田原「尋ね人」(「現代詩手帖」2013年12月号)
田原「尋ね人」(初出「びーぐる」21)を読んだ。
「湘江」をふらふら(ふわふわ?)していた女性(少女?)が、そこからいなくなった。その女性のことを「尋ね人」と呼んでいるのは、その女性が「恋人」なのかなあ。3連目の描写が、客観的なようで主観的。その女性といっしょにいる時間が長くないと、こういう表現は生まれない。だから、そこに「恋人」の匂いがする。そしてその性格を描写するのに「怒る」という動詞が二度出てくる。あ、「怒り」が別離の原因なんだなあ、ということがわかる。「怒り」を気にしていることがわかる。
ということと同時に、この性格の描写の部分が、なんとなく漢詩を思わせる。対句のように響いてくる。--そういうことがわかると……。
私は少し奇妙に「肉体」が揺さぶられる。「わからない」ものがある、と「肉体」がさわがしくなる。田原のこのことばのなかには漢詩が生きている。中国の詩のリズムが日本語を揺さぶっている、と感じる。
で、少し戻って2連目。
さて、これをなんと読むべきか。「にじゅうのまぶた」か「ふたえのまぶた」か。私はわからない。それまで読んできたリズムでいうと、私は「にじゅうのまぶた」と読んでしまうのだが、読んだあとで、あれっ、そういう表現あったっけ? 「にじゅうのまぶた」って日本語? 「ふたえ」が「ほんとう」の音--と私の「肉体」が抵抗する、私の「肉体」が私の読むスピードにブレーキをかける。
疋田の「糸楊枝」でつまずいたように、私は、ふいにつまずくのである。それも、すぐにではなく、とおりすぎて3連目まで読み進んで、あっ、と 2連目の「二重の瞼」を「にじゅうのまぶた」と読んできたことに気がつき、つまずく。
で、そこからどういうことが起きるかというと。
私はこの詩は「日本語」ではないと感じる。「中国語」なのだ、と感じる。そして、その「中国語」へと意識が飛んでしまう。
日本人の「尋ね人」感覚とは違う。日本人の男が「恋人」を探すときの求め方とは違うものがあるんだなあと感じ、そのときから「女性(少女)」の方は気にならない。変な言い方だが、それを探している男(田原)のことばの動き、田原がどんなふうに女性を見ていたか、ということが気になりはじめる。そこにあらわれてくる田原が気になる。
まあ、「尋ね人」というのは、探している人が見た「相手」の姿なのだから、そこには探しているひとの「視線」が入り込む。「相手」を探している時も、それは「客観」だけではすまないというのがふつうだけれど、一般的には探しているひとの「視線」をまじえず、できるだけ客観的にしようとする。2連目の「身長163センチ」のようにね。
その「主観的」田原--その自画像。
女性から「怪獣/天狗」と呼ばれていたのか。(田原は違うというかもしれないけれど、私は妄想するのである。)「怒り出すと豹のよう」「怒れば火のように」というのは女性がそうであるように田原もそうかもしれない。恋人というのは「鏡」であることがおおいものだ。
「手」を噛まれれているはずなのに「臀部」に縫った針のあとが残っているというのは奇妙だけれど、かんだのは「手」だけではない、ということだろう。それが「豹」の怒り、「火」の怒り、ということになるかもしれない。
「思われる」は推測をあらわすのだけれど、臀部の傷痕なんて誰もが見ることのできるものでもない。そこには一種の「親密さ」が必要になってくる。この「親密さ」を私は「主観的」と言うのだけれど。
この連を読むと、田原が耳のいい詩人だということがわかる。耳でことばをとらえている。同時に、田原が中国をどう見ていたかが窺い知れる。そうか、毛沢東が話すことばが標準語なのか。(私は天皇や安倍首相が話すことばを標準語と比較したことがない。)田原にそういうことを書くつもりはなかったかもしれないが、そういうことが私には思い浮かぶ。英語を学習する場としては「陽の当たる芝生」と、そうではない場があるのだろう。それは中国人にとってはかなり切実な問題なのだろう。そういうことも、ここからは窺い知れる。そういうことを感じてしまう。
で、ここには、逆に言うと、中国から日本にやってきて、日本語で私を書いている田原も反映されていることになる。私は中国の標準語を知らないし、英語も適当なので判断はできないのだが、田原も標準語の中国語を話せるのだろう。話すのだろう。英語でも、丸覚えの会話ではなく、自分の意見を言えるのだろう。(田原と話したことかあるが、日本語で話したので、そのあたりのことも、私の想像である。)
