惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

そろそろ

2006-12-26 20:57:36 | 日記・エッセイ・コラム
 午後、書評の原稿を送って今年の締め切りは全部おしまい。
 さあ、家の片付けと年賀状に取りかからなくては。

 でも、その前にちょっと散歩。あいにく今日は朝から強い雨が降っています。
 ゴム長を履き、大きめの傘を差して薄暗い道を歩く。ビニールハウスの横を歩くと、激しい雨の音がダダダダダダダダと耳にうるさい。野川の水もこの季節には珍しいほどに盛り上がっています。

 夜、息子が2日間かけて仕上げてくれた年賀状の印刷に着手。1枚ごとに時間がかかるので、なかなかはかどらないなあ……。


年賀状準備

2006-12-25 20:39:08 | 日記・エッセイ・コラム
 ようやく年賀状の準備に着手。
 十二支の動物にちなんだ回文を絵入りで書くようになって、たぶん17年目。回文作りも2まわり目に入って難度が増しています。

 来年のイノシシ、1度目は「消えたイノシシのいた駅」でしたが、さて、今回は……。

 どんな回文になったかは秘密にしておくとして、今日は私がざっと絵と文字を下書き。それをスキャナーで取り込んで、あとは息子に丸投げ。お絵かきソフトで手を入れてもらい、色もつけて、明日には出来上がるでしょうか。
 印刷・宛名書きなどはその後ですから、27日の夕方ぐらいから出来た順番に投函することになると思います。だいたい例年どおりの日程。

 日本各地のローカルニュースが読める47NEWS(よんななニュース)のサイト。地図をズームしてゆくとあちこちで「ここにニュースがあるぞ!」と合図してくれます。楽しい。


インパクト・イブ

2006-12-24 20:34:16 | 競馬
 朝から――いや、昨夜から妙に落ち着きませんでした。ディープインパクトはどんな走りをするのだろうか、と。

 しかし、見事に勝ち切りましたね、第51回有馬記念。期待どおりの素晴らしいレース。
 後方につけて入った第3コーナー。外側を大回りしたにもかかわらず、ぐんぐんと前に出て第4コーナーでは3~4位ぐらいでしたか。この時点でもう私は「勝った!」と叫んでしまいました。
 先行するダイワメジャーらも頑張ったけれど、そこはやはりディープインパクト、残り200メートルぐらいで大きな差をつけるとゴール前では少し力を緩めたのではないでしょうか。余裕の圧勝。有終の美を飾りました。

 競馬には縁のなかった私がここまで興味を持ち続けることができたのはディープインパクトのおかげ。たまたま昨年のダービーを東京競馬場で観戦する機会を得て、この馬の凄さに魅入られてしまったのでした。
 ありがとう、ディープインパクト! 2世がターフに現れる日を楽しみに待ちます。


都心のイルミネーション

2006-12-23 20:57:13 | まち歩き
 昨夜は神保町にて古典SF研究会の会合(というか、忘年会)。
 その前に、家族に頼まれた用があり、日比谷に寄りました。用を済ませた後、ちょっと時間があったので神保町まで歩くことに。いつもの散歩の都心出張版といったところ。

 コースは、有楽町駅西口から北へ、東京国際フオーラム、丸ビル、東京駅、大手町の逓信総合博物館、日本経済新聞社を経て首都高をくぐり神田へ。
 丸ビル周辺のイルミネーションは大変きれいでした。住宅街のそれとはまったく異なる趣き。規模が大きく、すっきりしたデザインはさすが三菱地所だと感心しました。
 東京駅も、夜、見る方がいいかもしれません。赤いレンガが殊更に鮮やかなように感じました。

 日本を代表するビジネス街を過ぎ、神田に入るとぐっと庶民的。小さな飲食店が軒を連ね、あちこち寄り道をしたくなります。
 裏通りの店を眺めたりしながら、くねくねと路地をたどって神保町まで。7000歩、約50分の散歩でした。


ちょろい世の中

2006-12-21 20:45:29 | 日記・エッセイ・コラム
 青島幸男さんで忘れられないのは、狙ったとおり直木賞を獲った時に「世の中、ちょろいもんだな」と言ったというエピソード。あの人にとってはそうだったんだと思います。

 彼の仕事の中では、たぶん「だまって俺について来い」(作曲:萩原哲晶、歌:植木等)がいちばん好き。
 歌詞はここで読めますが、やはり植木さんの歌で聞くのがいちばん。能天気で、世の中なんてどうにでもなるという気がしてくる。
 クレージーキャッツと組んでやった仕事の根底も、結局は直木賞のエピソードと連なるところがあって、青島さん自身はそれですごくうまくいってしまった。
 そんな姿を見ていると、肩が軽くなるというか、クヨクヨするのがバカらしくなったもんでした。

 でも、歌のとおりについて行って「そのうちなんとかなるだろう」といわれたりしたら、すごく腹が立つと思う。参院選でも、都知事選でも、1度も票を入れなかったのは、そんな気持ちがあったからかもしれません。

 1960年代を明るくしてくれた、いちばんの功労者。ご冥福を祈ります。