後輩から「来月で定年を迎え、出向先に出向き引き続き仕事をします」というメールを貰った。
その時頭をよぎったのが「馬上少年過ぐ」という伊達政宗の漢詩だった。
なぜこの詩が頭に浮かんだかというとメールをくれた後輩がいつまでも若々しく少年の風貌を残していたからである。
実際彼は「K青年」と仲間内で呼ばれていた。だが風貌は若くても歳月は平等に過ぎ彼もまた還暦を迎えるようになった。
馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯天の許すところ 楽しまずんばこれいかん
と政宗は詠んだ。
戦場を疾駆した政宗は、折角天が与えてくれた余命だから楽しまなくてどうする、と述べた。
この詩は70歳で天寿を全うした政宗が晩年に詠んだものでもはや天下を狙うような気持ちはないということが言外に込められている感じがする。
ところで寿命が延びる一方老後の経済的不安が付きまとう現在60歳では到底「楽しまずんばこれいかん」という訳にはいかない。
ただ政宗の漢詩から学ぶところがあるとすれば、ビジネスという戦場を疾駆したことは忘れて楽しみながら仕事を続けるべし、ということだろうか?
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