

米共和党の有力大統領候補ドナルド・トランプの人気が衰えない。

最近のギャラップ調査によると共和党支持者の中でトランプに好意を持つ人は55%で持たない人41%を上回っている。

トランプの最近の発言を見ると「テロリストへの尋問で水責め以上の強行な手段を取るべきだ」とか「ISに対して戦術核兵器を使う可能性を排除しない」などと過激な発言が一層高まっている。「水責め」については違法という指摘を受けて、撤回したという話もあるが・・・

トランプの乱暴な主張を果たして多くの人が支持していると考えるべきなのだろうか?

この点について私は多くの人は彼の主張そのものまでは支持していないと考えている。

彼が言っていることはレトリックrhetoric(誠実さも意味もない誇張)だが、威勢の良いところを支持しているという人が多いのではないか?と

考えている(正確にいうと「と思いたいと考えている」)

もっともレトリックとはいえ、人種差別的発言や人権侵害的発言が許容されている大統領予備選挙を見ると昔住んでいた米国とはずいぶん違うな、と感じる。その頃の米国には「本音はそうだとしても、言ってはいけないこと」というものが世の中にはあった。

「言ってはいけないことは言わない」というのが、中産階級の常識だったとすれば、その中産階級が少なくなったため、歯止めが効かなくなったということだろうか・・・

 

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スキーをしながら、ストイッシズムを考えた

2016年03月24日 | うんちく・小ネタ

先日菅平でスキーのバッジテストの検定合宿に参加した。テストの結果は不合格だったが、ふとスキーとストイッシズムということを考えた。

バッジテストは中々形(スキー連盟が定めた滑り方)にうるさいテストで、簡単には受からない。合格した人は何回かのチャレンジの後、漸く合格したということだった。スキーは特別上手くなくてもそれなりに楽しめるスポーツなのに、何故苦労してテストに挑戦するのだろうか?

ふとカヌーイストの野田友佑さんの言葉を思い出した。

「楽なものが楽しいとはかぎらない」

アメリカの西部をボートでの急流下りや幌馬車で旅する野田さんは次のように書いている。

「このツアーの基本は馬に乗って暑い草原をほこりまみれになって行くことで、見方を変えれば、単調で辛い旅だ。・・・しかしこういった苦痛には麻薬的なものがある。一度慣れてしまうと、それ以降、苦労のない旅は馬鹿々々しくなるのだ」(「アメリカ西部 野蛮人にもどる旅」)

これはいうなれば一種のストイッシズムである。バッジテストに挑戦し続ける人も楽に滑ることに楽しみを見いだすのではなく、自分が技術的に向上することに、そして向上するために努力することに楽しみを見いだしているのだろう。

もっともスキーは領域の広い遊びなので、基礎スキーの形を極めるだけが、ストイッシズムではない。新雪(パウダー)を滑るとか長いツアーコースを踏破するという苦労も大きな楽しみを生む。

楽しみは人それぞれだ。またスキーではなく、サイクリングやランニングあるいは登山に楽しみを求める人も多い。

だが共通することは「楽なだけでは楽しくない」ということなのだろう。

我々は「楽なことは楽しいことだ」「楽なことを提供するのが良い社会だ」という先入観に縛られ過ぎているのかもしれない。

動物園のエサに困らない動物たちは自分でエサを探す野生の動物よりもストレスが高いという。エサに困らなくなった我々は自らに負荷をかけることで、生きがいを見いだす必要があるのだろう。たとえ年を取っても、である。

 

 

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【イディオム】Starter home 米国では価格上昇で最初の持家が買い難くなっている

2016年03月23日 | ライフプランニングファイル

今日(3月23日)の新聞朝刊の大きなニュースは昨日国交省が発表した公示価格に関するものだった。

2016年1月1日現在の公示価格は全国平均で前年比0.1%上昇し、8年ぶりにプラスに転じた。

中身を見ると住宅地が全国平均で▲0.2%で三大都市圏では0.5%プラスになっているものの、地方圏は▲0.7%だった。住宅地の価格推移は概ね国交省が「国土の長期展望」で示した「三大都市圏および東京圏への人口集中が継続」するというトレンドと軌を一にしている。

