リフォーム成った自宅に戻って4日目。
まだ荷解きが終っていなくて、家中にダンボール箱が積み上げられています(特に書斎兼書庫)が、それでも我が家は気持ちが落ち着く。「狭いながらも楽しい我が家~♪」とエノケン風に歌いたくなります。
まだ荷解きが終っていなくて、家中にダンボール箱が積み上げられています(特に書斎兼書庫)が、それでも我が家は気持ちが落ち着く。「狭いながらも楽しい我が家~♪」とエノケン風に歌いたくなります。
我が家の引っ越し当日の26日に亡くなられた栗本薫さん。私にとってはどうしても「中島梓さん」ということになりますが、それはお会いした1979年初頭、彼女はSF界では作家というより、評論家として仕事をなさっていたから(といっても、すぐに「グイン・サーガ」を書き始めましたが)。
特に忘れられないのは、1979年4月から文化放送で始まった「ハヤカワSFバラエティ」というラジオ番組でのお付き合い。
当時、ブームが拡大中だったSFをテーマとする対談&トーク番組(確か、週1回で15分か20分だったような)で、中島さんがキャスターを担当。田舎の放送局を辞めて上京後、間もなかった私は台本書きをやらせてもらいました。
といっても彼女は私の台本をほとんど当てにせず、ご自分のペースで話を進められましたが……。それでも、毎週、お会いして一緒に仕事をしていたので、随分と親しく感じていました。
当時、中島さんは「才女」の名をほしいままにしていて、番組の録音スタジオに報道部の記者がやって来て、時事問題についてコメントを求めたりすることもありました。
そんな時、中島さんは決してひるむことなく「ちょっと待ってください」と額に手をやり、数秒考えた後にスラスラとコメントを述べられ、「なるほど、これは確かに才能溢れる人だ」と感嘆したものでした。
その後、放送も終わり、なんとなく遠ざかっていましたが、しかし、56歳での逝去はなんとも残念。
ご冥福をお祈りします。