日曜日は朝から出かける用事があるので、今日事前投票に行く予定だ。
投票先は自民党の予定だが、このことは必ずしも自民党が掲げる総ての政策に無条件で賛成していることを意味しない。国家の基盤である安全保障問題や政策遂行能力を考えると他に選択肢がないというだけの話である。新聞の世論調査によると与党が300議席を確保する勢い、という予想だが、与党に投票するという多くの人はこのような思いを持っているのではないだろうか?
仮に与党が大勝すると、自公政権は4年続く可能性が高いが、今回の投票で与党にフリーハンドを与えたくないという思いは残る。今の日本の選挙の仕組みでは、政治家が選挙民に顔を向けるのは選挙の時だけだ(日頃から選挙民との対話を重視している政治家もいるとは思うが)。
選挙以外の時、多くの政治家は選挙民ではなく、所属する党を見ていて、党が決めた政策をフォローしているに過ぎない。
私はこの仕組みを変えないといけないと思う。簡単にいうと一党が掲げる総ての政策・法案を無条件に丸呑みするには、選挙民の思いは多様化し過ぎているので、それに対応した政策・法案決定の仕組みを考える必要があるということだ。簡単にいうと各党の「党議拘束」をもっと緩やかにして、重要な問題については超党派的な決議を行う仕組みを取り入れることだ。この時選ばれた議員がしなければならないことは、党の意見に従うということではなく、自分を選んでくれた選挙民の意見を国会に反映するということなのだ。
選挙公報などを見ると各党の主張は「あれもする・これもする」とバラ色の話が多いのにもうんざりする。「あれもする・これもする」には、必ず財源負担や既得権益者の利益侵害を伴う(経済の高度成長時には、経済成長で吸収できた面があったが)。だが各党の主張には痛みとそれに対する対応策の話が見えてこない。
たとえばいわゆるアベノミクスの第三の矢といわれる「構造改革」とは、簡単にいうと、もっと競争原理を高めて、生産性の低い分野や企業の排除を行うというもののはずだが、経済成長というオブラートに包まれて、焦点がぼけている。今日の世界を概観すれば、どこかの時点で傷みを伴いながら、競争原理を高めた国が国際競争力を保ち、そこそこの経済成長を維持しているので、競争原理の強化がポイントであることは間違いないのだが。
もう一つのポイントは「個人の選択肢を広げ、個人の生活を重視した国」が結局生産性を高め、経済成長を維持していることが多いという事実に着目することだ。
巷間「競争原理」と「個人の生活重視」は対極だとするような意見を見るが、私はそれは相矛盾するものではなく、経済と国民政策の持続的な発展の両輪であると考えている。
安倍政権の長期政権持続戦略のため、急に行われることになった解散総選挙。与党の勝利は間違いないとして、与党に投票する人は、構造改革に伴う痛みを甘受することまで含めて、与党にゴーサインを出すのだろうか?