泣いているのは 谷内修三
泣いているのはほっぺの円い小さなこども、泣きたいのはこどもの手の中の縫いぐるみ
おかあさんが言った。手が汚れるよ、きれいなお洋服も汚れるよ、早く捨てなさい。
「だって、大好きなんだもの」「同じものを買ってあげるから」「だって大好きなんだもの」
泣いているのはほっぺの円いこども、同じことしかいえない。ほかにことばを知らない
泣きたいのは汚れてしまった縫いぐるみ、ほんとうは真っ白な犬の縫いぐるみ
だって、ことばがしゃべれない。「ぼくもきみが大好きだよ。」
でもどんなにこころのなかで叫んでもおかあさんには聞こえない。
大好きなきみだって、おかあさんに泣きじゃくるばかり。ぼくの声を聞いていない。
ねえ、聞いてよ。聞いてよ。泣きたいのは、泣きたくてしようがないのは汚れた縫いぐるみ
泣いているのはおかあさん、泣きたいのは縫いぐるみを掴んでいる小さなこども、涙のかれてしまったこども
涙の傷がほっぺに残るぼくにおかあさんが言った。「汚れたものにはバイ菌があるの。病気になるの。」
ぼくが一番大切だから言っているのよ。なぜ、わからないの?
「なぜ、わからないの? 小犬の目は汚れていないよ。ぴかぴか光っているよ」
泣いているのはおかあさん、こどものことばでしゃべれない。
「なぜ、わからないの?」この子はすぐに真似をして私と同じことを言う。
何もかも知っているのに、知らないふりをして「なぜ、わからないの?」
泣きたいのはこどもの涙で汚れる縫いぐるみ、ぼくには流す涙がない、ぼくの涙はこころのなかにしか流れない
「なぜ、わからないの?」「なぜ、わからないの?」「なぜ、わからないの?」
ぼくも言ってみたい、泣きじゃくりながら、だれかのこころを傷つけてみたい
泣いているのは50年後の皺の増えた男、泣きたいのは50年前の縫いぐるみ
妻が泣きながら言うんだ「そんな汚れたものをどこに隠していたの。なぜ大事なの?」
泣いている男は泣きながら50年前のこどもにもどって手足をばたばたさせて暴れたい
なぜ探したの? 何を探しているの? なぜ隠していてはいけないの?
「わかっているくせに、知っているくせに、こころの声を聞いているくせに」
泣いているのは50年後の男、母に泣かれて何もいえない50年前のこども、
そして泣きたいのは汚れたままの縫いぐるみ「だれか聞いてよ」
さらに泣きたいのは縫いぐるみの、その汚れのなかにかたまっている50年。その時間。
「隠れたまま、なくなればよかった? ぼくが消えてしまえば苦しみもなくなるの?」
だれにもことばが通じない。だれも聞いてはくれない。「50年前、目のなかに
顔がきらきら映っていると言った声」--聞こえてる?
泣いているのはほっぺの円い小さなこども、泣きたいのはこどもの手の中の縫いぐるみ
おかあさんが言った。手が汚れるよ、きれいなお洋服も汚れるよ、早く捨てなさい。
「だって、大好きなんだもの」「同じものを買ってあげるから」「だって大好きなんだもの」
泣いているのはほっぺの円いこども、同じことしかいえない。ほかにことばを知らない
泣きたいのは汚れてしまった縫いぐるみ、ほんとうは真っ白な犬の縫いぐるみ
だって、ことばがしゃべれない。「ぼくもきみが大好きだよ。」
でもどんなにこころのなかで叫んでもおかあさんには聞こえない。
大好きなきみだって、おかあさんに泣きじゃくるばかり。ぼくの声を聞いていない。
ねえ、聞いてよ。聞いてよ。泣きたいのは、泣きたくてしようがないのは汚れた縫いぐるみ
泣いているのはおかあさん、泣きたいのは縫いぐるみを掴んでいる小さなこども、涙のかれてしまったこども
涙の傷がほっぺに残るぼくにおかあさんが言った。「汚れたものにはバイ菌があるの。病気になるの。」
ぼくが一番大切だから言っているのよ。なぜ、わからないの?
「なぜ、わからないの? 小犬の目は汚れていないよ。ぴかぴか光っているよ」
泣いているのはおかあさん、こどものことばでしゃべれない。
「なぜ、わからないの?」この子はすぐに真似をして私と同じことを言う。
何もかも知っているのに、知らないふりをして「なぜ、わからないの?」
泣きたいのはこどもの涙で汚れる縫いぐるみ、ぼくには流す涙がない、ぼくの涙はこころのなかにしか流れない
「なぜ、わからないの?」「なぜ、わからないの?」「なぜ、わからないの?」
ぼくも言ってみたい、泣きじゃくりながら、だれかのこころを傷つけてみたい
泣いているのは50年後の皺の増えた男、泣きたいのは50年前の縫いぐるみ
妻が泣きながら言うんだ「そんな汚れたものをどこに隠していたの。なぜ大事なの?」
泣いている男は泣きながら50年前のこどもにもどって手足をばたばたさせて暴れたい
なぜ探したの? 何を探しているの? なぜ隠していてはいけないの?
「わかっているくせに、知っているくせに、こころの声を聞いているくせに」
泣いているのは50年後の男、母に泣かれて何もいえない50年前のこども、
そして泣きたいのは汚れたままの縫いぐるみ「だれか聞いてよ」
さらに泣きたいのは縫いぐるみの、その汚れのなかにかたまっている50年。その時間。
「隠れたまま、なくなればよかった? ぼくが消えてしまえば苦しみもなくなるの?」
だれにもことばが通じない。だれも聞いてはくれない。「50年前、目のなかに
顔がきらきら映っていると言った声」--聞こえてる?
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