金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【哀悼】加藤剛さん逝く

2018年07月10日 | 映画

俳優の加藤剛さんが亡くなった。加藤剛さんとは長いお付き合いである。といっても加藤さんは私のことは知らないが😁

加藤さんを始めてみたのは、私が高校生の時。京都で労演という観劇サークルに入っていて月1回新劇を観にいいていた時からのお付き合いだ。

あの頃平幹二朗さんや栗原小巻さんのお芝居もよく観た。

加藤さん、平幹二朗さんというとテレビドラマ「三匹の侍」もよく観た。平幹二朗さんの殺陣がヒラヒラした感じだったのに較べ、加藤さんの殺陣はどっしりしていたことを思い出す。

加藤剛さんは、演劇青年(といっても観るばかり)だった私には懐かしい人だった。自分の中で一つの時代が終わった気がする。

ご冥福をお祈りします。

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映画「関ケ原」、役所「家康」の熱演を楽しむ

2017年08月28日 | 映画

昨日映画「関ケ原」を観にいった。

近年では稀な歴史大作だ。映画は岡田准一演じる「石田三成」と役所広司演じる「徳川家康」の対立を主軸に展開する。

映画は司馬遼太郎の「関ケ原」をベースにしているが、映画らしい味付けもある。石田三成が心を惹かれる女忍者・初芽(有村架純)の登場などは原作にないアレンジだ。

出演者の熱演を楽しむことができる映画だったが、圧巻は役所広司演じる家康だったと私は思った。特に特殊メイクで家康が太鼓腹を示すシーンに圧倒された。平岳大演じる島左近も迫力があった。

馬上から手槍を投げるシーンでは、岡田・三成の身体能力の高さが目に付いた。もっとも本物の石田三成がこれ程の武芸達者であったかどうかは分からないが。

映画は「野望」の家康対「正義」(豊臣家への忠誠)の三成という構図で展開していく。これは司馬遼太郎のストーリーの通りなのだが、私は関ケ原の戦いの原因はそのように単純なものとは見ていない。

むしろ対立軸としては秀吉家臣群の中の「戦闘軍団」と「統治官僚」の戦いという色合いが強い。戦闘軍団は秀吉の天下取りの戦い(賤ケ岳の合戦など)を通じて秀吉政権の創業に貢献があったグループだ。一方石田三成を中心とする統治官僚グループは、太閤検地などを通じて政権基盤の確立を進めてきたグループだ。

「戦闘軍団」と「統治官僚」の対立は「地方分権的な封建制度」と「官僚による中央集権制度」の対立軸であったともいえる。

仮に関ケ原の戦いで石田三成が勝ったとすれば、戦後の体制は「官僚による中央集権」色が強いものになっていただろうと私は考えている。

もっとも関ケ原の一戦に西軍が勝ったとしても、懐の深い家康がそのまま首を取られたり、屈服する可能性は低いから、封建制の東国と中央集権的な西国の対立がしばらく続いた可能性の方が高いかもしれない。

関ケ原の戦いの後、成立した徳川政権は信長・秀吉と続いた絶対王政的政権ではなく大名連合的な封建制度であった。そして徳川政権は「戦闘軍団」的な大名集団を巧みに地方官僚集団に転換していったといえる。

日本に中央政権が成立するのは約270年後の明治維新である。封建体制では西欧列強の中央政権による帝国主義に対抗できなくなったからである。

関ケ原の戦いで封建制度が確立し、中央政権の動員能力が低下した結果、無用な海外侵略が行われず、パクス・トクガワーナと呼ばれる250年以上の平和な時代が続いたことを思うと「家康の野望」は悪いものではなかったともいえる。

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【後妻業の女】大竹しのぶ・豊悦熱演のピカレスク(悪徳映画)

2016年09月20日 | 映画

昨日(9月19日)ワイフと「後妻業の女」を観にいきました。「シン・ゴジラ」にするか「後妻業」にするか迷ったのですが、ワイフの希望を尊重して「後妻業」を選択。雨の3連休。遠出をあきらめた人たちで映画館のある武蔵村山イオンモールは混んでいました。2,3か月ぶりにここの映画館に来たのですが、券売所が大部分自販機に変わっていました。

「後妻業の女」(公式サイト http://www.gosaigyo.com/)は、再婚願望を持つ高齢資産家を狙って大竹しのぶ演じる後妻業のエースとそれを裏で操る結婚相談所所長(豊川悦治)が中心となって繰り広げるピカレスク(悪徳小説・映画)です。

登場する人物はほとんどワル。後妻業はいうに及ばず、後妻業の真相を暴くため嗅ぎまわっていた探偵も金目当てのワル。その他小さなワルが跋扈します。

ワルは結局最後まで生き延びる。「天網恢恢疎にして漏らさず」の真反対で中国の春秋時代を跋扈した大盗賊・盗跖の現代版のような話です。盗跖は天寿を全うしたばかりか、説教に来た孔子を論破したという話があります。

映画を見終えた後、正義感?のワイフは「ワルが生き延びて栄えるなんてスッキリしない映画ね」と感想を述べていました。ワイフの好きな刑事ドラマでは、ワルは最終的に捕まるのですが、実社会では必ずしもワルは捕まりません。

映画の中で「警察は週刊誌が取り上げて動く」というセリフが出てきます。マスコミ沙汰にならないワルの中には悪事を重ねるケースも多いでしょう。

特に相続がらみでは「法律上犯罪かどうかグレー」程度の領域で、消費者の無知・欲望・恐怖心を操った悪徳商法が跋扈しているのが気がかりですね。

娯楽映画ですから、特に教訓を引き出す必要などなく、大竹しのぶや豊川悦治の熱演を楽しめばよいと思います。

ただし多少何かを考えるとすれば、社会的に成功し、人間力を持っていると思われる被害者(後妻を迎える高齢者)も、己の色欲に迷い、後妻の毒牙を見抜くことができなかったということ、高齢化社会はワルがはびこる余地が多いということでしょうか?