だんだん、女性ではなく、田原が田原を探している、という感じで、私は詩を読んでいる。姿は女性(少女)だが、それは「失われた田原」という気持ちで読んでしまう。
「弾き語り」を「詩」に置き換えると田原が見えてくる。崇拝するアイドルは「谷川俊太郎」にすると田原が見えてくる。中国から日本に来た日、田原は何を着ていたのだろうか。「茶色の革靴」。ああ、これは娘の履くものではないね。こんなところに「自画像」がくっきりと印づけられる。(中国では女性も「革靴」を履くというのかもしれないが、日本ではそんな表現はしないから、私は、ここに「男/田原/中国人」を見てしまうのである。)最後の「腹痛」はスイーツの食べ過ぎか、それとも女性の生理現象か、まあ、はっきりしないが。
でも、きっと「自画像」。
と言い切るには、かなりむずかしいなあ。
それに、これではなんだか詩が中途半端だなあ。(「現代詩手帖」の作品は、ここで終わっている。)こんな「自画像」では「尋ね人」にならないなあ、と思っていたら。
「現代詩手帖」ではなく初出の「びーぐる」を開いてみたら。(「現代詩手帖」のあとに、私は「びーぐる」を読んだ。)
なんと、このあとにもう一連ある。「現代詩手帖」の作品は最後の1連を欠落している。
その最後の1連。
やっぱり「自画像」だね。「精神的自画像」を「尋ね人」として書いている。この詩のなかにつかわれたことばで言うと「自己紹介」。「陽の当たる芝生で日本語を学習したので/日本にたどりついたら/丸覚えの自己紹介はしないだろう」。言い換えると、日本語で語れるので、丸覚えの自己紹介などはしないで、田原流の自己紹介をしているということになる。
湘江の岸辺に育って、いつも海を夢みていた(海を見たことがなかった)。湘江の発展を見ながら育ち、同時に湘江の(中国の)自然破壊も見てきた。その湘江を離れて、田原は日本にやってきた。田原は魚ではないから、翼のある飛行機でやってきた。湘江の流れていく先にある海を夢みていた「少年(青年)」は、いまどこにいるのだろう。田原のこころはまだその「少年(青年)」を覚えているけれど……。
あ、これでは書き出しの「90年以降の生まれ/肩までかかる長い髪」などの描写とあわない? 大丈夫。詩は、論理ではないのだから、どうとでも「理屈」はつけられる。
田原は「行方不明」になった女性(少女)に自分の姿を重ねている。そして、田原がいまでも湘江で海を見たいと憧れていた時のことを覚えているように、少女よ、きみも生まれ育った土地を忘れずにいてほしい、生まれ育った土地(祖国)から離れては生きていけないのだ、祖国のことばを捨てては生きていけないのだから、と言っているのである。架空にすることで、自己をいっそう鮮明に託すのである。必要な部分を抽出して、ことばに託すのである。
「祖国のことば」と書いたのは--まあ、しつこい補足になるけれど、田原が「毛沢東の標準語」という形で中国語に触れているからである。「ことば」に対する意識が、田原の詩の、何か核心のようなものになっているからである。
で、もう一度考えてみる。
田原はどう読むのだろう。「にじゅうのまぶた」「ふたえのまぶた」。漢字の文字にしてしまえば同じでも、その「音」が運んでくるものは違う。
これは、ややこしい。これは、田原の詩と向き合う時、かならず出てくる問題であるのだが……。
(それにしても「現代詩手帖」の掲載ミス、最終連の欠落はつらい。あれでは田原が何を書いているかがさっぱりわからない。最終連がないと、「自画像」というか、少女に託した「いのり」がわからない。)
田原「尋ね人」(初出「びーぐる」21)を読んだ。
流れ雲そのもの 雌という属性 90年以降の生まれ
肩までかかる長い髪 眉にかかる前髪
湘江を漂っていったが
その日は無風 故に行き先は不明
身長163センチ 体重測定はしたことがない
生まれは6月1日 子供の日
端正な目鼻立ち 二重の瞼
太からず細からず 正し隠れ肥満の疑いがある
性格には二面性あり
おとなしい時は猫のように 怒り出すと豹のように
笑えば花のように
怒れば火のように
