監督 ダグ・リーマン 出演 トム・クルーズ、エミリー・ブラント
トム・クルーズという役者をうまいと思ったことはなかったが、あ、うまい、と今回は感心してしまった。
軍の広報マンで、戦争(実戦)なんか私の知ったことではないという能天気な役どころからはじまり、なぜ自分が戦場にいなければいけないのか、戦わないといけないのかと抗議し、そのうち戦士に変身していくのだが、その変化をちゃんと「顔」で表現していた。何度も何度もおなじ戦場で同じことをしているので、すべてがわかっている。その「わかっている」がだんだん顔に出てくる。同時に、そこにいる他者に対する態度もかわってくる。自信と落ち着きだね。
そして最後、そこでは未体験のことが起きる。そのときの顔も違っている。自信と落ち着きは消え、「はじめて」のできごとに不安を抱えながら、それでも使命に燃えているという顔つきになっている。
対するエミリー・ブラントの表情の変化もいい。最初は自分のかわりを見つけた。これで戦争に勝てるかもしれないと希望のようなものとがわいてくる。経験があるのでトム・クルーズへの対応の仕方も自信にあふれている。「私の方が知っている」という具合だ。それがだんだん立場が逆になる。トム・クルーズの体験の方がエミリー・ブラントの体験を超えてしまう。
クライマックス直前の農家の納屋(小屋)というか、庭のシーン。トム・クルーズがコーヒーの砂糖をいれてやる。「砂糖三袋だったね」。そのとき、彼女がふいに気がつく。「これは何回目?」。彼女は記憶していないが、トム・クルーズは記憶している。その違いを明確に悟る。そのとき彼女はリーダーではなくなる。同僚でも部下でもなくなる。「助けられる人間」になる。無力を悟るとでも言えばいいのか。
で、この相手が気づくまで待っている--というトム・クルーズの姿勢。これって、「恋愛」の極意だね。自分はなんでも知っている。でも知らない振りをして、相手が「あっ、知っているんだ。信頼していいんだ」と心を開くまで待っている。これが恋愛を成功させるさせるコツ。さすが、美形のモテ男。うまいもんだね。
と、いったん脱線させて。
この「無力」の自覚からが「戦争映画」の本領だな。
無力であると自覚し、その無力を克服しながら、敵と戦う。これは、最後のトム・クルーズの戦い方と同じ。ここで、無力なふたりが真に強力し合う。(愛するひとのためだから。--そして、愛というのも、まったく知らない世界へ素手で飛び込んで行くことだねえ……。)
最後の最後。体験したことのない世界。それまではゲームのように間違えたならもう一度リセットすればよかったのだが、もうリセットはきかない。それを承知で、巨大なパワーに立ち向かっていく。まるで、愛するひとのためなら自分がどうなってもかまわないと決意して、そのひとについていくという恋愛の極致そのもの。
あ、あ、あ。パソコンのゲームの宣伝だと思って気楽に見ていたら、とんでもない戦争称賛映画だった--という感じなのだが。戦争は恋愛だ、とカムフラージュすることも忘れていないすごい映画なのだ、という感じなのだが。
まあ、トム・クルーズの演技に驚いたので、そこは目をつぶろう。
同じことの繰り返しのシーンの処理の仕方も、てきぱきしていてよかった。脚本よりもカメラワークの方がすばらしいと思った。目の記憶力をたくみにつかっている。「ことば」で同じシーンを繰り返すと時間がかかるが、影像なら瞬間的にすむ。うまいもんだね。 (天神東宝6、2014年07月22日)
トム・クルーズという役者をうまいと思ったことはなかったが、あ、うまい、と今回は感心してしまった。
軍の広報マンで、戦争(実戦)なんか私の知ったことではないという能天気な役どころからはじまり、なぜ自分が戦場にいなければいけないのか、戦わないといけないのかと抗議し、そのうち戦士に変身していくのだが、その変化をちゃんと「顔」で表現していた。何度も何度もおなじ戦場で同じことをしているので、すべてがわかっている。その「わかっている」がだんだん顔に出てくる。同時に、そこにいる他者に対する態度もかわってくる。自信と落ち着きだね。
そして最後、そこでは未体験のことが起きる。そのときの顔も違っている。自信と落ち着きは消え、「はじめて」のできごとに不安を抱えながら、それでも使命に燃えているという顔つきになっている。
対するエミリー・ブラントの表情の変化もいい。最初は自分のかわりを見つけた。これで戦争に勝てるかもしれないと希望のようなものとがわいてくる。経験があるのでトム・クルーズへの対応の仕方も自信にあふれている。「私の方が知っている」という具合だ。それがだんだん立場が逆になる。トム・クルーズの体験の方がエミリー・ブラントの体験を超えてしまう。
クライマックス直前の農家の納屋(小屋)というか、庭のシーン。トム・クルーズがコーヒーの砂糖をいれてやる。「砂糖三袋だったね」。そのとき、彼女がふいに気がつく。「これは何回目?」。彼女は記憶していないが、トム・クルーズは記憶している。その違いを明確に悟る。そのとき彼女はリーダーではなくなる。同僚でも部下でもなくなる。「助けられる人間」になる。無力を悟るとでも言えばいいのか。
で、この相手が気づくまで待っている--というトム・クルーズの姿勢。これって、「恋愛」の極意だね。自分はなんでも知っている。でも知らない振りをして、相手が「あっ、知っているんだ。信頼していいんだ」と心を開くまで待っている。これが恋愛を成功させるさせるコツ。さすが、美形のモテ男。うまいもんだね。
と、いったん脱線させて。
この「無力」の自覚からが「戦争映画」の本領だな。
無力であると自覚し、その無力を克服しながら、敵と戦う。これは、最後のトム・クルーズの戦い方と同じ。ここで、無力なふたりが真に強力し合う。(愛するひとのためだから。--そして、愛というのも、まったく知らない世界へ素手で飛び込んで行くことだねえ……。)
最後の最後。体験したことのない世界。それまではゲームのように間違えたならもう一度リセットすればよかったのだが、もうリセットはきかない。それを承知で、巨大なパワーに立ち向かっていく。まるで、愛するひとのためなら自分がどうなってもかまわないと決意して、そのひとについていくという恋愛の極致そのもの。
あ、あ、あ。パソコンのゲームの宣伝だと思って気楽に見ていたら、とんでもない戦争称賛映画だった--という感じなのだが。戦争は恋愛だ、とカムフラージュすることも忘れていないすごい映画なのだ、という感じなのだが。
まあ、トム・クルーズの演技に驚いたので、そこは目をつぶろう。
同じことの繰り返しのシーンの処理の仕方も、てきぱきしていてよかった。脚本よりもカメラワークの方がすばらしいと思った。目の記憶力をたくみにつかっている。「ことば」で同じシーンを繰り返すと時間がかかるが、影像なら瞬間的にすむ。うまいもんだね。 (天神東宝6、2014年07月22日)
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