沢には独立して暮らしている二人の娘がいる。沢は一度も娘たちに結婚しなさいなどと言ったことはない。沢の妻は娘たちが20代の頃は時々結婚のことを話題にしていたが、その都度気まずい思いをしたので、今は話題にすることはない。
友人たちが孫の話を話題にする時など沢も自分にも孫がいれば、山登りに連れて行っただろうなどと思い、多少の寂しさを感じることはある。一方結婚した娘が離婚し、家に戻ってきたなどという話を聞くと不仲になって苦労するのであれば、結婚しない方が良いのではないか?と思うことがある。人の幸不幸は結婚だけでは測ることができない。
マクロ経済や生活設計論に詳しい沢からすると、経済的には結婚する方が有利だ、と主張したい思いはある。しかし経済的に有利だからといって結婚を強いるのは、主客転倒である。いわば馬の前に馬車を繋ぐようなものだからだ。
最近では「卒婚」という言葉を目にするようになった。仕事や子育てが一段落した夫婦が夫や妻という役割から解放され独立した個人として自由な生き方を行うため、結婚を卒業するという意味で、離婚とは違うという。「卒婚」という言葉が市民権を得るとすれば、初めから結婚しないという選択や事実婚という選択もありだろう。
世の中は少しずつだが確実に個人の自由な生き方を尊重する方向に動いている。個人を家族や会社から取り戻す時なのである。
「個人を家族や会社から取り戻す時」と言ったが、沢自信は結構自由な会社生活を送ってきた。それは他人を踏みつけて我儘な振舞をしてきたという意味ではない。むしろ沢は部下や周りの人間が「やりたいことをやる」ことを手助けしてきたと思っているし、同時に自分のやりたいことを一定の枠組みの中でやってきたと考えている。一方沢は「働くものは給料泥棒になってはいけない。生涯賃金の10倍程度は稼がなければならない」と主張し実践してきた。なぜならそれが人間としての矜持の源だからだ。
矜持なくして人は幸せな人生を送ることができない。
何か矜持を持っている限り、娘たちは自由な生き方をすれば良いと沢は考えている。それぞれの道にそれぞれの幸せがあるというべきだろう。