ところで大都市への人口集中は日本だけの現象ではなく、世界的な傾向だ。エコノミスト誌の「2050年の世界」によると「2010年には、世界人口の半分が都市部に居住していたが2050年には70%に近づくと予想される」

人口の都市集中の一つの問題は住宅価格が上昇して若年層が住宅を購入し難くなることにある。ワシントン・ポスト紙にWhy it seems impossible to buy your first home「なぜ最初の住宅を購入することが不可能と思われるか」という記事がでていた。

今日のイディオムStarter homeはfirst homeのことなのだが、ニュアンスをぴったり伝える日本語はない。何故なら米国では小さな持家からスタートして、家族構成や収入増に合わせて大きな家に買替え、最後はその家を売却し、リタイアするというライフサイクルが一般的だったが、日本では一般的に住宅は一生ものだからだ。

記事によると全米でstarter homeが一番高いのはサンフランシスコで714千ドル(約8千万円)だ。これはやや異常としてもロスアンジェルスは329千ドル(37百万円)もする。首都ワシントンは20万ドル(22百万円)なので、東京に較べると高いとは思わないが・・・・

米国でstarter homeの価格が高くなっている理由はこの価格帯の物件が供給不足だからだ。供給不足の理由の一つは現在starter homeに住んでいる人が次のステップの物件に買い替えることができないため、住宅物件がうまく回らないことにあるようだ。

予算不足で希望地にstarter homeを買えない人はもっと住宅価格の安い土地に移住するか?賃貸住宅に住み続けるか?という選択を迫られる。

経済圏が分散している米国では、職とより安い住宅を求めて地方に移住することが可能だが、大都市圏、なかんづく東京圏に人口集中が加速する日本では地方に移住するという選択は限られているようだ。

大都市圏の住宅価格上昇は手放しで歓迎できる話ではないのだろう。

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人工知能時代を生き抜く職業技術~新入社員講話のテーマ

2016年03月22日 | 資格・転職・就職

来月早々顧問先の会社で新入社員向けの話をすることになりました。

約1時間畑違い(設計系の会社です)の会社で子供以上に年の離れた方に何を話そうか?と考えていましたが、最近よく話題になる人工知能の問題について話をすることにしました。

人工知能、もう少し詳しくいうと機械学習能力を備えたコンピュータと移動能力を備えたコンピュータに代表されるコンピュータリゼーションが今後の職業構造にどのような影響を与え、その時代を生き抜くにはどのような職業技術が必要なのか?ということを中心に話をしたいと考えています。

元ネタとしてオックスフォード大学のThe future of emproyment:How susceptible are jobs to computarization「雇用の将来 仕事はコンピュータリゼーションにどのように影響を受けるか」という論文を読んでみました。 

論文によると時間軸は別として米国の雇用者の47%はコンピュータリゼーションにより職を失う可能性があるということです。

職が奪われる分野はオフィス事務全般・セールス関連・サービス全般・輸送運搬などです。

自動運転車のテストが順調に進んでいることや昨今の大型トラック・バスなどの居眠り運転・未熟運転による事故が増えていることを思うと、自動運転技術やその手前の自動制御技術を早く導入する方が良いのではないか?という気がします。

もっとも広範にコンピュータリゼーションが受け入れられるためには、技術の進歩に加えて、サービスを受け取るユーザ側の対応や法規制が変化することが必要です。

たとえば銀行窓口のテラーが総てロボットに置き換わってもそれを顧客が受容できるかどうか、車の大部分が自動運転車になる場合、法や損害保険がついて行けるかどうかなどが課題でしょう。

しかし労働人口が確実に減少する日本ではユーザ側の受容性が高まれば、コンピュータリゼーションは相当進む可能性はあると私は考えています。

そのような時代になっても求められる職業技術とは何か?というと創造的知性と社会的知性です。後者はヒューマンスキルと呼ばれるものと概ね重なるでしょう。専門性の高い技術分野でもコンピュータリゼーションは進むと思います。機械と競争しても始まりません。機械は疲れないので勝てないのです。

