山鹿なみ子『メオト詩篇』(ふらんす堂、2010年09月11日発行)
山鹿なみ子『メオト詩篇』は、ことばに頼っている詩である。頼っているというのは、知っていることばを組み合わせることで、いままで存在しなかった「世界」を書こうとしている、という意味である。
「居たのだろうか」。
氷点下二十度の世界には、現実には蝶はいない。その非現実の世界、山鹿が書くまでは存在しなかった世界を、山鹿はことばで出現させる。
詩全体が「比喩」なのだ。対象を明示しない「比喩」なのだ。いや、対象を明示できない「比喩」なのだ。明示できないのは、それが実際には存在しないからだ。
「君は薔薇だ」というときの「薔薇」は比喩。その対象が「君」であるのと比較するとわかる。
その存在しないものを、山鹿はなんとか書き表したいと思っている。これは詩のひとつの方向性である。
このとき問題は、どれだけ「定型」に頼らずにことばを動かすかである。「定型」に頼ると、存在しないはずの世界が、すでに存在している世界にひっぱられ、せっかくのことばが全部「うそ」になる。山鹿がほんとうに、そのいままで存在しなかった世界と触れ合っているのか、わからなくなる。「ほんとう」を書いているのではなく、「うそ」を書いている。しかも、「うそ」をついてもばれないと思って書いている、という印象が生まれてくる。
「たわむれ」「ただよい」--この2行。これは「氷点下二十度」の世界でのみありうる動きではなく、むしろ、多くの「文学」に登場済みの、明るい陽射し、おだやかな風の吹いている「定型」の世界である。
もちろん「氷点下二十度」にそういう動きがあってはいけないというのではないが、「定型」を感じさせてはいけない。「氷点下二十度」の「たわむれ」「ただよい」をつかみとって書かないと、「定型」を利用した「うそ」になってしまう。
そこに「うそ」があるから、せっかく書いた「雪の/蜜を/吸う」というすばらしく透明な「真実」がちぐはぐになってしまう。
「雪」に「蜜」など、ない--ないから、それを「吸う」という動詞で固く結びつけるとき、「氷点下二十度」と「黒い」「蝶」が鮮やかに動きだす。
--のだけれど。
その前の「たわむれ」「ただよう」が、でも、これは書いてみただけ、と後ろを向いて「べろ」を出してしまう。
私なら、「たわむれ」「ただよい」という蝶の描写の「定型」に殺され、消えてしまった。もう二度と存在できなくなってしまった、と答えよう。
「定型」を破らないかぎり、詩は生まれない。
ことばの静かな詩もあるのだが、この一篇で、私の印象は変わってしまった。ほんとうは、ほかの詩を紹介すべきなのかもしれないけれど、気になったので、書いておく。
山鹿なみ子『メオト詩篇』は、ことばに頼っている詩である。頼っているというのは、知っていることばを組み合わせることで、いままで存在しなかった「世界」を書こうとしている、という意味である。
「居たのだろうか」。
氷点下二十度
二羽の
蝶が
氷点下二十度の世界には、現実には蝶はいない。その非現実の世界、山鹿が書くまでは存在しなかった世界を、山鹿はことばで出現させる。
詩全体が「比喩」なのだ。対象を明示しない「比喩」なのだ。いや、対象を明示できない「比喩」なのだ。明示できないのは、それが実際には存在しないからだ。
「君は薔薇だ」というときの「薔薇」は比喩。その対象が「君」であるのと比較するとわかる。
その存在しないものを、山鹿はなんとか書き表したいと思っている。これは詩のひとつの方向性である。
このとき問題は、どれだけ「定型」に頼らずにことばを動かすかである。「定型」に頼ると、存在しないはずの世界が、すでに存在している世界にひっぱられ、せっかくのことばが全部「うそ」になる。山鹿がほんとうに、そのいままで存在しなかった世界と触れ合っているのか、わからなくなる。「ほんとう」を書いているのではなく、「うそ」を書いている。しかも、「うそ」をついてもばれないと思って書いている、という印象が生まれてくる。
黒い
羽
広げ
たわむれ
風に
ただよい
雪の
蜜を
吸う
「たわむれ」「ただよい」--この2行。これは「氷点下二十度」の世界でのみありうる動きではなく、むしろ、多くの「文学」に登場済みの、明るい陽射し、おだやかな風の吹いている「定型」の世界である。
もちろん「氷点下二十度」にそういう動きがあってはいけないというのではないが、「定型」を感じさせてはいけない。「氷点下二十度」の「たわむれ」「ただよい」をつかみとって書かないと、「定型」を利用した「うそ」になってしまう。
そこに「うそ」があるから、せっかく書いた「雪の/蜜を/吸う」というすばらしく透明な「真実」がちぐはぐになってしまう。
「雪」に「蜜」など、ない--ないから、それを「吸う」という動詞で固く結びつけるとき、「氷点下二十度」と「黒い」「蝶」が鮮やかに動きだす。
--のだけれど。
その前の「たわむれ」「ただよう」が、でも、これは書いてみただけ、と後ろを向いて「べろ」を出してしまう。
雪原を
腰まで
沈ませながら
黒衣の男
蝶を
何年も
追いかけた来た
その
痕跡
すべて消され
男は
蝶は
何処へ
私なら、「たわむれ」「ただよい」という蝶の描写の「定型」に殺され、消えてしまった。もう二度と存在できなくなってしまった、と答えよう。
「定型」を破らないかぎり、詩は生まれない。
ことばの静かな詩もあるのだが、この一篇で、私の印象は変わってしまった。ほんとうは、ほかの詩を紹介すべきなのかもしれないけれど、気になったので、書いておく。
詩集・メオト詩篇 | |
山鹿 なみ子 | |
ふらんす堂 |