庭の端っこからニョキニョキと伸びて、道路の縁石の上で花をつけています。日の当たる、乾燥したところが好きなんですね。
昨年も書きましたが、長い茎の下の方のつぼみは開かないままで受粉し、先端のいくつかだけが花開くのです。
長い茎なので、たくさん種子をつけているはずなのに、今年芽生えたのは1本きりみたい。発芽の条件が難しいのでしょうか。
来年は咲くかな。雑草ながら、楽しみにしています。
昨年も書きましたが、長い茎の下の方のつぼみは開かないままで受粉し、先端のいくつかだけが花開くのです。
長い茎なので、たくさん種子をつけているはずなのに、今年芽生えたのは1本きりみたい。発芽の条件が難しいのでしょうか。
来年は咲くかな。雑草ながら、楽しみにしています。
三都主選手はいたのかいなかったのかわからないような感じでしたが、いったいどうしたの? 痛めた足が悪いのでしょうか。もっと目立って欲しい。
決勝トーナメント進出を目指して、今夜のブラジル対クロアチア戦をよ~っく研究しなくては。
いえ、私が研究してもしょうがないんですけれどもね。
正確には「調律」というより「改造」というべき作業だったらしい。ある工夫を施すことによって、うちのヤ○ハ製のピアノが○タインウェイ社のピアノのようなタッチに変貌するのだという。
実際、調律後、ピアノに触った息子は「凄い!」と驚いていました。打鍵による音楽表現の幅が広がるのだそうです。これは、この調律師さん独自の技で、商標登録もなされているとか。とんでもないことが可能になるもんですね。
いってみればDOSのパソコンでマックのOSが走るようなもんでしょうか。エミュレータのピアノ版をやっているわけですな。
根本原理はそんなに難しいものではないらしい。日本のピアノメーカーは細部の処理においてまだス○インウェイ社に及ばないところがあり、その部分を処理することで効果を上げることができるようです。
しかし、この技術でワリを食うのは、ヤマ○社か、それともスタ○ンウェイ社か。うちの息子が得をしたことだけは間違いないようですが。
彼の存在は、私にとっては実にありがたい限り。
私が作った木工細工の出来がいかにひどくても、「たかしさんに比べれば――」というと、家族も「そりゃまあ、あそこまでは……」と納得してくれます。
今日の朝刊でも、たかしさんは自分の作った棚に物が載せられているのを見て、「かわいそうに」と言っていました。手塩にかけた我が子が虐待を受けているような気がしたのでしょう。
気持ちはよくわかります。しかし、なんとか役に立っているわけですから、ここは気持ちを大らかに、「よくやっているな」と誉めてやらなければいけません。自立した子どもを離れたところから見守る気分ですね。
今は忙しいので木工はしばらくお預け。
でも、気分転換にちょっとだけ鉋で木を削ったりしました。早く作業台作りの続きに取り掛かりたい……。
この鳥がとりわけ印象深いのは、アーシュラ・K・ル=グィンの中編「アオサギの眼」のせい。このタイトルでアオサギという名前を心に刻みつけました。
で、帰宅して本を取り出してみました。ヴァージニア・キッド編のアンソロジー『女の千年王国』(サンリオSF文庫、1980年1月刊)。
後にハヤカワ文庫の『世界の合言葉は森』にも収録されていますが、どうしても初めて接したこの本とセットで覚えています。他にはエリザベス・A・リンやジョーン・D・ヴィンジなどの作品が並ぶ。フェミニズムSFの初期作品集でした。
ル=グィンの作品に出てくる「アオサギ」は、実はアオサギではありません。惑星ヴィクトリアに棲む生物を地球人たちが、便宜上、「アオサギ」と呼んでいるだけ。
ちょっと「アオサギ」に関する部分を引用してみましょう(訳は小池美佐子さん)――
アオサギは一時、かなり数が減っていたようですが、このところ増えてきているようですね。喜ばしいことです。が、野川のあたりではコサギやダイサギほどには見かけません。