サブプライムローン問題で一気に減速しそうな世界経済を支えているものがあるとするとそれはBRICsなどの新興国である。もし今回米国から発信された株式市場の急降下が新興国市場のがんばりで食い止められるとすればそれは歴史の新しい一頁を開くだろう。ところで中国やインドは本当に新興国なのだろうか?何故なら少なくとも15世紀頃までは中国、インドとも文明と経済で西欧を圧倒していたからだ。
先週のエコノミスト誌は幾つかの例を上げて説明している。11世紀末の中国では蘇頌Su Songが水時計を発明した。当時西欧では日時計でおおよその時刻を見ていたから圧倒的な技術の差である。中国が優れていたのは水時計だけではない。水力の利用、製鉄、造船などでも西欧を圧倒していた。
インドが優れていたのは、数学の分野である。5世紀にはアラヤバートが円周率の近似値(3.1416)を計算し、小数点の概念を示している。7世紀にはブラーマブクタがゼロの計算方法を示している。また15世紀までには小数点10桁まで円周率が計算されている。
ところが15世紀以降中国とインドで技術の発展は止まってしまった。これについてエコノミスト誌はジョセフ・ニーダムやJoel Mokyrの説を紹介している。簡単にいうと支配者達は現状に安住し変化を望まなかった。また競争の欠如が技術進歩を止めたのである。
現在の中国やインドの状況は違う。中国は2020年までに研究開発投資でEUを上回る計画を立てている。またインドの工学部卒業生は米国のそれを上回る。しかしインドの場合トップ層に注目するか全体を見るかで全く異なった見方が生まれる。インドではパソコンは1000人に24台しか普及していない。「それは同じ現象を望遠鏡をどちら側から見るかということと同じだ」とエコノミスト誌は言う。
中国の一年はよその国の10年の様だと外国からの駐在員は言う。時計は急速にまわり始めている。数千年にわたり高い文明を維持してきた中国とインドが長く見積もって数百年、短く見積もると2百年程度西欧の産業革命に遅れたことをして、この両国を新興国とか発展途上国と整理してよいのだろうか?
ひょっとすると後世、2010年頃をもって中国やインドが先進国をアウトパフォームする転換点となったと歴史家は書き残すかもしれない。
あなたは望遠鏡のどちら側のレンズで中国やインドを見ているのだろうか?