1週間ほど前、ある裕福なグループと山に登った帰りにメンバーの一人のお医者さんと二人で話をする機会があった。複数の病院を経営するそのお医者さん曰く「今日は暑かったですね。暑い日の旅にはユニクロが一番。私は上下ともユニクロです」
その時私はトミーヒルフィガーの上下(ポロシャツとクロップドパンツ)を着ていた。自宅ではユニクロおじさんになっていることが多いが、旅にでる時はユニクロじゃなくてトミーというのが私のスタイル。因みに登山用のシャッツにユニクロを着ることもあるが、表に見えるところは登山用メーカー品を着用、というのがスタイルだ。少し見栄っ張りなのである。
このお医者さん、夏は上高地の帝国ホテルで奥様と過ごす(何日かは知らないが)とおっしゃるから、贅沢なところでは贅沢、でも質素なところは質素、いや費用対効果重視というところなのだろうか?
この時私の頭の中に「貧乏だけど贅沢」という言葉が浮かんできた。「貧乏だけど贅沢」というのは沢木耕太郎の対談集で、井上陽水や高倉健などとの対談をまとめたものだ。本によると井上陽水さんは、外国に旅に出たくなると、いきなり空港に行き、そこで目的地を選んで切符を買う・・という。この本は旅における贅沢な時間とは何か?ということを巡る対談集なのだ。
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「貧乏だけど贅沢」という言葉から出発して、「貧乏」とその反対の「裕福」、「贅沢」とその反対の「質素」の組み合わせについて考えてみた。パターンは「貧乏・質素」「貧乏・贅沢」「裕福・質素」「裕福・贅沢」の4つであり、最初の「貧乏・質素」と最後の「裕福・贅沢」が自然な(あるいは順接的な)つながりである。
陽水が貧乏だとは誰も思わないだろうが、空港でいきなり切符を買うというのはかなりの贅沢だろう。本のタイトルは貧乏but贅沢という逆説で読者を刺激し、どうみても裕福な陽水や高倉健を貧乏のお面をかぶせて、精神の贅沢さを強調する。
「贅沢」とは何か?というと一般的な定義は「趣味や娯楽に必要以上にお金をかけること」である。そしてその必要性はその人の社会的地位や責任の重さで変わると私は考えている。つまり日頃強い緊張を強いられている人には、思い切ったリラックスが必要であり、突発的な海外旅行や上高地帝国ホテルの夏休みが必要なのかもしれない。と考えると「空港でいきなり切符を買う」ことは普通の人にはかなり贅沢だが、陽水にとってはそれほど贅沢ではないのかもしれない。
ところで私にとっての贅沢とは何か?というと、厳しい登山の後、山小屋やテントサイトで酒を飲みながら、暮れゆく一時を愛おしむこと・・・・となるだろう。
山登りは交通費や宿泊費を中心に結構お金がかかる(本当は前後の飲み代の方が大きいか?)。貧乏とまではいわなくても、裕福というほどでもない我々には、見方によっては「贅沢」な遊びであるかもしれない。だが一度山の夕暮れや満天の星に心を揺すぶられた人にとってはそれは「必要」なものであり、山のない人生は虚しいと、私は考えている。そういう意味で大部分の山好きの人は「貧乏だけど贅沢」な人生を送っているのだろう。
そしてその「贅沢」を続けるために「質素」にももっと気を配ろう、と考え始めている。夏の山旅は上下ユニクロで押し通すほどの質素堅実が必要だな、と改めて考えている次第だ。
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