近藤洋太「果無 故真鍋呉夫先生に」(「現代詩手帖」2013年12月号)
近藤洋太「果無 故真鍋呉夫先生に」(初出『果無』10月)は真鍋呉夫を思い出す詩である。詩のなかに引用されている「さびしさの果無山(はてなしやま)に花咲いて」という句についての思い出でもある。
その思い出につてい語る前の「序」の部分(書き出しの部分)。
散文的なことばの動きである。「さまざまに異なる緑の樹々」というのは詩のことばとしては何だかもの足りない。だから散文的と感じるのかもしれない。いや、「樹々の下には十津川が蛇行をくりかえしながら流れている/見えないけれども流れているのだ」の「見えないけれども流れているのだ」という念の押し方、念を押した上でことばを動かしていく方法が散文的なのかな。
いや、それよりも2行目だな。
「駐車場にある茶店」という存在自体が散文的である。このときの「散文的」というのは「詩的ではない」ということだが、その「詩的ではない」原因、詩を否定しているのは「駐車場にある」ということばだ。「参道を下りて茶店に入る」なら、「散文的」な印象は消える。「味気ない」感じは消える。
だが。
ほんとうにそうかな?
私は思わず傍線を引いてしまった2行目を見ながら、そうではなく、この味気ない感じ、散文的な、あまりに散文的なこの1行こそが、この作品を詩にしているのだと、私の肉体の深いところで感じている。そのことを書きたくて、わざと「散文」ということばを持ち出して、近藤のことばの運動を追ってみたのだ。
詩を書く--そう意識するとき(意識するなら)、多くの詩人は、たぶん2行目の「駐車場にある」ということばは書かない。あまりにも「実務的」で、おもしろみがない。省略しても状況はかわらない。わざわざ、味気ないことば(もの)を詩に持ち込まないだろうとくに個人をしのぶ詩にそういうことばをもちこまないだろう。
けれど、近藤はそれを持ち込む。
これは、どういうことか。
「いま/ここ」にあるものを、そのまま受け入れるということだ。「いま/ここ」にあるものを省略しない。省略しないで、じっくりとみつめる。そして、それが見えたなら、それをことばにする。このことばの運動は「散文」のように見えるけれど、実は、散文ではなく「俳句」のことばの動きである。「散文」は事実を重視するようだが、それ以上に「合理性」を重視する。「資本主義的」である。「俳句」は「流通経済」に影響されずに、じっくりと対象をみつめる。
ときには「見えないけれども流れているのだ」という具合に、「見えないもの」まで「現実」の背後にことばとして存在させ、「世界」に奥行きを与える。
駐車場という茶店ににつかわしくない実務的なものが、茶店を抒情から引き剥がし裸にする。そのときの「違和」が、手触りとして目覚める。その瞬間、何か、ことばには整理できない「もの」に触れた感じがする。そういう、ことばにできない「もの」を排除して詩は書かれることが多いのだが、そういうものを近藤は逆に排除せずに取り込む。そうすると、その瞬間世界が少し動く。この小さな動きのなかに、詩がある。詩へ動くエネルギーがある。
「ある」を「ある」のまま、手を加えずにつかみ取る。つかみとって、動く。そのとき「俳句」ができあがる。
もしそうであるなら、「俳人」を「俳人」のままつかみとるには、やはり手を加えず、ありのままをしっかりことばを動かすことが肝要なのだ。近藤は、「さびしさの……」という真鍋の句に向き合っているだけではなく、真鍋の「ひとがら」に向き合い、それを受け継いでことばを動かす。何にも手を加えず、そこにあるものをつかみとるとき、近藤は真鍋に向き合うを通り越して、真鍋に「なる」。
真鍋のことばの力が近藤を作り上げている、この詩を動かしていると私は感じたのだ。真鍋の句を私は知っているわけではないが、「さびしさの……」という句だけを手がかりにいうなら、「現実」を見つめながら、見ることをとおして対象の向こう側まで行って、その向こうにあるもの(現実というより、幻想)をつかみ取ってくるような運動--そういうことを、近藤は、ここでは実践しているように思う。
ここにあるものをつかみきってしまわないかぎり、「向こう」へは行けないのだ。
かなり唐突で、強引な言い方かもしれないが、「駐車場」ということばの印象は、そういうところへつながっていく。
この部分の「通りの反対側」ということばにも、じっくりした視線を感じる。世界が一瞬覚醒する。見すごしていた動きが瞬間的に「わかる」。私は近藤が実際に動いた「東西線」も何もわからないのだけれど、近藤の動きが「わかる」。そして、その瞬間に、知らないはずの街が見える。
そういう具体的な街があって、人と人との動きがあって、真鍋の思い出も動いている。あ、ひとを思い出すというのはこういうことなんだなあ、と感じる。ひとの思い出なら何回も聞いたことがある。けれど、その思い出に「駐車場にある」茶店、「通りの反対側に渡って」タクシーをつかまえようとしましたというような、具体的な、散文的な事実を定着させて語る語り口に私は出会ったことがない。聞いてきたもしれないが、近藤の詩のように、思わず傍線を引いてしまうようなしっかりした「声」として聞いたことはなかった。
はっと、私は驚いたのだった。真鍋を思い出すまでの、その近藤のことばの動きに。
近藤洋太「果無 故真鍋呉夫先生に」(初出『果無』10月)は真鍋呉夫を思い出す詩である。詩のなかに引用されている「さびしさの果無山(はてなしやま)に花咲いて」という句についての思い出でもある。
その思い出につてい語る前の「序」の部分(書き出しの部分)。
昨年夏 倉田昌紀さんと玉置山(たまきやま)の大杉をみたあと
参道を下りて駐車場にある茶店に入った
つめたいサイダーを飲みながら
目の前のさまざまに異なる緑の樹々に見惚れていた
樹々の下には十津川が蛇行をくりかえしながら流れている
見えないけれども流れているのだ
樹々の向こう 向こうの山襞に
先ほどまでかすんで見えなかった家が小さく見える
--あそこにも人が住んでおられるんですかねえ。
倉田さんに話しかけると 彼も知らなかったらしく
奥に向かって茶店の人に声をかけた
--あれは果無集落。
散文的なことばの動きである。「さまざまに異なる緑の樹々」というのは詩のことばとしては何だかもの足りない。だから散文的と感じるのかもしれない。いや、「樹々の下には十津川が蛇行をくりかえしながら流れている/見えないけれども流れているのだ」の「見えないけれども流れているのだ」という念の押し方、念を押した上でことばを動かしていく方法が散文的なのかな。
いや、それよりも2行目だな。
参道を下りて駐車場にある茶店に入った
「駐車場にある茶店」という存在自体が散文的である。このときの「散文的」というのは「詩的ではない」ということだが、その「詩的ではない」原因、詩を否定しているのは「駐車場にある」ということばだ。「参道を下りて茶店に入る」なら、「散文的」な印象は消える。「味気ない」感じは消える。
だが。
ほんとうにそうかな?
