惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

ピーカン

2012-08-20 20:47:44 | 日記・エッセイ・コラム
 今日も一日中カンカン照り。
 隣町のアメダスの記録を見てみると、午前7時代から午後5時代までずっと「日照時間:60分」という数字が並んでいます。これはつまり、日の出頃に少し雲があったけれど、その後は太陽が照り続けたということ。

 最高気温は午後1時に33.6度。もっとも、我が町ではそこまで上がらず、33度ぐらいだったのではないかと見ています。
 くだんの隣町は南が多摩丘陵、その南西方向に丹沢山塊があり、山越えの風が吹くとフェーン現象が起きて気温が上がるのです。午後1時の風向きは「南西」で、この条件にびったり。それより東にある我が町には、それほど山越えの風の影響がなかったと思われます。
 隣町でも、午後1時以外の風向きは「南」だったり「南南東」だったりで、気温は午後1時のものより0.5度ばかり低いのです。

 ところで、今日のような快晴のお日和のことを、私が「ピーカン」というようになったのは、放送局に勤めて以来のこと。
 「ピーカン」は撮影現場での業界用語だったようですね。私もカメラマンの人たちが使うのを聞き覚えたのだと思います。
 最近は「スカッ晴れ」ということもあります。
 これは長嶋茂雄さんの御宅での用語だとか。長嶋三奈さんがテレビで言ってて、「さすが!」と思ったことでした。


続・踏切退役

2012-08-19 21:25:51 | ニュース
 朝から素晴らしい青空が広がり、一日中カンカン照り。市民プールはこの夏いちばんの人出で賑わいました。

 そのプールへの行き帰り、昨日まで踏切があった場所を通りましたが、もう待たなくてよいと思うとルンルン快適。今までは踏切待ちにストレスを感じていたんですねえ。そうと意識したことはなかったけれど。

Fumikiri1208b いつでも通れるようになった道路部分とは対照的に、軌道部分へは人や車が侵入できないよう、柵が設けられています。
 「これでは電車が……」と思いかけて、もう電車は永久にこのレールを走らないことを実感しました。
 使われることがなくなったレールを眺めていると、何だか空虚な気分に襲われます。廃墟に対面しているような感覚でしょうか。

 写真は京王線本線と相模原線との平面交差部分。面倒な電車の行き来が、日々、繰り返されていたんですね。
 それも解消されて今や電車はすべて地面の底。ちょっと変な気がしていますが、これもすぐに慣れてしまい、当たり前のことになってしまうのでしょう。


踏切退役

2012-08-18 20:39:57 | まち歩き
 昨夜は激しい雷雨でしばし停電になったほど。
 今朝も余韻が残っていたのか、雷雲がたちこめ、ゴロゴロと賑やかでした。
 おかげで午前中の気温はあまり上がらず助かりましたが、午後になるとやはり暑い。最高気温30度あまり。

 ということで、夕方にはやはり市民プールへ。
 泳いでいると、明るい空から雨が落ちてきて、東の空にはくっきりと虹が。気持ちの良い体験ができました。

Fumikiri1208 写真はプールへ行く途中の駅間近の踏切。
 明日からこの付近は鉄道が地下化されるので、地上を電車が走るのは今日限りなのです。名残を惜しむ鉄道ファンが、踏切や線路脇、あるいは駅ホームの先端などで写真や動画を撮っています。事故を警戒して、駅や踏切には鉄道会社の人や警官が見張りをしていました。

 電車は今夜の終電まで地上を走り、明朝10時ぐらいには地下での走行を始めるそうです。8時間あまりで地上から地下へ切り替える早わざ。
 どういう作業になるのでしょう?
 (興味はありますが、見物に出かける熱意は持ち合わせておりません)

 明日からは踏切待ちなしでプールへ行けます。
 この街に越してきて30年。すっかり踏切に馴染んできただけに、それが無くなるとどんな感じになるのか。
 期待でワクワクしています。


中島菊夫先生

2012-08-17 20:54:17 | アート・文化
 今日も朝から大変に暑い。暑いけれど、ずっと閉じこもっているわけにもまいりません。
 前々から気になっていた中野区立歴史民俗資料館へ出かけることにしました。「マンガ『日の丸旗之助』の作家中島菊夫と中野の子どもたち」という企画を見たいと思っていたのです。

 中島菊夫は昭和前半に活躍したマンガ家で高知県出身。〈SFマガジン〉の表紙を創刊号から手がけた画家・中島靖侃さんのお父上です。

 中野区在住だった中島菊夫は第二次大戦の終戦前後、地元の鷺宮国民学校の先生となり、図画を教えていたのだそうです。
 敗戦色が強くなると、生徒たちは田舎に集団疎開しましたが、中島先生は疎開先の子どもたちに中野の様子を伝える「慰問新聞」を送り、やがて自分も子どもたちを率いて疎開すると、疎開先の様子を知らせる絵日記の指導をして親たちに送ったり、日々の記録を図画にして残したりしました。
 そうした資料が中島靖侃さんから(SF研究家の大橋博之さんを介して)中野区に寄贈され、今回の展示になったようです。

 展示は一画で中島菊夫の仕事が紹介されており、あとの大部分は子どもたちが疎開先で描いた絵と、中島先生の壁新聞や「慰問新聞」などで占められています。

 菊夫先生が得意の絵やお話づくりを活用して、優しく楽しく児童を指導していたことがよくわかります。
 子どもたちの絵がどれも素晴らしい。皆が上手とはいえませんが、根気よく丁寧に取り組んでいて、疎開生活の様子が生き生きと描かれています。菊夫先生の指導の賜物でしょう。素晴らしい先生だったんだなぁ。

 9月2日(日)まで(19・27日は休館)。入場無料。


夕暮野川

2012-08-16 20:38:29 | 日記・エッセイ・コラム
 朝から大変に良いお天気で気温がぐんぐん上昇。最高気温は34度で、まあ、この時期としては言い立てるほどではありませんが、気温の高い状態が長時間つづいたので、家族みんなグロッギー。そろそろひと雨欲しいよ。

 「コッペパン」のニュルニュルはビニールテープが効を奏して止まっています。

 夕方、お遣いから戻った後、中途半端に時間が空いたので、野川畔を半時間ほど散歩。

 橋の上から水面を覗き込んで声を発している女性――というか、オバさんがいました。
 「もしもし、カメさん、カメさんよ~」

 なんかへなへなっとなってしまいましたが、気を取り直して散歩続行。

 いつもカモにパンの耳をやっているオジさんと遭遇。
 「元気そうだね。オレなんかもうヘロヘロだよ」
 「私もヘロヘロですよ。暑さと……」
 さっき橋のところで、とは口にしませんでした。言っても信じてもらえるか、どうか。

 親水公園ではカワセミが川面にダイビングしていました。
 別に魚を狙っているふうでもなく、単に水浴びをしているのか。それとも、若い鳥がダイビングの練習をしているのか。
 いずれにせよ、短い割には充実した(?)散歩ができました。

 それにしても暑い。