同じ町に住む外国の方への日本語レッスンを続けています。中級クラスの方には「上級へのとびら」というテキストを使っています。今日ある人へのレッスンで「俳句:世界一短い詩」というチャプターをレッスンしました。
その中に松尾芭蕉の「古池や かわず飛び込む 水の音」という句が紹介されていました。
古い池に蛙が飛び込む音がした、という情景を詠んだ句ですが、解釈は色々あり、私もよくわかりません。
「上級へのとびら」も「俳句は言葉の数が少ないため、理解や解釈が大変難しい」と言えます、と述べています。芭蕉など俳句の巨匠の生き方や当時のものの考え方など、バックグラウンドを理解していないと作者の言いたいことに到達できないような俳句を初心者や中級者の教材に取り上げることに私は疑問を感じています。
むしろ同じ五七五の文学を取り上げるなら、川柳の方が良いでしょう。
川柳の話をするため取り上げたのが「サラリーマン川柳」です。コロナの特別給付金が自分を素通りして妻の財布に入ったことを嘆く「十万円 見る事もなく 妻のもと」という川柳を紹介し簡単な解説を加えると生徒さんはゲラゲラ笑っていました。
さらにスマートフォンの画面から生徒さんは「YOASOBIが 大好きと言い 父あせる」という句を見つけ「これはどういう意味?」と聞いてきました。
最近のミュージシャンに疎い私は気が付かなかったのですが、YOASOBIとは人気のボーカルグループなのですね。生徒さんはそのことを知っていましたので、直感的にこの川柳の面白さがわかったようです。
川柳の中で娘さんはミュージシャンのYOASOBIが好き、といったのですが、父は娘が夜遊びが好き、といったと勘違いして焦ったという狂言的な話なのですね。
この川柳にも外国人生徒はゲラゲラ笑っていました。
俳句と違って川柳は日常的な情報をベースに、滑稽さを追求した五七五の詩ということができます。
日常的な情報は日本に暮らす外国人にとって昔の俳句や俳人に関する情報よりはるかになじみ深いものです。だから本格的な俳句を理解することは難しいが、川柳には取り組みやすいといえると思います。
外国人向けの日本語教材もしゃちこばった俳句より身近な川柳を取り上げるべき、と思いましたが如何なものでしょうか?