夕方、散歩から帰った後、冷たい雨になるべく濡れないよう、軒先に七厘を出して端材を燃やしました。あれこれ灰にしておきたいガラクタがあるのです。こんな日ならうってつけ。
でも、燃やすのは化学製品とは無縁な木材のみ。たぶんこれなら害もほとんどないはず。
でも、燃やすのは化学製品とは無縁な木材のみ。たぶんこれなら害もほとんどないはず。
で、火の世話をしながら、読売新聞の「アバターは反米・反軍映画」保守派いら立ちという記事について考えていました。
映画を観ている時、私にとってはあまりにもわかりやすい、まっとうな対立構図なので、むしろ、その解決策としてゲリラ戦的な衝突しかないのかと、派手な戦闘シーンを楽しみながらも割りきれないものを感じたのでした。その気持ちは今も変わりません。
しかし、悪役の企業や軍隊組織の描き方にアメリカ人(の一部)が居心地の悪さを感じるのなら、このシナリオには大きな意味があるといわざるを得ないのではないかと思ったのです。
イラクやアフガンでのアメリカの戦闘について、保守派は正当性を傷つけられた主張しているようですが、それよりも私には、先進国が開発援助を名目に途上国を借金まみれにさせ、そこにある資源を我が物にしようとしていることを、この映画が告発していることは明白だと思えます。
願わくば、ナヴィたちが勝利したことでカタルシスを覚え、地球の現実を忘れてしまうようなことがありませんように。