金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

世界は中国をどう見ているか?

2014年07月15日 | 国際・政治

Pew Research Centerが7月14日に「世界の国々がアメリカや中国をどう見ているか」という世論調査の結果を発表していた。これはその中の中国に関する各国の見方を抜き出したものだ。

まず「中国を好意的に見るか非好意的に見るか」ということについて全世界の中央値を見ると好意的が49%、非好意的が32%である。好意的な見方をしている人が多い国は、旧ソ連圏のロシア(好意的64%)、ウクライナ(同64%)、アジアのイスラム国のパキスタン(同76%)、バングラディシュ(同77%)、マレーシア(同74%)、インドネシア(同66%)、アフリカのタンザニア(同77%)、ケニア(同74%)、南米のベネズエラ(同67%)、チリ(同60%)だ。

米国では好意的な見方をする人が35%で非好意的は55%。英国では好意的47%が非好意的38%を上回るが、ドイツでは非好意的64%が好意的28%を圧倒している。

中国と離島の領有問題を巡って緊張が高まっている東アジア諸国では当然のことながら、中国に対する見方は厳しい。ベトナムでは非好意的78%好意的16%、フィリピンでは非好意的58%好意的38%だ。韓国では好意的56%が非好意的42%を上回っている。

調査対象国の中で中国に対してもっとも厳しい見方をしているのは日本で非好意的は91%(好意的は7%)に達している。

「中国の経済発展は自国にとって良いことか?悪いことか?」という質問については、全世界の中央値は良いこと53%で、悪いことは27%だった。

米国では良い42%悪い49%がほぼ拮抗。英国やドイツでは良いが上回った。また日本でも良い47%が悪い39%を上回っている。一方フィリピン(悪い57%良い30%)、インド(同46%:23%)、ベトナム(同71%:21%)では悪いが良いを圧倒している。

「中国が個人の自由を尊重しているか?」という質問について全世界の中央値は、尊重している36%していない39%と尊重していないがやや上回るがほぼ拮抗状態だ。

中国は個人の自由を尊重していないと判断しているのは欧米諸国や日本、韓国などだ。

米国では78%、ドイツでは91%、日本では89%、韓国では73%の人が中国は個人の自由を尊重していないと判断している。

一方トルコとエジプトを除く中東イスラム諸国では中国は個人の自由を尊重していると判断する人が多い。また南アフリカを除くアフリカ諸国も大多数の人が中国は個人の自由を尊重していると判断している。

★   ★   ★

Pew Reseach Centerはこの調査結果から何を読み取るか?ということは示唆していないが、国ごとの中国という新巨人に対する見方が相当違うことが興味深い。

日本と韓国は「中国の経済成長の自国に対する影響」という点ではベクトルが揃っている(日本では47%良いこと39%が悪いこと、韓国では57%が良いこと36%が悪いこと)。また人権尊重の点でもほぼ同じ見方だ。ただし全体的な中国に対する評価は逆だ。日本では91%の人が中国に非好意を示し、好意的な見方をする人はわずかに7%だが、韓国では56%の人が好意的な見方を示している。

このような見方が韓国と中国の長い友好関係(あるいは臣属関係)を反映したものなのか、あるいは日本に対する共闘意識の産物なのかまでPewは分析していないし、私もそれを判断する材料は持ち合わせていない。

中国古代の兵法は「遠交近攻策」~遠くの同盟国と手を結び、近隣国を攻める戦略~を教えている。今の中国を見ると一部の例外を除いて「遠交近攻」の状態になっているが、これが古代の英知に従ったものなのか、近隣諸国と融和が図れないないので遠くに仲間を求めた結果なのだろうか?

