10月9日土曜日、ワイフと日生劇場に松本幸四郎主演の「カエサル」-ローマ人の物語より-を観に行った。ワイフは時々観劇に出かけているが、僕には久しぶりの舞台鑑賞だった。
幸四郎の熱演を堪能。やはり演劇はいいな、と思った。
塩野七生さんの孫引きになるが、イタリアの歴史の教科書にジュリアス・シーザーについて述べた言葉がある。「知性、決断力、類まれなる寛容、肉体の健全、説得力この5つの徳性を揃え持った人物は古来シーザー以外にいない」
「カエサル」の舞台の中で強調されていたのは「寛容」であった。カエサルはローマの統治下に入ったガリア人など属国人にもローマ人並の権利を与えた。人権擁護、自由、個人の意思の尊重という意味で彼が行ったことはユニバーサル・バリュー(普遍的価値)の拡大である。だが彼はそれを推進する過程で、偏狭なローマ中心主義に陥っている元老院と対立し、更に強大な権限を手に入れようとして暗殺者の凶刃に倒れた。
そしてブルータス達シーザーを暗殺した者は、シーザーの後継者オクタビアヌスにより殺され、帝政ローマが始まる。オクタビアヌスに始まる五賢帝の時代は良い統治が行われパックス・ロマーナと呼ばれたことはご承知のとおり。だが良い時代は長く続かず、ネロのような暴君が出てローマ帝国は衰運に向かう・・・・
このように見てくると、独裁政治というものは必ずしも悪い面のみではなく、正しい独裁者を得た場合においては、平和や人権というユニバーサル・バリューが保証・拡大されるということが分かる。ただし独裁政治の問題は正しい独裁者を持つ可能性より、正しくない独裁者を持つ可能性の方がはるかに高いということだろう。
よって我々は民主主義という名の下で際限のない衆愚政治を繰り返すのだろうか・・・
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