機械を使う側の人間になるのも生き残る職業技術でしょう。また多くのデータから過去の経験則を学ぶコンピュータが不得意とする滅多の起きない大災害等の危機管理も人間に残された分野です。

ルーティン化された仕事は確実にコンピュータリゼーションの職を奪われる。一見ノン・ルーティンと思われる仕事のコンピュータリゼーションの急速な発展で職を奪われる可能性がある。ということでコンピュータに職を奪われない分野を探し、その分野で能力を高めて置くということが皆様の生き残り術なのかもしれません。

 

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「来るべき年金危機」Coming pension crisis~citiのレポートを流し読み

2016年03月17日 | 投資

昨日(3月16日)の海外市場の大きな話題は連銀が政策会合ミーティングで市場予想よりハト派的な態度を示し、今年の政策金利引上げはあっても2回という見方が広がったことで株価が堅調に推移したことだ。

だが個人的にはCNBCに出ていたRich countries have a $78 trillion pension problem(豊かな国は78兆ドルの年金問題を抱えている)という記事に興味があり、その元になっているcitiのComing pension crisisというレポートをざっと読んでみた。

年金問題に関心をお持ちの方や年金(企業年金・個人年金)をビジネスにしている人には読むに値するレポートだと思う。こちらから無料でダウンロードできる。 → https://ir.citi.com/A9PruMxsx32cucD9nPyz6VOD1aXLcqQ1bFnuNFZcDqWVvkop5NYU6Q%3D%3D

ざっとポイントを見てみよう。

  • レポートによるとOECD20ヶ国は合計で78兆ドル(約88百兆円)の公的年金の積立不足がある。これは20ヶ国の公的債務44兆ドルの2倍近い大きさである。加重平均するとOECDの公的債務はGDPの109%だが、年金の積立不足はGDPの190%に達する。
  • 年金積立不足は公的年金の給付水準が高い西欧諸国で顕著である。
  • 気になる日本の公的年金の積立不足だが、citiのレポートによると、GDP比約120%の不足でこれはオーストラリア・カナダ・米国についで低い水準にある。

 このこと自体は悪いことではないが、公的年金の積立不足は給付水準(所得代替率)に比例する傾向があり、日本の年金の所得代替率が低いことの裏返しともいうことができるだろう。

  • Citiのレポートは「公的年金+確定給付年金+確定拠出年金」を年金収入として、平均賃金に対する割合を所得代替率して各国比較を行っている。それによると日本の所得代替率はOECD諸国の中でメキシコの次に低く約40%である。なお日本政府は厚生年金の所得代替率を現在62%と発表している(2043年には50%程度に減らす予定)ので、二つの代替率の間にはかなり乖離がある。ここではcitiレポートを各国比較を行う上で便宜的に使う。

日本のサラリーマンの年金は「公的年金(基礎年金+厚生年金)+企業年金」となっているが、企業年金を実施していない企業もある。現在厚生年金基金加入者4百万人・企業年金加入者8百万人・確定拠出年金加入者4百万人合計16百万人だが、20百万人近いサラリーマンはこれらの企業年金に加入していないと思われる。

OECD諸国に比較して日本の所得代替率が低いことを考えると、企業年金やそれを補完する私的年金の充実は日本で求められることだが、現状は非常に厳しいと判断される。

  • 現在公的年金の積立不足は国家の会計システムには反映されていないが、2017年には欧州では明らかにされるようである。積立不足=隠れた財政赤字が公表されると国家の財政の健全性に対する議論や懸念が拡大することは必須であろう。

日本の公的年金については、Citiのレポートを見る限り、財政赤字問題に較べると現状では欧州諸国よりはまだましな状況である。だがそれは公的年金の給付水準が欧州諸国より低いことの裏返しでもある。また今後の長寿化や労働人口の減少が急速に年金財政を悪化させる可能性もある。

もう一度時間をかけて熟読したいレポートである。

 

 

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