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韓国にとって日本の集団的自衛権が必要な理由

2014年07月05日 | 国際・政治

今週(7月3-4日)中国の習近平国家主席が訪韓し、朴大統領と「日本の右傾化問題」(中国メディア)などについて意見を交換した。中国としては韓国政府に日本政府批判をして欲しかったようだが、韓国政府は集団的自衛権に関する憲法解釈の変更に関する閣議決定を黙認する形をとった。

恐らく韓国政府が朝鮮半島の安全確保のため、日本が集団的自衛権を行使できるようにすることが必要だということを(嫌々ながらも)理解しているからなのだろう。

WSJに東アジアの軍事問題の専門家ブルース・バーネット氏がWhy Japan's Military Shift is necessary for South Koreaという一文を寄せていた。

以下はその記事のポイント

  • 今週日本は集団的自衛権政策を採用した。多くの韓国人はこれは日本の軍備化の始まりになる可能性があると懸念し、なぜ米国が日本の新しい政策を支持するのか疑問に思っている。
  • 米国は日本の集団的自衛権が韓国と北東アジアの防衛上極めて重要だと判断したので、日本の集団的自衛権を支持する。
  • 米国は北朝鮮の韓国に対するいかなる侵略に対して韓国を防衛する。まずは北朝鮮に侵略を思いとどまらせる抑止力(維持・向上)であるが、抑止力が働かず北朝鮮が韓国に侵攻してきた場合、米国は韓国に軍事力を展開する必要がる。
  • 恐らくその場合、イラク戦争の2倍の兵員を動員する必要があり、米国は日本の空軍基地や軍港を使うことを計画している。なぜなら韓国の施設は稼働能力に限界があり、また北朝鮮から攻撃を受けやすいからだ。
  • それと引き換えに米軍は在韓日本人の避難・退去を支援する。
  • 集団的自衛権容認までは、日本の憲法は米軍のこのような展開を技術的にオーソライズしてこなかったが、集団的自衛権の容認で可能になるだろう。
  • 地域の歴史を考慮して、日米両国とも紛争状態に入っている朝鮮半島に日本の自衛隊を動員することは考えていないだろう。しかしそれでも日本の軍事力は役に立つと思われる。
  • たとえば日本の海上自衛隊が北朝鮮の船舶が輸送する武器やその他の禁輸品を差し押さえる行動に関与することだ。それは北朝鮮のから武器が国外にいる北朝鮮の特殊部隊やテロリストの手に渡ることを防止するものである。
  • 端的に言うと集団的自衛権によって、日本は韓国と地域の安全保障をサポートする責任を引き受けるのである。

これは「集団的自衛権の韓国に与えるプラス面」という観点から書かれた記事なので、当然日本の内閣が日本国民に行っている説明とは異なる。

だが書物が一度作家の手を離れて出版されると、作者の意図を超えて一人歩きする場合があるように「集団的自衛権」も一人歩きを始めたのである。

例えば言葉である。内閣が行ったことは「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更」なのだが、バーネット氏はThe govenment adopted a collective self-defense policy「政府は集団的自衛権政策を採用した」となり、記事のタイトルはJapan's Military Shift(日本の軍事的方向転換」になるのである。

直截で事実だと思うが、言葉が海外を一人歩きすることに若干懸念を覚えない訳でもない。

もっとも日本政府が「日本が韓国や地域の安全保障にコミットした」ことを国民に明示的な形で伝えていないことの方が問題なのだろうが。

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インドの新首相モディ氏の二つの顔

2014年05月17日 | 国際・政治

5週間にわたり続いたインドの総選挙が終わり、最大野党のインド人民党(Baharatiya Janata Party BJP)の地滑り的な勝利が決まった。新首相にはBJPの党首ナレンドラ・モディ氏が就任する予定だ。

今朝(5月17日)の読売新聞の一面には「インド10年ぶり政権交代」のタイトルの横に「親日モディ氏 首相就任へ」というサブタイトルがついた記事が出ていた。

私はこの「親日」という文字をみてある種の苦笑を禁じえなかった。何故かというとそれが余りに日本中心で楽観的な見方だからである。確かに今までグジャラート州の首相を務めてきたモディ氏が日系企業向けの団地の整備を行うなど親日的であったことは間違いないし、全般的にインド人が親日的であることは事実だろう。