私は思わず傍線を引いてしまった2行目を見ながら、そうではなく、この味気ない感じ、散文的な、あまりに散文的なこの1行こそが、この作品を詩にしているのだと、私の肉体の深いところで感じている。そのことを書きたくて、わざと「散文」ということばを持ち出して、近藤のことばの運動を追ってみたのだ。
詩を書く--そう意識するとき(意識するなら)、多くの詩人は、たぶん2行目の「駐車場にある」ということばは書かない。あまりにも「実務的」で、おもしろみがない。省略しても状況はかわらない。わざわざ、味気ないことば(もの)を詩に持ち込まないだろうとくに個人をしのぶ詩にそういうことばをもちこまないだろう。
けれど、近藤はそれを持ち込む。
これは、どういうことか。
「いま/ここ」にあるものを、そのまま受け入れるということだ。「いま/ここ」にあるものを省略しない。省略しないで、じっくりとみつめる。そして、それが見えたなら、それをことばにする。このことばの運動は「散文」のように見えるけれど、実は、散文ではなく「俳句」のことばの動きである。「散文」は事実を重視するようだが、それ以上に「合理性」を重視する。「資本主義的」である。「俳句」は「流通経済」に影響されずに、じっくりと対象をみつめる。
ときには「見えないけれども流れているのだ」という具合に、「見えないもの」まで「現実」の背後にことばとして存在させ、「世界」に奥行きを与える。
駐車場という茶店ににつかわしくない実務的なものが、茶店を抒情から引き剥がし裸にする。そのときの「違和」が、手触りとして目覚める。その瞬間、何か、ことばには整理できない「もの」に触れた感じがする。そういう、ことばにできない「もの」を排除して詩は書かれることが多いのだが、そういうものを近藤は逆に排除せずに取り込む。そうすると、その瞬間世界が少し動く。この小さな動きのなかに、詩がある。詩へ動くエネルギーがある。
「ある」を「ある」のまま、手を加えずにつかみ取る。つかみとって、動く。そのとき「俳句」ができあがる。
もしそうであるなら、「俳人」を「俳人」のままつかみとるには、やはり手を加えず、ありのままをしっかりことばを動かすことが肝要なのだ。近藤は、「さびしさの……」という真鍋の句に向き合っているだけではなく、真鍋の「ひとがら」に向き合い、それを受け継いでことばを動かす。何にも手を加えず、そこにあるものをつかみとるとき、近藤は真鍋に向き合うを通り越して、真鍋に「なる」。
真鍋のことばの力が近藤を作り上げている、この詩を動かしていると私は感じたのだ。真鍋の句を私は知っているわけではないが、「さびしさの……」という句だけを手がかりにいうなら、「現実」を見つめながら、見ることをとおして対象の向こう側まで行って、その向こうにあるもの(現実というより、幻想)をつかみ取ってくるような運動--そういうことを、近藤は、ここでは実践しているように思う。
ここにあるものをつかみきってしまわないかぎり、「向こう」へは行けないのだ。
かなり唐突で、強引な言い方かもしれないが、「駐車場」ということばの印象は、そういうところへつながっていく。
今年六月五日 先生は亡くなり八日に落合斎場で荼毘に付されました
わたしは何人かの人と葬儀に立会い
帰りに近くの鰻屋で食事と少しのお酒を飲んでしばらく先生の思い出話をしました
山手通りまで出て地下鉄東西線に乗るみんなと別れ
通りの反対側に渡ってタクシーをつかまえようとしました
この部分の「通りの反対側」ということばにも、じっくりした視線を感じる。世界が一瞬覚醒する。見すごしていた動きが瞬間的に「わかる」。私は近藤が実際に動いた「東西線」も何もわからないのだけれど、近藤の動きが「わかる」。そして、その瞬間に、知らないはずの街が見える。
そういう具体的な街があって、人と人との動きがあって、真鍋の思い出も動いている。あ、ひとを思い出すというのはこういうことなんだなあ、と感じる。ひとの思い出なら何回も聞いたことがある。けれど、その思い出に「駐車場にある」茶店、「通りの反対側に渡って」タクシーをつかまえようとしましたというような、具体的な、散文的な事実を定着させて語る語り口に私は出会ったことがない。聞いてきたもしれないが、近藤の詩のように、思わず傍線を引いてしまうようなしっかりした「声」として聞いたことはなかった。
はっと、私は驚いたのだった。真鍋を思い出すまでの、その近藤のことばの動きに。
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