「湘江」をふらふら(ふわふわ?)していた女性(少女?)が、そこからいなくなった。その女性のことを「尋ね人」と呼んでいるのは、その女性が「恋人」なのかなあ。3連目の描写が、客観的なようで主観的。その女性といっしょにいる時間が長くないと、こういう表現は生まれない。だから、そこに「恋人」の匂いがする。そしてその性格を描写するのに「怒る」という動詞が二度出てくる。あ、「怒り」が別離の原因なんだなあ、ということがわかる。「怒り」を気にしていることがわかる。
ということと同時に、この性格の描写の部分が、なんとなく漢詩を思わせる。対句のように響いてくる。--そういうことがわかると……。
私は少し奇妙に「肉体」が揺さぶられる。「わからない」ものがある、と「肉体」がさわがしくなる。田原のこのことばのなかには漢詩が生きている。中国の詩のリズムが日本語を揺さぶっている、と感じる。
で、少し戻って2連目。
二重の瞼
さて、これをなんと読むべきか。「にじゅうのまぶた」か「ふたえのまぶた」か。私はわからない。それまで読んできたリズムでいうと、私は「にじゅうのまぶた」と読んでしまうのだが、読んだあとで、あれっ、そういう表現あったっけ? 「にじゅうのまぶた」って日本語? 「ふたえ」が「ほんとう」の音--と私の「肉体」が抵抗する、私の「肉体」が私の読むスピードにブレーキをかける。
疋田の「糸楊枝」でつまずいたように、私は、ふいにつまずくのである。それも、すぐにではなく、とおりすぎて3連目まで読み進んで、あっ、と 2連目の「二重の瞼」を「にじゅうのまぶた」と読んできたことに気がつき、つまずく。
で、そこからどういうことが起きるかというと。
私はこの詩は「日本語」ではないと感じる。「中国語」なのだ、と感じる。そして、その「中国語」へと意識が飛んでしまう。
日本人の「尋ね人」感覚とは違う。日本人の男が「恋人」を探すときの求め方とは違うものがあるんだなあと感じ、そのときから「女性(少女)」の方は気にならない。変な言い方だが、それを探している男(田原)のことばの動き、田原がどんなふうに女性を見ていたか、ということが気になりはじめる。そこにあらわれてくる田原が気になる。
まあ、「尋ね人」というのは、探している人が見た「相手」の姿なのだから、そこには探しているひとの「視線」が入り込む。「相手」を探している時も、それは「客観」だけではすまないというのがふつうだけれど、一般的には探しているひとの「視線」をまじえず、できるだけ客観的にしようとする。2連目の「身長163センチ」のようにね。
その「主観的」田原--その自画像。
失踪前 手を怪獣「天狗」に噛まれて傷を負い
病院で幾針も縫うという羽目になった
臀部にはまだ針のあとが残っていると思われる
女性から「怪獣/天狗」と呼ばれていたのか。(田原は違うというかもしれないけれど、私は妄想するのである。)「怒り出すと豹のよう」「怒れば火のように」というのは女性がそうであるように田原もそうかもしれない。恋人というのは「鏡」であることがおおいものだ。
「手」を噛まれれているはずなのに「臀部」に縫った針のあとが残っているというのは奇妙だけれど、かんだのは「手」だけではない、ということだろう。それが「豹」の怒り、「火」の怒り、ということになるかもしれない。
「思われる」は推測をあらわすのだけれど、臀部の傷痕なんて誰もが見ることのできるものでもない。そこには一種の「親密さ」が必要になってくる。この「親密さ」を私は「主観的」と言うのだけれど。
標準語は毛沢東よりも標準的に話し
耳には春風よりも心地よい
陽の当たる芝生の上で英語を少し学習したので
もしアメリカに流れついたら
丸覚えの自己紹介はしないだろう
この連を読むと、田原が耳のいい詩人だということがわかる。耳でことばをとらえている。同時に、田原が中国をどう見ていたかが窺い知れる。そうか、毛沢東が話すことばが標準語なのか。(私は天皇や安倍首相が話すことばを標準語と比較したことがない。)田原にそういうことを書くつもりはなかったかもしれないが、そういうことが私には思い浮かぶ。英語を学習する場としては「陽の当たる芝生」と、そうではない場があるのだろう。それは中国人にとってはかなり切実な問題なのだろう。そういうことも、ここからは窺い知れる。そういうことを感じてしまう。
で、ここには、逆に言うと、中国から日本にやってきて、日本語で私を書いている田原も反映されていることになる。私は中国の標準語を知らないし、英語も適当なので判断はできないのだが、田原も標準語の中国語を話せるのだろう。話すのだろう。英語でも、丸覚えの会話ではなく、自分の意見を言えるのだろう。(田原と話したことかあるが、日本語で話したので、そのあたりのことも、私の想像である。)
