惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

桔梗草

2006-06-14 20:12:18 | 草花
Kikyou0606  今年も咲いていましたキキョウソウ。直径1センチあまりの小さな花。でも、美しい。
 庭の端っこからニョキニョキと伸びて、道路の縁石の上で花をつけています。日の当たる、乾燥したところが好きなんですね。

 昨年も書きましたが、長い茎の下の方のつぼみは開かないままで受粉し、先端のいくつかだけが花開くのです。
 長い茎なので、たくさん種子をつけているはずなのに、今年芽生えたのは1本きりみたい。発芽の条件が難しいのでしょうか。

 来年は咲くかな。雑草ながら、楽しみにしています。


W杯

2006-06-13 20:23:55 | スポーツ
 日本惨敗。
 いったいどうするのですか――といいたいけれど、とにもかくにも、続く試合やその次の試合で頑張るしかないことは明白。

 三都主選手はいたのかいなかったのかわからないような感じでしたが、いったいどうしたの? 痛めた足が悪いのでしょうか。もっと目立って欲しい。

 決勝トーナメント進出を目指して、今夜のブラジル対クロアチア戦をよ~っく研究しなくては。
 いえ、私が研究してもしょうがないんですけれどもね。

 小松左京さんの短篇「模型の時代」を地でゆくようなお話。


ピアノが変身

2006-06-12 20:47:08 | 音楽
 ピアノの調律師さんが来宅。ほとんど午後いっぱいかかって、我が家のピアノを念入りに調律してくださいました。

 正確には「調律」というより「改造」というべき作業だったらしい。ある工夫を施すことによって、うちのヤ○ハ製のピアノが○タインウェイ社のピアノのようなタッチに変貌するのだという。
 実際、調律後、ピアノに触った息子は「凄い!」と驚いていました。打鍵による音楽表現の幅が広がるのだそうです。これは、この調律師さん独自の技で、商標登録もなされているとか。とんでもないことが可能になるもんですね。

 いってみればDOSのパソコンでマックのOSが走るようなもんでしょうか。エミュレータのピアノ版をやっているわけですな。
 根本原理はそんなに難しいものではないらしい。日本のピアノメーカーは細部の処理においてまだス○インウェイ社に及ばないところがあり、その部分を処理することで効果を上げることができるようです。

 しかし、この技術でワリを食うのは、ヤマ○社か、それともスタ○ンウェイ社か。うちの息子が得をしたことだけは間違いないようですが。


大事な作品

2006-06-11 21:10:39 | 日曜大工
 いしいひさいちさんが朝日新聞に連載している四コママンガ「ののちゃん」に登場するお父さん(たかし)の趣味は日曜大工。ポチの小屋に手を加えたりしては、ポチにいやがられています。

 彼の存在は、私にとっては実にありがたい限り。
 私が作った木工細工の出来がいかにひどくても、「たかしさんに比べれば――」というと、家族も「そりゃまあ、あそこまでは……」と納得してくれます。

 今日の朝刊でも、たかしさんは自分の作った棚に物が載せられているのを見て、「かわいそうに」と言っていました。手塩にかけた我が子が虐待を受けているような気がしたのでしょう。
 気持ちはよくわかります。しかし、なんとか役に立っているわけですから、ここは気持ちを大らかに、「よくやっているな」と誉めてやらなければいけません。自立した子どもを離れたところから見守る気分ですね。

 今は忙しいので木工はしばらくお預け。
 でも、気分転換にちょっとだけ鉋で木を削ったりしました。早く作業台作りの続きに取り掛かりたい……。


「アオサギの眼」

2006-06-10 21:03:00 | 本と雑誌
 今日は野川を下流に向けて散歩。
Aosagi0606  2キロほど下った大町橋の下流で、流れの中に立っているアオサギを見かけました。
 頭の後ろにあるはずの飾り羽が確認できなかったので、少し自信がないのですが、たぶん間違いないでしょう。首を伸ばすと、驚くほど背が高く見えます。

 この鳥がとりわけ印象深いのは、アーシュラ・K・ル=グィンの中編「アオサギの眼」のせい。このタイトルでアオサギという名前を心に刻みつけました。

 で、帰宅して本を取り出してみました。ヴァージニア・キッド編のアンソロジー『女の千年王国』(サンリオSF文庫、1980年1月刊)。
 後にハヤカワ文庫の『世界の合言葉は森』にも収録されていますが、どうしても初めて接したこの本とセットで覚えています。他にはエリザベス・A・リンやジョーン・D・ヴィンジなどの作品が並ぶ。フェミニズムSFの初期作品集でした。

 ル=グィンの作品に出てくる「アオサギ」は、実はアオサギではありません。惑星ヴィクトリアに棲む生物を地球人たちが、便宜上、「アオサギ」と呼んでいるだけ。
 ちょっと「アオサギ」に関する部分を引用してみましょう(訳は小池美佐子さん)――


 アオサギは木と同じくらい長く生きてきたようだ。ひなや卵を見た人はいない。ときどき踊りをおどることがあるが、そのあと交尾するとしても、人目をしのび、大草原の夜の闇につつまれて行なうのだった。ひっそりと、ぎこちなく、それでいて優雅に、アオサギは木の根元の赤い葉の吹きだまりに巣を作った。浅瀬で水の中に住む生物を捜し、向こう岸の人間をまじまじと見た。丸く大きく透きとおった眼だった。
 素晴らしい。
 全部読み返したいのですが、目下の仕事に戻らねばなりません。残念。

 アオサギは一時、かなり数が減っていたようですが、このところ増えてきているようですね。喜ばしいことです。が、野川のあたりではコサギやダイサギほどには見かけません。