 


 

 

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「殿、利息でござる」面白い映画だったが、少し深読みしてみると・・・

2016年05月23日 | 映画

昨日(5月22日)「殿、利息でござる」を観た。面白い映画だったし、昔の日本の私財をはたいて村を救済した人がいたことに感激した。また現在のお金で3億円という大金を仙台藩に貸し付け、その金利で年貢を相殺するという金利感覚にも感心した。

だが少し深く考えてみると、この話の裏には「江戸時代の税制の歪み」があったと思われる。

江戸時代の税の基本は年貢と諸役(小物成、夫役など)でその主な担い手は農民であった。この映画で問題になったのは隣の宿場から運ばれてくる年貢米を次の宿場に搬送する「伝馬役」という諸役である。農民による労働力の拠出である。

ただしこので伝馬役等の夫役については江戸後期以降は金銭で代納することが多くなってきたようだ。これを夫役銭と呼ぶ。

この映画では当初は労働力を提供していたが、仙台藩に千両を貸し付けた後は利息相当分が夫役銭になり伝馬役が免除となる。

これを経済的に見ると「村が藩に資金を貸付て利息を受け取る」「税金を労働力の提供から金銭納付に変える」という二つの取り決めに分解することができる。更にいうと仙台藩は40年後にこのアレンジメントを一旦保護にしたというから、前者は「利息付き納税資金の前納」ということもできる。

さて本題は村のために税金を支払った商人たちの行為は手放しで「私財を投げ打った美談」と考えてよいかどうか?という点である。

その問題は「商人たちは本来自分たちが支払うべき税金をそれまで十分支払ってきていたか?」という問題である。

このケースにおいて「商人たちが十分税金を支払っていたかどうか」は分らない。だが二つのことが言える。まず一般論として江戸時代の税は「田畑の大きさ」に比例して課税される年貢と役務提供力に対して課税される夫役が中心でその担い手は農民だったということだ。商人については「上納金」という形で一時的に課税されることがあったが、一般的には農民の納税負担に較べると極めて軽かったと言われている(時代や地域によって当然異なるが)

次に貧しい宿場町の商人でも10人集まれば3億円の資金が拠出できたということは、造り酒屋や金貸し業は農民に較べればもの凄く儲かる仕事だったということができる。

もし江戸時代に現在のような累進型の所得課税制度があれば、彼等商人たちは沢山の税金を払うことになり、結果的には農民が夫役を提供することなしに済んだことになるだろう。そうするとこの映画もなかった訳だが・・・・

つまり江戸時代の商人は「道路網、港湾施設、治安」といった幕府や藩が提供するインフラに対し相当タダ乗りしていた面が多く、そのしわ寄せは農民にいっていたいうことができる。

従って今日の公共経済学や税制を踏まえて考えると商人たちの行為は本来負担するべき課税義務を履行したともいえるのである。もっとも商人が税金を支払わなかったのは商人の責任ではない。商工業に担い手に対する有効な課税手段を作り出すことができなかった幕藩体制に責任がある。農地課税を政策の根幹に据えて変更することができなかった幕藩体制が商工業の発展とともに崩壊に向かったのは必然の帰結である。

面白い映画の感想にしては理屈っぽい話になってしまいました・・・・

 

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映画「杉原千畝」~大島浩を考えてみた

2015年12月12日 | 映画

昨日「杉原 千畝 スギハラ チウネ」を観た。第2日世界大戦勃発時にリトアニア領事を務め、迫害されていたユダヤ人にヴィザを発給し、多くの人命(6千名以上と言われている)を救った杉原 千畝を主人公とした映画だ。

杉原はユダヤ人の人命を救ったことで後に名前を知られるようになったが、もう一つ注目するべき点は彼が情報収集に基づき、冷静に日本の敗戦を予想していたことだろう。

杉原(唐沢寿明)は、上司である駐ドイツ大使・大島浩(小日向文世)にしばしば「ドイツがソ連と戦争を開始すれば、日本は米国と戦争を開始することになる。それは大変危険なことだ。」と大島大使が推進する三国同盟を止めるように進言するが、大島は聞き入れない。そして大島は杉原にルーマニア赴任を命じる。「ルーマニアではなにもしなくていい」と言って。

最後に杉原は「私の個人的な予測ですが、日本は負けることになると思います」といって大島の前を下がろうとする。しばしの沈黙の後、大島は杉原を呼び留めて「お前の予想は当たるからな」とポツンといったことが印象的だった。

だがヒットラーに心酔する大島は杉原の諫言を聞き入れず、国の進路を左右する重要な情報を正しく、本国に伝えることなく、日本とドイツは連合国との勝ち目のない戦(いくさ)に突入していった・・・・

外交官として自分の眼で見て集めた情報を冷静に分析し、国の進路を誤らせないように諫言した杉原。ヒットラーに心酔し、冷静な情報分析を怠り、自分の信念を外交政策に投影して国を誤らせた大島。大島は極東軍事裁判でA級戦犯となり、終身刑の判決を受けた。

ここで問われたのは外交官や政治家における「反知性主義の危うさ」である。

大きな世界史的視点と現実の客観的な情報分析を持たずに、自己の世界観で外交や軍事を考えることの危うさである。大島浩は他山の石なのである。

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