日本人は外国のリーダーに対して、彼(または彼女)が親日的であるかどうかを非常に気にして早々に評価を下す傾向があるが、その国のリーダーは親日的であるかどうかの前に自国(または自州)の利益のために日本が役に立つかどうか?で行動しているということを最初に考えておかないといけないだろう。

モディ氏については、アメリカとイギリスは約10年前から渡航禁止(ビザの発給禁止)を行っている(イギリスは2012年の渡航禁止を解除した)。

米英がモディ氏の渡航を禁止した理由は、2002年にグジャラート州でイスラム教徒とヒンドゥー教徒の衝突が起き、ヒンドゥー教徒が多数のイスラム教徒を殺害した事件があった時、同州首相だったモディ氏が「見ぬふり」をしたことによる(これは当然ながら米英の判断だが)。

米国には宗教的自由に対して重大な違反を行った外国人にはビザを発給しないという法律があり、それに基づいて渡航が禁止された訳だ。

仮にそのようなことがなくて、モディ氏が米国に渡り、予定されていたインド人集会で演説を行っていたとすれば、米国と親密な関係が広がり、その結果特段親日的といわれることはなかったかもしれない。

歴史にifは禁物という。私もiffyな話を続けるつもりはないが、メディアによるとアメリカはモディ氏が首相になれば渡航禁止を解除する見込みだ。歴史は前に向かって動いている。

アフガニスタンからの撤兵と台頭する中国に対する軍事経済的なリバランスを図りたいアメリカにとってはインドとの関係改善は最大級の課題だ。

一方モディ氏には渡航が禁止されたという悪感情はあると思うが、恐らくそれは横においてアメリカとの関係改善を図るだろう。

その理由はヒンドゥー過激派ともいわれるモディ氏だが選挙公約の一つが「インドに寺院よりもっとトイレを」考えると外交面でも現実的な対応をとるだろうと私は考えている。

ヒンドゥー教の神々は二つの顔を持つという。シヴァ神には吉祥と不祥、破壊と恩恵の二つの顔があり、いずれも真実の姿である。この考え方に立つと、モディ氏が熱心なのヒンドゥー教徒であるとともに経済成長の推進者というのは矛盾なく両立するのだろう。

繰り返していうが、親日的であるとかないとかいうことは、そのリーダーにとって本源的なものでなく、その時日本と組んだ方が国益につながるかどうかで態度は決まる・・・という程度に理解しておいた方が、逆を打った時の失望感が少ないような気がする次第。

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守るべきは憲法?または国民の安全?

2014年05月16日 | 国際・政治

昨日(5月15日)夕方安倍首相が集団的自衛権の行使に向けて憲法解釈を変更する方針で臨むという記者会見を行っていた。

私自身は集団的自衛権の行使には賛成なのだが、憲法解釈の変更で対応するという考え方には違和感を感じている。理由はシンプルで従来の憲法解釈と整合性が取れなくなったのであれば憲法を変えるべきだと考えるからだ。法律やルールというものは、本来金太郎飴でなくてはいけないと私は考えている。つまり誰が何時切っても同じ金太郎がでるように、誰がいつ読んでも同じ理解をするように明快なものでなくてはいけないというのが私の理解。

もっとも現在「内閣による憲法解釈の変更ではなく、憲法解釈で対応するべきだ」と主張する人の中にはハードルを上げることで、集団的自衛権の行使を避けようとする人がいるので、注意しなければいけないが。

憲法論議に関して私が思うことは、守るべきものは「憲法」なのかそれとも「国民の安全」なのか?ということである。「憲法」を守る理由はそれが「基本的人権」や「国民の安全」を守るためのものであり、「基本的人権」や「国民の安全」を真の目的とすれば憲法はその手段であると私は考えている。

