惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

「歌」が逝く

2020-12-26 20:46:21 | ひと

 ショック。家族のかかっているお医者さんが新型コロナウイルスに感染してしまった。
 直近の診察はなかったのでとりあえずの心配はないのですが、次回の診察はキャンセルに。

 今日、都が発表した新感染者数は949人。市内でも12人となっています。この中にあのお医者も含まれているのでしょうね。

 中村泰士さんにつづいてなかにし礼さんも逝ってしまった。大好きな「歌」のつくり手たちがいなくなってゆく。

 なかにし礼さんの作詞/訳詞のリストを眺めていると、私が最初に耳にしたのは、たぶん1964年の「明日になれば(Demain)」。
 カンツォーネを訳して歌っていたのではないかと思いますが「レッツ・フォゲット・ドマーニ」という英語とイタリア語の混じったサビの部分などを覚えています。ただし、確認のしようがないので自信はありません。
 1967年の「知りたくないの」の元歌はカントリーでした。
 「愛のさざなみ」「夜と朝のあいだに」「港町ブルース」……作詞された曲も忘れられないものがいっぱい。

 そんな中で1曲を選ぶとするなら、北原ミレイさんが歌った「石狩挽歌」。
 「壊れた網は問い差し網か」、「沖を通るは笠戸丸」、「番屋の隅で私ゃ夜通し飯を炊く」、散りばめられた言葉から迫ってくる歴史と民俗に圧倒されました。歌でこんなに広く深く濃い世界が描けるとは。
 惚れこんで、恥ずかしながらサラリーマン時代は酒席での持ち歌にさせてもらってました。

 中村泰士さんの代表曲はなんといっても「喝采」ですが、ひそかに贔屓にしているのはザ・ピーナッツが歌った「大阪の女(ひと)」(詞:橋本淳)。
 まるで私を責めるよに~。訃報を聞いてから、ずっと頭の中で鳴り響いています。