齋藤孝さんの「年を取るのが楽しくなる教養力」(朝日新書)の中に次の一文があります。
「社会に何かを残していきたいと思うとき、自分を残すという手ももちろんあります。いまの時代でいうなら、ブログを毎日書き続けることも一つの方法でしょう。けれど『こんなものを食べて、こう思った」などと自分の日々の感想を書いたところで、なかなか価値があるものとは認められないでしょう」
ブロガーには耳の痛い言葉ですね。
齋藤さんはこう続けます。
「ならばブログという形は借りても、古典の翻訳を載せたら文化貢献になる可能性高いかもしれません」
でも多くの古典には既に優れた複数の現代語訳が出ていて、普通の人間が翻訳を重ねるのは蛇足以外の何物でもないと私は思います。
齋藤さんも最後に「翻訳まではたどり着かなくても、古典に触れてそこで学び得たものを何かしらの文章で残してみる。趣味や学びから一歩進んで、その成果を社会に還元することでも十分、社会貢献になると思います。」と結んでいます。
日本の詩歌の伝統はこのようなものだったのではないでしょうか?
西行など平安時代以前の歌人が歌に詠んだ歌枕(名所・旧跡)を江戸時代の芭蕉が旅をして訪ね、俳句と奥の細道のような紀行文を残すという具合に・・・
コロナウイルスのため旅がままならない日が続きていますが、自由に旅ができる日がくれば、昔の詩人や画家が旅を重ねた名所や社寺仏閣を訪ね、写真やスケッチ付きの紀行文を書いて歴史を愛する人の旅心をかき立てるというのもブログを通じて社会貢献する一つの方法かもしれませんね。
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