先週「債権王」と呼ばれたこともあるビル・グロスが世界最大の債券運用ハウスPIMCOを突然辞めたことは、資産運用に関心のある人には大きなニュースだった。
私が3年ほど前に書いた「ビル・グロスの大胆な賭け」という短いエントリーにも検索エンジンから幾つかの閲覧があった。「大胆な賭け」はグロス自身の進の問題ではなく、相場見通しの違いから、運用成績がベンチマークに較べて見劣りしていた彼が米国の長期金利の低下に賭けて大きな勝負にでた、というニュースを解説したものである。
グロスの今回の辞任の背景等について、私はごく一般的なことしか知らないし、そしてまた関心も高くない。しかしこのニュースを聞いて兵法者は兵法者としてしか生きていけないのだな、という印象を強く感じたので、その思いを少し述べてみたい。
ニュースを聞いて、思い出したのは戦国末期の剣豪・柳生石舟斎の次の歌だった。
「兵法の舵をとりても世の海を渡りかねたる石の船かな」
「無刀取り」という秘技を編み出し、畿内無双の剣豪とうたわれた石舟斎だが、領主としては苦労した。太閤検地で領地を失うという苦労も味わった。
債券運用の世界で勇名をはせたビル・グロス。個人的にはかなりの資産を積み上げたから、石舟斎と比較するのはどうか?と思う面もあるが、グロスもまたPIMCOという大きな組織を渡るには苦労した。PIMCOの経営陣を叱責する過激な文章を叩きつけたため、解任される瀬戸際に追い込まれたので、その前に辞表を出したということのようだ。
債券運用を現在の真剣勝負とすればグロスもまたその道の無双の兵法者だ。しかし金利の行方を読み、運用を極めたものでも、組織の中の人の心を読み、その中を渡るのは難しいことだったのだ。いや、孤高の兵法者は元々、世俗の人の世とは相いれないものと考えるべきなのだろうか?
石舟斎の息子が柳生但馬守宗矩。宗矩は関ヶ原の合戦や大坂夏の陣の武功により、徳川家の旗本に取り立てられ、更には二代将軍秀忠の剣術師範になりやがて大名の末席に連なるまで出世した。
剣の腕は石舟斎に劣ると言われたが(私には本当のところは分らないが)、世渡りの才能は明らかに父を上回っていた。
戦国の世が平和な徳川時代に変わっていく中で、抜群の個人の剣技よりも、組織と調和する能力が求められたということなのだろうか?
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