これは宗教における本当の神と神像との関係に似ていると私は感じている。もとより偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム教のような宗教を別にすれば、多くの宗教は神像などの崇拝の対象物を持っている。私はこのような崇拝の対象は祈りをささげる上で、都合が良いので設けられているものだ、と解釈している(もっとも偶像そのものに過大な信仰を置く宗教もない訳ではないが)。

つまり神像は一種のproxyで、人々はその背後にある見ることのできない神や仏に祈りをささげているのであり、本当に大切なのは見ることのできない神や仏なのである。神像・仏像はconcentrationの手段なのであろう。

憲法論議のこの解釈を当てはめると、憲法は神像でproxyであり、本当に大事なものは「基本的人権」や「国民の安全」である。

神像は古くなれば修復しても良いし、新しいものと変えても構わないだろう。もし神像などの背後にある本当の神や仏のことを忘れて、石や金属でできた像そのものを拝むことに腐心するようになれば、それは偶像崇拝と呼ばれるのである。

ということで本当は古くなった神像を修復したいのだが、神像はありがたいものなので、古くなっても触っちゃいかん、という人が多い場合は憲法解釈の変更で対応するというのも次善の策なのだろう。政治においては実を取ることが大事だろうから。

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中国の所得格差は恐らく政府発表よりかなり悪い

2014年04月30日 | 国際・政治

今朝CNBCサイトで見かけたのが。China wealth gap may be far worse than official estimatesというタイトルの記事。

中国の所得格差が大きいことは周知の話なので目新しいものではないが、簡単に紹介すると次のとおりだ。

政府推計による中国のジニ指数は2012年の0.474から13年の0.473に若干改善しているが、China Family Panel Studies(北京大学がイニシアチブを取っている家計調査)をベースにした民間推計では0.55と所得格差はもっと大きい。

ジニ指数は0が完全平等で数値が1に近づくほど格差が大きくなる。ジニ指数0.47でも米国の0.45より高いが、0.55となると世界トップクラスであることは間違いない。

中国の所得格差が経済成長とともに広がってきたことは周知の事実で、ミシガン大学の調査によると1980年代に0.3だったジニ指数は0.55に拡大している。

この数字だけを見ると中国の急速な経済成長が所得格差の原因なのか?と条件反射的に思う危険性があるが、私は第二次大戦から70年代までの頃の中国、つまり大部分の人が等しく貧しかった時代というのが長い中国史の中では例外的な時代で、現在は中国史の標準?に戻ってきたのではないか?と考えている。

戦前の東洋史家・内藤湖南の「宋代以降近世説」やそれを踏まえた與那覇潤氏の説を参考にすれば、宋代(960-1277年)に中国では皇帝以外の身分制や世襲制が廃止され、経済活動の自由が拡大し(機会の平等が拡大した)、商才を発揮してひと山当てた人や試験勉強に没頭して科挙に合格した人など一握りの成功者に莫大な報酬が入る仕組みができた。つまりこの説に立つと中国は経済面では千年前から競争社会で格差がつきやすい(あるいは格差を経済発展の原動力とする)社会なのである。

しかし格差を努力のインセンティブであることを認めても、それが度を超すと弊害が大きくなる。

管見では所得格差や科挙に合格して高級官僚になった人たちの貪官汚吏(たんかんおり)振りが人々の我慢の閾値を超えると社会不安が拡大しやがて革命が起きて王朝が交替するというのが、中国史のサイクルである。

社会経済学者はジニ指数が0.4を超えると社会不安が発生する可能性があると指摘するが、もう一つ注目しておくことは貧困者の数だ。今中国では1億2千8百万人(つまり全日本人と同じ数の)の人が貧困ライン(年収368ドル)以下で暮らしているという。

この貧困者数が歴史上の民衆暴動時のトリガー値と比べて大きいのか小さいのか?ということは興味のあるところだ。

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