ずっと小松左京さんのことが気になっていて、折に触れ、小松さんの文章を読み返しています。ここ数日は、大学時代からの親友だった高橋和巳さんとの交友について。
「まさに闇の中にぽつんと見える灯明のような感じだった」と表現しています。
小松さんが高橋さんと知り合ったのは、京大に入った小松さんが新米共産党員として「京大青年作家集団」に工作をしかけた時のこと。共産革命の賛同者を増やし、運動に利用しようと、学内の文学サークルと接触したわけです。そこに高橋さんはいた。
文学外の目的をもって付き合い始めたのですが、やがて二人は肝胆相照らす仲となり、文学においても同士関係を築きます。付き合いを深めるようになったのは、小松さんが党員としての活動に疲れ、心身ともにずたずたになった時だったといいます。
その頃のことを小松さんは次のように書いています。昭和25年、GHQの締め付けなどにより、国内の共産主義運動が混乱に陥った時のことです――
- ……二重指導部制と主流派国際派の分裂抗争、全学連中執と京大同学会のはげしい対立など、青くさかった私を心身ともにうちのめした混乱のあと、抗争の渦の外縁部に押し流されて行って、ふと気がつくとそこに高橋がいてくれた、という印象がつよくのこっている。まさに「いてくれた」という感じだった。私が精神的にも体力的にもずたずたになり、自分が汚物そのものになったような気持で、自分で自分の捨て場をさがしによろぼい出た時、高橋はほのぐらい下宿の中に、きちんと積まれた数多い書籍にかこまれ、絣の着物を着て端然とすわっていた。(「『内部の友』とその死」)
「まさに闇の中にぽつんと見える灯明のような感じだった」と表現しています。
このような体験、このような友人との付き合いが、小松左京という人間をつくり、小松文学をつくっていったのですが、しかし、同様の体験をもたない者にはなかなかわかりにくいですねぇ。とりあえずは、小松さんのもっていた凄み、底の深さに関係しているのだと考えておきたいと思います。
個人的に何度か、小松さんから高橋和巳さんの話を聞いたこともありますが、なんというか、青年期の悪い仲間の秘密を明かしてくれるような感じで、本当に仲が良かったんだなあと思ったものでした。