惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

『ポスト・ヒューマン誕生』

2007-03-19 21:39:03 | 本と雑誌

 レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき』(井上健監訳、NHK出版)はシンギュラリティについての予測を展開した本。
 学者でもなく、評論家でもなく、作家でもなく、実際的な発明に携わる技術者が本気で書いているだけに迫力があります。

 「シンギュラリティ(特異点)」とは機械の知的能力が人間を凌駕する時点のこと。1950年代にフォン・ノイマンがそうした可能性についてこの言葉を使い、1980年代には数学者でSF作家のヴァーナー・ヴィンジがその日が遠からず来ることを主張しました。この本でレイ・カーツワイルは、2045年がその時だといっています(ヴィンジはもっと早く、2030年までに到来すると予言)。

 SF読者ならチャールズ・ストロスの『シンギュラリティ・スカイ』や『アイアン・サンライズ』(ともに金子浩訳、ハヤカワ文庫SF)をすぐに思い出すでしょう。シンギュラリティ後の人類の運命を描くニュースペースオペラ。
 ストロスのSFでは超知性を獲得した機械(コンピュータ)が人類を歴史の主役から追いやってしまいますが、カーツワイルは違う。人類の延長線上に「非生物的知能」を置き、遠い将来、宇宙がひとつの知性となる日のことを夢見るのです。彼は、知能や知識、そしてテクノロジーを絶対的に肯定し、生物的限界を超えることが知能の宿命だと信じているようです。

 シンギュラリティ到来の根拠となるテクノロジーを、カーツワイルは「GNR」だといいます。Gは遺伝学、Nはナノテクノロジー、Rはロボット工学で、遺伝学とナノテクで人間は不老不死の存在となり、次にナノテクで脳を含む人間の全機能を完全に解析してコンピュータでシミュレートできるようになり、さらに、脳機能をコンピュータにアップロードしロボットと化した人間は、生物の限界を取り払い、自由自在に変化できるようになるのだ、と。
 先にいったように、このシナリオでは機械対人間の対立は生じません。シンギュラリティ後の機械知性は、進化した人類そのものなのですから。

 こういうふうに要約すると、どうしても夢想家のたわごとのように映るだろうなあ。

 しかし、カーツワイルが広範かつ詳細に網羅する技術は、現在、実際に開発が進められ、一部は実現しつつあるものばかりです。まあ、ナノサイズのロボット(ナノボット)の実現や、脳機能の解析にはまだまだ乗り越えなければならない障壁が多いでしょうが、それでも「無理、無理」といって手をこまねいている人よりは、「やれば出来る」と頑張り続ける人の方に分があるのではないでしょうか。
 多くの議論を重ね、安全対策を講じながら、シンギュラリティが近づいて来るのを待ちたい気分になってしまいました。

 ただ、私にはまだ「知能」の本質がはっきりしない(たぶん、変化する環境の中で生き延びる能力だと思うのですが)ので、カーツワイルのように直線的な知性の進化を信じるところまでは行けません。人間の本質が知性(情報処理の巧みさ)にあるとは思っていないんですね。
 それと、カーツワイルが科学によっては解決できないとしている「意識」の問題もあります。現実の人間社会は「正常な意識」のみで成立しているのですから、機会知性の「意識」がどうなるかは大問題でしょう。意識も科学的に解明される日が来ると、私は信じています。

 最後に、本書の日本語タイトルですが、「ポスト・ヒューマン」はカーツワイルを批判する側の用語のようですから、ちょっと具合が悪いのでは。
 著者が何度もいっているのは、人間以外のものになることではなく、テクノロジーとの融合で進化し、改良された人間になることなのです。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
先日の息子さんのピアノ・リサイタル、大成功だっ... (崎田)
2007-03-20 07:23:01
先日の息子さんのピアノ・リサイタル、大成功だったようで、おめでとうございます。

ところで、細かいことですが、レイ・カーツワイルの提唱するシンギュラリティは、「2045年」の誤りですよね?
返信する
 その節は遠くまでお運びくださりありがとうござ... (森下一仁)
2007-03-20 09:23:22
 その節は遠くまでお運びくださりありがとうございました。終わった時はクタクタだったようですが、おかげさまで何とかやり遂げました。
 シンギュラリティの年、おっしゃるとおりです。「1945年」じゃあ、もう過ぎちゃってる。慌てて訂正しました。ご指摘、感謝。
返信する

コメントを投稿