この前テレビ東京の「何でも鑑定団」を観ていると、芭蕉の「奥の細道」の一節を表装したものが「お宝」として出ていた。それは鑑定の結果ニセモノということになったのだけれど、司会者の島田伸介が「芭蕉は生涯1千句しか俳句を作っていない」と話をしていたのが気になった。たかが娯楽番組であり、教養のない伸介辺りが言うことに目くじらを立てることもないのだが、芭蕉好きの一人として少しコメントをしておこう。
実際現在確認されているところで芭蕉が作ったとされる俳句の数は980句強であるので、伸介が言った数字は正しい。芭蕉が30年句作をしたとすれば、年間30句そこそこでいかにも少ない感じを与える。しかし一つの問題点は芭蕉を俳句の作者と位置づけるところである。芭蕉の俳句は俳句として単独で存在するのではなく、「奥の細道」などの紀行文の中に存在する。芭蕉は西行や李白といった和漢の大詩人の詩文を自由に引用しながら「奥の細道」を書いている。いや引用するというよりは西行達先達の眼を複眼的に持ちながら目の前の景色を観ているというべきだろう。「奥の細道」は芭蕉による東北・北陸の大旅行記であるとともに、詩文の道の先達の抒情を追憶する心の紀行文でもある。この「奥の細道」は散文学として日本文学の一つの頂点に立つものである。つまり芭蕉を単なる俳諧の作者とすると正しい芭蕉の姿を見ることは出来ないのである。
又芭蕉は生涯をかけて己の作品を推敲した。従って現存する作品はほぼ佳句と言って良いのではないだろうか?もっとも芭蕉の句といえども駄作があるという意見もある。正岡子規は「芭蕉の佳句は十に二、三。蕪村の駄句は十に二、三」と評しているが、これは写生主義の子規の視点で芭蕉を評価した極めて偏った見方である。
これについて萩原朔太郎は「芭蕉私見」の中で「その(芭蕉の)リリシズムを理解しない限りにおいて、百千の句は悉く皆凡句であり、それを理解する限りにおいて、彼のすべての句は皆佳(よ)いのである」と言う。
では芭蕉のリリシズムの中核は何なのか?朔太郎は「芭蕉私見」の中で「芭蕉の心が傷んだものは、大宇宙の中に生存して孤独に弱々しく震えながら、葦のように生活している人間の果敢なさと悲しさだった。・・・・この悲しみこそ無限の時空の中に生きて、有限の果敢ない生活をするところの、孤独な寂しい人間の悲しみである」と言う。
なるほどこの様な芭蕉作品を貫くリリシズムをベースにして見ると芭蕉の句が一層鮮やかに見えるではないか。
- 夏草やつわものどもが夢の跡
- むざんやな甲のしたのきりぎりす
この二句は非業の最期を遂げた義経と義仲を追憶したものだ。ここには夢半ばにして倒れた英雄の悲しみの中に詩美を求めて追憶する求道者芭蕉の姿が見える。
この句は芭蕉が金沢に旅した時まだ会ったこともなかった句友一笑が半年前に死んだことを知りその墓前で詠んだ句で私が好きなものだ。ここには万人の悲しみを心に抱きながら無限の旅を続ける芭蕉の姿がある。ただ芭蕉の句の中でもっとも激しいもので評価の分かれる句ではある。
芭蕉は単なる句作者ではなく、人生と宇宙の凝視者であり、哲学者なのだ。句数の過多で図るべき様な人ではないのである。
この様に考える時芭蕉の一千句はまことに重たいものではないだろうか?