だんだん、女性ではなく、田原が田原を探している、という感じで、私は詩を読んでいる。姿は女性(少女)だが、それは「失われた田原」という気持ちで読んでしまう。
弾き語りが好きで 追っかけはもっと好きで
崇拝するアイドルは周傑倫
失踪したその日
下は白っぽいジーンズを穿き 上は黒のダウンを着て
毛糸のマフラー 茶色の革靴
典型的な辛い物好きの地方娘 それなのにスウィーツ好き
ケーキが目に止まれば 祖先のことも忘れてしまう
いつも月末になれば 数日間は腹痛ということになる
「弾き語り」を「詩」に置き換えると田原が見えてくる。崇拝するアイドルは「谷川俊太郎」にすると田原が見えてくる。中国から日本に来た日、田原は何を着ていたのだろうか。「茶色の革靴」。ああ、これは娘の履くものではないね。こんなところに「自画像」がくっきりと印づけられる。(中国では女性も「革靴」を履くというのかもしれないが、日本ではそんな表現はしないから、私は、ここに「男/田原/中国人」を見てしまうのである。)最後の「腹痛」はスイーツの食べ過ぎか、それとも女性の生理現象か、まあ、はっきりしないが。
でも、きっと「自画像」。
と言い切るには、かなりむずかしいなあ。
それに、これではなんだか詩が中途半端だなあ。(「現代詩手帖」の作品は、ここで終わっている。)こんな「自画像」では「尋ね人」にならないなあ、と思っていたら。
「現代詩手帖」ではなく初出の「びーぐる」を開いてみたら。(「現代詩手帖」のあとに、私は「びーぐる」を読んだ。)
なんと、このあとにもう一連ある。「現代詩手帖」の作品は最後の1連を欠落している。
その最後の1連。
湘江の岸辺に育ち
いつも海を夢みていた
湘江に架かる橋が増えれば増えるほど
両岸に建つビルはますます高くなり
流れる水はますます少なくなり
ある日 湘江は干上がってしまった
魚が翼を広げて飛び去れたのかどうかわからないが
彼女同様に行方不明
やっぱり「自画像」だね。「精神的自画像」を「尋ね人」として書いている。この詩のなかにつかわれたことばで言うと「自己紹介」。「陽の当たる芝生で日本語を学習したので/日本にたどりついたら/丸覚えの自己紹介はしないだろう」。言い換えると、日本語で語れるので、丸覚えの自己紹介などはしないで、田原流の自己紹介をしているということになる。
湘江の岸辺に育って、いつも海を夢みていた(海を見たことがなかった)。湘江の発展を見ながら育ち、同時に湘江の(中国の)自然破壊も見てきた。その湘江を離れて、田原は日本にやってきた。田原は魚ではないから、翼のある飛行機でやってきた。湘江の流れていく先にある海を夢みていた「少年(青年)」は、いまどこにいるのだろう。田原のこころはまだその「少年(青年)」を覚えているけれど……。
あ、これでは書き出しの「90年以降の生まれ/肩までかかる長い髪」などの描写とあわない? 大丈夫。詩は、論理ではないのだから、どうとでも「理屈」はつけられる。
田原は「行方不明」になった女性(少女)に自分の姿を重ねている。そして、田原がいまでも湘江で海を見たいと憧れていた時のことを覚えているように、少女よ、きみも生まれ育った土地を忘れずにいてほしい、生まれ育った土地(祖国)から離れては生きていけないのだ、祖国のことばを捨てては生きていけないのだから、と言っているのである。架空にすることで、自己をいっそう鮮明に託すのである。必要な部分を抽出して、ことばに託すのである。
「祖国のことば」と書いたのは--まあ、しつこい補足になるけれど、田原が「毛沢東の標準語」という形で中国語に触れているからである。「ことば」に対する意識が、田原の詩の、何か核心のようなものになっているからである。
で、もう一度考えてみる。
二重の瞼
田原はどう読むのだろう。「にじゅうのまぶた」「ふたえのまぶた」。漢字の文字にしてしまえば同じでも、その「音」が運んでくるものは違う。
これは、ややこしい。これは、田原の詩と向き合う時、かならず出てくる問題であるのだが……。
(それにしても「現代詩手帖」の掲載ミス、最終連の欠落はつらい。あれでは田原が何を書いているかがさっぱりわからない。最終連がないと、「自画像」というか、少女に託した「いのり」がわからない。)
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