惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

戦時日本にガーンズバック

2007-09-17 20:23:05 | 本と雑誌
 腹立たしいほどの残暑。最高気温は34度近くありました。

 井上晴樹さんの新刊『日本ロボット戦争記 1939~1945』(NTT出版)は名著『日本ロボット創世記』の続編。今回も素晴らしい内容なのですが、びっくりしたのは第二次大戦中の日本でヒューゴー・ガーンズバックが紹介されていたとの記述。
 ガーンズバックはアメリカSFの父ともいうべき存在で、1926年に世界初のSF専門誌〈アメージング・ストーリーズ〉を創刊し、ジャンルSFの確立に決定的な役割を果たしました。しかし戦後、アメリカSFが本格的に紹介されるまでは彼の名を知る日本人はほとんどいなかったのではないかと思われます。それが、こともあろうにアメリカと戦争をしている最中に紹介されていたとはどういうわけなのでしょうか。

 といっても、直接、ガーンズバックその人や業績が伝えられたのではなく、あちらの本を翻訳紹介する中に、たまたまガーンズバックが登場したということのようではあります。

 くだんの本は1935年にイギリスで出版されたチャールズ・G・フィルプ著『ストラトスフィア・アンド・ロケット・フライト』で、ロケット研究の文献として敵国の本にもかかわらず(無断で)翻訳されたそうです。
 翻訳は、昭和18年夏、雑誌と単行本に別々のものが出たとかで、以下、井上さんの文章では――

 翻訳記事も単行本も、著者の序文を省略せずに訳出した。そのため、前者(森下註:雑誌の翻訳記事)には次のような文章が現れた。
 サイエンス・アンド・メカニックス誌及びワンダー・ストーリーズ誌に掲載された題材並びに繪畫を廣汎に亙って使用することを許されたことを、紐育のヒーゴー・ガーンズバック氏に對し、(中略)特に感謝しなければならぬ。
 『将来の航空』(森下註:単行本の方)にも、「ヒューゴ・ジャーンスバック氏」が登場する。この年の八月十六日に五十九歳になったガーンズバックだが、極東アジアの片隅にある交戦国の雑誌や単行本のなかに己の名が活字化されているとは想像もしなかったことであろう。

 奇妙な形ではありますが、こうやってガーンズバックの名が日本に出現していたんですねえ。びっくりしました。井上晴樹さんの見事なスクープ。