金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【書評】幕末・明治の偉人たちの定年後

2018年06月13日 | 本と雑誌

近くの図書館でふと目にした「幕末・明治の偉人たちの定年後」(河合 敦著 WAVE出版)。勝海舟・東郷平八郎など広く知られている著名人の「定年後」を紹介した本である。著名人なのである程度の業績は知っているので読みやすい本だ。逆に歴史好きな人には新しい発見はないとも言える。ただし偉人たちの定年後を比較して一覧できる点では面白いとも言える。

で誰の定年後に共感したか?というと一番は秋山好古である。

日露戦争で騎兵隊を率いて活躍した秋山好古は、戦後「日本騎兵の父」「最後の古武士」と讃えられる。その後陸軍大将に昇任した秋山は大正12年に陸軍を退職する。

秋山の口癖は「男子は生涯において一事を成せばよい」というものだったから、彼はその目的を達成した訳だ。だが同時に秋山は「人は一生働き続けるものだ」という信念も持っていて第二の人生では教職につくことを選ぶ。彼は故郷松山の北予中学校の校長に就任する。

秋山は71歳で亡くなる半年前まで校長として毎日学校に通い、教員が休んだ時は自ら授業をしていたという。

なぜ秋山好古の生き方に共感したか?というと「真似をしようと思うと真似ができない訳ではない」からである。

偉人たちの定年後の中には、良し悪しは別として真似のできない生き方もある。例えば最後まで権力の座に座り続け後世に影響を残した山県有朋や東郷平八郎の生き方は真似をすることができない。なぜなら我々はそもそも権力の座にいないからである。

だが秋山好古のように第一の人生と全く違うキャリアを追うことは努力次第では可能な生き方だ。もっとも秋山には若い時に教師の経験があり、また著者が「好古が本当にやりたかったのは軍人ではなく、教師ではなかったのか。」と述べているように彼の夢は教師になることだったようだ。そういう意味では定年後に生涯の夢を実現したともいうことができる。

秋山の生き方は「真似ができない訳ではない」と書いたが、これは「夢」を持っている場合であろう。夢は仕事とは限らない。この本に出てくる偉人の中では板垣退助や渋沢栄一は社会活動に定年後の人生を捧げた。

板垣や渋沢ほど射程距離の長い社会活動はできなくても、自分の射程距離でボランティア活動を行うことは可能だろう。

大事なことは「夢」=目標を持つことだということを改めて教えてくれる本である。

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会社仲間のLINEはもっぱら朝の遅延連絡

2018年06月13日 | デジタル・インターネット

今月始めに顧問先の仲間と飲みに行った時、「同じセクションでLINEグループを作りましょう」ということになった。

そのLINEだけれど今のところもっぱら朝の通勤電車の遅延による出社時間の遅れの連絡に使われている。

今朝(6月13日)は山手線が少し止まっているという連絡。

月曜日は副都心線が遅延という連絡。東急線の運転手の手配が間に合わず渋谷駅まで電車が詰まっているという話だった。

その前には埼京線が遅延という連絡もあった。

埼京線は遅延ランキングの大関格で国交省のデータによると、遅延順位5位で、月平均の遅延証明発行日数は17.9日。つまり平日(月20日)ベースでみると遅延しない日は2日しかないということになる。

遅延ランキングの横綱は中央線で遅延日数は19.1日。つまり遅延しない日は1日にも満たない訳だ。

もっとも我々のLINEには中央線遅延の連絡はない。おそらく沿線の通勤者がいないのだろう。

小規模な遅延の原因は「駆け込み乗車」など乗客の行動に起因するものが、9割を超えるそうだが、先日私が乗っていた西武新宿線の準急がドアが閉まらなくなり、鷺宮駅で乗客全員が降ろされるという事態が発生した。これは鉄道会社の車両整備不良が原因で、かなりの大規模遅延につながった。

ただし誰も文句も言わず、粛々と後続列車に乗り換えていた。おそらく遅延が常態化して携帯メールやLINEなどによる連絡体制が整っていることで慌てる人が少なくなっているからだろう。

通信手段の発達が列車の遅延に寛容な社会を作り出しているとすれば少し複雑な気持ちになる。

それにしても巷間テレワークが普及しつつあるという話を耳にするが、朝夕の電車の混み具合を見ると「ホントかいな?」という思わざるを得ない。

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