金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
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久しぶりにヒンドゥ教を考えてみた

2022年06月20日 | ライフプランニングファイル
 昨日Zoomを使ったネパール旅行に関するセミナーを行った。その中でヒンドゥ教に触れるところがあり、浅学ながらこの宗教について感じていることを語った。
 ヒンドゥ教の信者数は全世界で11億人である。信者数はキリスト教、イスラム教についで多く仏教を抜いている。しかしヒンドゥ教は世界宗教ではなく、インドのネパールの民族宗教と言われている。その理由は教義とカースト制度が深く結びつき、他の地域では宗教活動が難しそうなところにある。
 また教祖や根本経典が存在しないことも世界宗教としての条件を欠いているようだ。従って我々にとってヒンドゥ教を深く学ぶ意味は乏しいのだが、それでも私には気になっていることがある。それはヒンドゥ教の根本教義にかかわる魂の重視と死後の肉体の軽視である。
 ヒンドゥ教の教えでは人を含めて生き物は輪廻転生を繰り返す。肉体は滅びるが不滅の魂は死後月に登り、そこで生前の行いの裁きを受け、善い行いを行ったものは少し上位置に、悪い行いを行ったものは悪い世界に生まれ変わるとされる。
 仏教では六道輪廻という言葉があるように人は生前の行いにより「天道・人間道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」のいずれかに生まれ変わると述べる。ヒンドゥ教では修羅道がなくて五道の間を転生すると教えるようだ。
 輪廻転生はフィクションだが、私が取り入れたいと考えているのは、死後の肉体を軽視しているところだ。ヒンドゥ教では遺体は家族の手で荼毘に付され遺骨は川に流される。川の中でもガンジス川かその支流に遺骨を流すのが最高の葬礼とされる。
 従ってヒンドゥ教ではお墓はない。何故なら魂の乗り物である肉体は死んでしまうと蛇の抜け殻程度の値打ちしかないからである。またヒンドゥ教徒は延命治療を行わない。何故なら死後の転生を信じているので死ぬことをそれ程恐れないし、生にしがみつく必要もないからだ。
 私は自分の墓は要らないと考えているが、その考え方がヒンドゥ教の教えに影響を受けていることは間違いないだろう。
 ヒンドゥ教は人は前世の行いで今のカーストに生まれた、現世ではそのカーストを抜け出すことはできないが、善行を重ねれば来世では少し上のカーストに生まれ変わることができると教える。
 この点を見れば、カースト制度を維持しようとする既得権階級の宗教で受け入れ難いが魂の重視と死後の肉体軽視と不必要な延命治療の排除という点では参考にするべきところがあると私は考えている。
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